さげすむ言葉
屋敷に着いた瞬間、待ち受けていた使用人たちに取り囲まれ、そのまま父の部屋へと連行された。容易に予測できるこの後の展開に、瑠架ははぁっと重いため息をつく。
ちらりと後ろに視線をやると、肩で息をする透夜と目が合った。どうやら父との席にはこいつも同席するらしい。そういえばあいつの命令で瑠架を迎えに来たのだったか。
執事長がコンコン、と分厚い扉をノックする。
「入れ」
聞こえてきた声から、びりびりと父の不機嫌度合いが伝わってきた。
執事長はいささか緊張している様子だったが、瑠架にとってみればこんなもの、ただのじじいのヒステリーだ。面倒臭いから早く過ぎ去ってくれとは思うが、それ以上に恐れおののくこともない。
瑠架の斜め後ろに控えた透夜も怯んでいる様子はなかった。肝が据わっているのか、それともただ単に図太いだけなのか。
「失礼します」
執事長がそう声をかけながら、ゆっくりと扉を開いた。
広々とした部屋の中心には、重厚な木の机が置かれている。
その向こう側、革張りの椅子に腰かけているのが瑠架の父だ。後ろに撫でつけられた前髪の下、金茶の瞳にはめらめらと怒りの炎が燃えている。
「……瑠架」
いかにも忌々しそうにそう呼んでから、はぁっとひとつ溜息をこぼした。
「お前は一体いつまで私の手を煩わせるつもりだ」
父の説教はいつも漠然としていて、具体的な怒りの矛先がよくわからない。
習い事をすっぽかしたこと。
帰宅が遅くなったこと。
反抗的な態度に、学校での不出来。
――心当たりは山ほどある。そしてきっとそのうちの全てが正解であり、不正解でもあるのだろう。
「アレキサンドライトの家の恥さらしめ。どうしてお前のような者に、この家を託さねばならんのか」
つまるところ父の不満は、瑠架がこの世に生まれ落ち――裸石の鑑定結果がでた瞬間から、ずっと募り続けているのだ。
「まったく、これだから混じりものは!」
そう吐き捨てると、握りしめた拳で机の天板を殴りつけた。もう、これまでに何度聞いたかわからない台詞だ。しんと重苦しい沈黙が辺りを満たす。
「――三大名家の当主殿にしては、随分と品のない物言いですね」
それを打ち破ったのは、不遜にも思える透夜の言葉だった。
執事長やメイドが血相を変えて父の顔色を伺うが、激昂した様子はない。
そのかわり「――ほんとうに、こいつが『使いもの』になるんだろうな」と言って、ちろりと瑠架の方へと視線を滑らせた。
父の物言いは不快なうえに不可解だ。その言葉の意味するところをおしはかるべく、瑠架はぐっと眉根を寄せる。
「まだ可能性の話です。俺の仕事は、彼の裸石を最大限に生かしたリングを作る――それだけのことですから」
透夜の口調は、まるでいきりたつ父をたしなめてでもいるかのようだ。
瑠架は彼の左手薬指にはまっていた石を思い出しながら「こりゃあ王家筋のぼんぼん説が濃厚かな」と二人の様子を観察する。
「――もういい。ことの詳細については君から話しておいてくれ。私はもう休む」
父はしばらく押し黙っていたが、諦めたようにそう言いつけてゆっくりと席を立つ。素早く移動した執事長が、先導して寝室への扉を開けた。
存外早く切り上げられた説教に、瑠架はすっかり拍子抜けしていた。そりゃあ早く終わればいいと思ってはいたが、ここまで手短に住んでしまうとは想定外だ。
使用人たちはばたばたとそれぞれの持ち場に戻っていく。
「坊ちゃま。お部屋に戻られますか」
お付きのメイドに声をかけられてはっと我に返った。
「ああ」と頷けば、すぐに廊下への扉が開け放たれる。厚手の絨毯を踏みながら、瑠架はゆっくりと自室に向かって歩き出した。
ただでさえ広い屋敷だというのに、父の部屋と瑠架の部屋は、よりにもよって廊下の端と端にある。まるでなにかの象徴みたいな間取りで笑えるけれど、こういう時には不便だった。
「やぁ、それにしてもすごい豪邸だね」
なぜだか後を追うようについてきた透夜が、物珍しそうに辺りを見回して言う。
「仕事柄お屋敷は見慣れてるつもりだったけど、やっぱり三大名家ともなるとレベルが違うな」
まるで『自分とは住む世界が違う』とでも言いたげな口ぶりだ。
「――あんた、王家筋の人間じゃないのか」
瑠架は単刀直入にそう尋ねると、透夜の左手薬指にはまっているリングをじっと見つめる。プラチナの台に、これでもかとブルーダイヤが敷き詰められたパヴェリングだ。
「ああ、これね」
透夜はそう言って、なんてことないように自らの左手を掲げて見せる。
「たしかに一応血はひいてるんだけど……色々あってね」
困ったような微苦笑は、それ以上の追求を拒んでいるかのようだ。
「あまり見ない石ではあるけど、立派なもんでもないだろう」
そう言って透夜は静かにその手を下ろした。片口角を上げたニヒルな笑みは、これまで彼が見せていた屈託のない表情とは明らかに毛色が違う。
ここで透夜が言っているのは裸石のカラットについてだろう。
たしかにひとつひとつのダイヤは直径約1ミリと小粒だ。大きな中石をもつリングと比べれば華やかさに欠けると言う者もいるかもしれない。
誰もがみな自分の石を少しでも大きく、そして美しく見せたがるなかで、そもそも裸石をパヴェリングに加工する人間自体が非常に稀なのだ。ほかにやりようがないくらい小粒の石だったか、はたまた致命的な内包物があったか――。
「――どうして君がそんな顔するの」
そう言われても、瑠架には今の自分がどんな顔をしているのかわからない。問い返そうと透夜の方を見やると、夜更けの空を思わせる濃青が静かにこちらを見つめていた。
視線がぶつかった瞬間、彼の瞳がきらりとまたたく。まるで孤独に朝を待つ明けの明星のような光だ。
そしてその目をきゅうっと細めながら、彼は笑ったのだ。切なげで、まるで今にも泣きだしてしまいそうな笑顔だ。
「――おっと、ここが君の部屋だっけ!」
透夜はそう言って足を止める。これまでどおりの調子を取り繕っているような不自然な声音だ。
「俺は隣の部屋を借りてるんだ。しばらくよろしく!」
作り笑いのまま手をふると、透夜はあてがわれた部屋へあっという間に姿を消してしまった。
「……」
嵐は過ぎ去った。
しかし彼が瑠架の石士になるということは、むこう三か月――いや、それ以上の期間を一緒に過ごさなくてはならないはずだ。毎日のように『こう』ならば、じき嵐のようだとも思わなくなるだろうか。
自身の部屋のドアノブに手をかけながら、瑠架はあたらめて今日のことを思い返す。
石士と顔合わせを済ませたという浅葱。友が召されることに怯える蓮。
そして突然目の前に現れた青い瞳の石士、透夜。
『立派なもんでもないだろう』
自虐的なそれは、そのままいつも瑠架自身の中にある言葉でもあった。
裸石をけなすことは、自身をけなすこと。
ロイヤルブルーの瞳に一瞬おちた影は、瑠架にとっても非常になじみ深いものだ。
瞼の裏に焼き付いた青に見て見ぬふりをして、腹の底から絞り出すように、ふーっと長い溜息をついた。