鑑定
物心ついた頃から食事は自室でとるのが常だ。
家族団欒という言葉は聞いたことがあるし意味もわかっているつもりだけれど、その概念を本当の意味で理解しているかと言われれば答えは否だろう。
父と母と瑠架の三人は、もはや同じ家に暮らしているだけの他人だ。父に関してはあのとおりだし、母親はいつも暗い目をしながら夫の不機嫌に怯え、隷属している。みな家の看板を保つことばかり考えていて、内側のことなんてどうでもいいのだ。
しかしもしかしたら、ずっと昔はこうではなかったのかもしれない。
一度だけ、瑠架が生まれる前に撮られた両親の写真を見たことがある。
今よりも随分と若く見える二人は、ドレスの下、せりだした母の腹を撫でて笑っていた。
ぎこちなくもまだ見ぬわが子へ微笑みかける姿は、まるで絵本の中で見た〝幸せな家族〟の肖像のようだったのに。
どうしてそれが壊れてしまったのか、想像するのは難しいことではない。
もしも瑠架が立派な裸石をもっていたら。
混じりものではなかったとしたら。
――幼い頃はそんなことばかり考え、めそめそ泣いて過ごしたものだ。
かわり映えしない夕飯を平らげ口元をナプキンで拭うと、横に控えていたメイドが手際よく皿を下げ始める。
「坊ちゃま」
執事長に比べればいくらか年若いお付きの執事が、腰を折って言った。
「間もなく、透夜様がいらっしゃいます」
瑠架はぴくりと眉根を寄せて問い返す。
「何かあるのか?」
執事は顔を伏せたまま、硬い声で答えた。
「一度裸石を見せて頂きたい、とのことです」
瑠架の周りの人間は、こうして裸石の話をする時に、腫れ物にさわるような態度をとる。蓮の言う通り、瑠架はそれがたまらなく嫌いだった。
いらっとしたが、しかしこの場合悪いのは執事ではない。彼らのことを自らの不機嫌でもって支配し続けた父親だ。
「……わかった」
瑠架が短くそう答えると、執事は安心したようにほうっと息をついて部屋を出て行った。やはりこの家は、不機嫌に対する怯えで支配されている。
頬杖をつきながら、腹の底でぐるぐると渦巻いていたものを溜息に変えて鼻から吐き出した。平静を装っていたが、それでも憂鬱なものは憂鬱だ。自分の見せたくないところを、見られたり見せつけられたりすることは、やはりできればしたくない。
コンコン、と軽やかなノックの音が室内に響く。
「……入れよ」
瑠架は来訪者に向かってぶっきらぼうにそう告げた。
間もなく扉の向こうから姿を現したのは透夜だ。
「聞いてると思うけど、ちょっと見せてもらうよ」
そう言って躊躇なく室内へと足を踏み入れる。手には使い込まれた革製の、小さな鞄をさげていた。
透夜はぐるりと部屋の中を見回すと、少し思案した後続ける。
「ごめん、ちょっと立って」
そう言って瑠架を立ち上がらせると、椅子の向きを反転させる。
「はい、これでよし。座って」
言われるがままに、向きの変わった椅子に座りなおした。立ったままの透夜と向かい合う形になり、ちょうど彼のジャケットの合わせが目の前にくる。
透夜は傍らに鞄を置くと、その中から手のひら大の黒いケースを取り出した。開くと、中には細々とした道具――瑠架に名称がわかるのはピンセットくらいだろうか――が入っている。
「じゃあ、見させてもらうよ」
そう言って透夜が手にとったのは、銀縁の片眼鏡だった。ただしレンズがかなり分厚く、普通の眼鏡に嵌まっているものの倍以上はある。裸石鑑定用の特殊なルーペだ。
透夜は慣れた仕草でそれを装着すると、背中を折り曲げ顔を近づけながら「口開けて」と促した。
瑠架は渋い表情を浮かべながらも顔を上向かせ、言われたとおりにする。
「んー、もうちょっと……あ、いいよ。そのままね」
透夜はそう言ってから、じっと瑠架の喉奥を見つめる。いつの間にか反対の手に用意していたペンライトで明かりをとりながら、おそらくは瑠架の裸石を検分しているのだろう。
「――……うん、いいよ」
しばらくそうしていた後、透夜はゆっくりと身体を起こす。そのまま使用した道具を手早く定位置にしまい、鞄にまとめた。
瑠架もまた、はぁっと大きく息をついてから口を閉じ、姿勢を正す。裸石を他人に見せる機会は今まで何度かあったが、正直これだけはいくら繰り返しても慣れることがない。
「これで用は終わりだろう」
言外に「だったら早く出て行け」というニュアンスを込めると、「つれないな」と言って笑う。
「石士としては、持ち主のことを知るのも大事な仕事なんだけどな」
持ち主の容姿や体格はもとより、趣味・嗜好・癖や生き方など、ありとあらゆる要素がリングのデザインを決定する。だから石士は《採掘》のおよそ一か月前から、持ち主となる人間と行動を共にするというのが習わしだった。
「……まだ《採掘》まではだいぶ時間があるんだし」
瑠架の誕生日は七月。そして現在は四月であるから、石士がつくにはだいぶ時期が早い。
「いいだろ。別に、そんなに急いで色々しなくたって」
正論を告げたつもりだったが、拗ねた子供の駄々のようになってしまった。
「たしかに、そうかもしれないね」
透夜は短く答える。
言葉だけとってみればそれは肯定だったが、口調にだいぶ含みがあった。なにかしらの真意がありそうだが、ここで問いただす気にもなれない。
『やっぱり怖いよね』
脳裏に蘇ったのは、日中聞いた浅葱の台詞だ。
《採掘》を恐ろしく思っているのは、なにも彼だけではない。
「それじゃあ、お望みのとおりここらで退散するよ」
おどけて降参のポーズをとりながら、透夜はそう言って傍らの鞄を拾い上げる。
そのままくるりと踵を返すと、扉に向かって歩きだした。
「――ありがとう。いいものを見せてもらった」
去り際にそう言うと、肩越しにひらりと手を振る。
「嫌味かよ」
吐き捨てると、ぴたりと足を止めた透夜がごく僅かに振り返った。
「違うよ」
ロイヤルブルーの双眸に宿った光が、静かに瑠架の瞳を射る。
「……本当のことさ」
それはさきほどまでとはうってかわって、おどけたところの一切ない真剣な声音だった。
「それじゃあ」
短い別れの挨拶と共に、透夜は扉の向こう側へと消えていく。瑠架はとまどいのただなかに立ちすくみながら、見るともなしにその様子を眺めていた。
――『いいもの』と。たしかにあいつはそう言ったか。
嫌味を言っている様子ではなかったし、お世辞にしては見え透いている。いよいよ彼の真意がわからず、瑠架はおおいに混乱した。
はぁっと大きなため息をつくと、身体の向きを変えて机に突っ伏す。
いっそ眠って思考を手放してしまいたいのに、いつまで経っても眠気はやってこない。ただただ冷たい天板が瑠架の頬を冷やし、意識はしんと冴えていくばかりだった。