第1話 夢の終わりに、立っていた
オーディションに落ちた。
それだけのことだ。よくあることだ。
――なのに、今日ばかりは、立っていられなかった。
地下鉄のホーム、風が抜けていく。
喉の奥に溜まった息が、うまく吐き出せずに渦を巻いていた。
この一週間、台本と睨み合いながら声を潰し、バイトを削って稽古に充てた。
あれこれ想像しながら、自分にしか出せない色を探してきた。
その結果が、「今回はご縁がありませんでした」の一行だった。
祈町祐介、29歳。
年齢を書いた履歴書を見返すたびに、胃がきしむ。
「二十代最後のチャンスだね」と笑った共演者の言葉が、刺さったままだ。
都会に出てきて十年。
バイトとオーディション、たまのワークショップ。
日雇いのドラマエキストラや、通行人役。
芝居で食べていけた日は、一日もなかった。
夢を見ていたつもりだった。
だけど、夢はこんなに長く見続けるものだっただろうか。
朝になっても、誰も起こしてくれないまま。
ただ、今日をまた積み重ねていく。
起きて、稽古して、働いて、寝る。
そんな毎日を繰り返しているうちに、自分がどこに向かっていたのか、見えなくなっていた。
周りはもう、家庭を持ったり、仕事を安定させたりしている。
実家に戻った友人が「そろそろ店を継ごうかな」と話していた。
その傍らで、祐介は未だに週6のバイトに追われている。
ポケットの中のスマホが震えた。
“明日、夜勤お願いできる?”――バイト先の店長からだった。
芝居のことで心がいっぱいだった自分にとって、
この震えは、あまりにも現実的すぎた。
「……はい、行きます」
祐介は、ため息のようにメッセージを返した。
電車が来る音がした。
でも、乗らなかった。
ただ、立ち尽くしていた。
声をかけてくる人もいない。
励ましの言葉も、今日に限っては見当たらない。
「いつまでやってるんだろうな、オレ……」
声にならないつぶやきが、風にかき消されていった。
ホームの柱に背を預けると、急に膝が抜けそうになった。
本当に、もう限界だったのかもしれない。
“ここまでやった”と胸を張れるほど、自分はやってきただろうか。
誰かに責任を押しつけて、自分だけ被害者の顔をしていたんじゃないか。
そんな問いが、背中にのしかかる。
言い訳ばかりが上手くなって、結局、何も手にしていない。
それでも明日はまたバイトに行く。
芝居を忘れたふりをして、客の注文を聞く。
それが、自分の今だった。
それでも、と祐介は思った。
何かを諦めるために、ここまで来たんじゃない。
自分にしかできない表現があると、信じていたはずだった。
もう一度だけ、思い出したかった。
最初に夢を語ったあの日の、自分の声を。