三人の跡取り
耳障りなチャイムの音で目が覚める。
ぼやけた視界で一番はじめに像を結んだのは、作り物みたいに整った顔立ちとそれに華を添えるネオンブルーの瞳だった。
「やっと起きたね」
浅葱はそう言ってくすりと笑う。
「――趣味悪ぃな」
開口一番に飛び出したのは、わざわざ瑠架の前の席に座りながらこちらを向いて、寝顔をのぞき込んでいたらしい浅葱への嫌味だ。
「ごめんごめん」
全く悪びれない口調でそう言うと、今度は自分の唇の右端をつんつんと指さして見せる。
「ここ、よだれ」
指摘してまたくすりと笑った。別に馬鹿にしているわけでないことはわかっているのだが、どこをとっても完璧なこいつがやるとどうしたって嫌味っぽい。
「――今日はいいのか」
パライバの家は何かと芸事が好きだと聞いている。
家の連中に習い事やら何やらを無理やり詰め込まれて、いつも浅葱のスケジュールは分刻みだ。
時計を見ると今は午後五時。彼がこんな時間まで油を売っているのは珍しいことだった。
「うん。今日はね」
含みのある言い方に、今日が浅葱の『自主休業日』であることを知る。こいつは後でこってり絞られることを知りながらたまにこういうことをしでかすのだ。瑠架は浅葱のそういう人間臭さを気に入っているし、意外と気が合うなとも思う。
「瑠架こそいいの。君だって色々予定があるだろう」
浅葱の言葉に、瑠架はぐっと顔をしかめた。
日々絵画や楽器演奏の技術を学んでいる浅葱とは違い、瑠架に課せられているのはありとあらゆる種類のお勉強だ。学校で習うようなことから帝王学まで、これまで一体何人の家庭教師をつけられたことか。
「アレキサンドライトの家は僕のところより王室に近いから。色々詰め込みたいんだろうね」
浅葱がその名前を口にした瞬間、瑠架の胸中に苦々しいものがこみあげる。咎めるようにじとっと睨みつけても、浅葱は素知らぬ顔だ。
「家の名前から逃れることなんてできないよ。少なくとも、僕たち三人はね」
だからそのまま受け入れろとでも言うのだろうか。生まれながらの優等生である浅葱は、〝傷モノ〟でありながらあの家の跡取りを名乗り続けなくてはならない苦痛をまるでわかっていない。
「なになに、何の話?」
ぴょこっと顔を出したのは、浅葱の言う『僕たち三人』のうちのもう一人だ。
「蓮。どこに行ってたの?」
落ち着いたトーンで尋ねる浅葱に、蓮が答える。
「お手洗い。――あーあ、瑠架のマヌケな寝顔、もうちょっと見てたかったのにな」
ぶぅぶぅ言いながら桜色の唇を尖らせる蓮に、瑠架は
「マヌケじゃねぇ。つーか勝手に見てんなよ」
とガンをとばしてみせる。浅葱は一連のやりとりを見守りながら、やはりにこにこと人好きのする笑みを浮かべていた。
パパラチアの家の長男である蓮がやってきて、三大名家の跡取りが全員ここに集まった形となる。するとどうしても話題は『あのこと』に偏りがちだ。
「浅葱は《採掘》の準備進んでる? たしかもう誕生日まで一か月切ったよね?」
蓮の問いかけに、浅葱の表情が僅かに曇った。その瞳に浮かんでいるのは、悲しみや不安というよりはむしろ、戸惑いといった方が似つかわしい。
「うーん、まぁ……そうだね。進んだかな」
「へぇー! なになに? どんなことしたのっ?」
言い淀む浅葱に構いもせず、蓮はどんどん切り込んでいく。
「石士との顔合わせが済んだんだ。これからは、しばらく一緒に過ごすことになると思うよ」
石士というのは、身体から裸石を取り出す《採掘》から、裸石のカッティングや研磨までを請け負う石のプロのことだ。
「へぇー! やっぱり浅葱ん家のことだから、スゴ腕を雇ったんじゃないのっ?」
「うーん……。まぁ、そうだね……」
興味津々といった様子で目を輝かせる蓮は、《採掘》が恐ろしくないのだろうか。身体から石を取り出す過程では幻覚を見る者もいるというし、自らの分身ともいえる裸石に手を入れるカッティングや研磨の工程では、心身への苦痛も伴うと聞く。
「やめとけよ」
瑠架がそう咎めると、蓮は再びぷぅっと唇を尖らせながら反論する。
「なんだよー! いずれは私たちも経験することじゃない! だったらあらかじめ聞いておきたいでしょ~!」
蓮の言うことも一理あるが、それはそれ、これはこれだ。
「おれみたいに、《採掘》って単語を聞くだけで気分が悪くなるやつもいるんだぜ」
口をへの字に曲げた瑠架の言葉に、間髪入れず蓮が切り返す。
「なんだよそれ。別に瑠架が混じりものなことは、私には関係ないじゃない」
一切の躊躇もなしに痛いところをついてくる。瑠架はぐっと押し黙り、浅葱は「蓮」と名を呼んで心ない発言をたしなめた。
「そうやって腫れ物に触るみたいにされるのって、瑠架が一番嫌がってることじゃん。それなのに、自分の本当の地雷だけは踏んでほしくないの? それって随分勝手じゃない?」
「……」
瑠架は唇を真一文字に結んで、蓮の言葉の一言一句を自分の中で反芻する。ゆっくりと咀嚼し飲み込んでから、一瞬の間をおいて「――そうだな」とだけ答えた。蓮の言うことが、もっともだと思ったからだ。
「うん。私、瑠架のそういう意外と素直なとこ、好きだよ」
蓮はそう言って満足げに微笑むと、きゃいきゃいと浅葱に次の質問を投げかけていた。
――混じりもの。
裸石の価値を決める項目のうちのひとつに、内包物の量や質というものがある。
裸石内に含まれる内包物は、ごく稀なケースを除いて少なければ少ない方がいい。それがある一定水準を超えて存在してしまうと――その裸石と持ち主は、混じりものの烙印を押されることになるのだ。
裸石として発現する鉱物を決めるのは、主に遺伝的要因だといわれている。瑠架も例に漏れず、家石であるアレキサンドライトの裸石をもっていた。
しかし、アレキサンドライトのうりは、あてられる光の種類により色を変えるカラーチェンジ。それを邪魔する内包物の存在は致命的だった。
――よりにもよって、跡取り息子が混じりものだなんて。
家の者はもとより、周囲の誰もがそう後ろ指をさした。
――ならば他に跡継ぎを!
どこからともなくそんな声があがったが、不幸なことに――そう。これはまぎれもなく瑠架にとっても不幸なことだ――両親がそれ以上の子宝を授かることはなかった。
結果としてアレキサンドライトの家は、裸石の欠陥をカバーするために、瑠架に対してことさら厳しい教育を施すことにしたらしい。父曰く「お前の子供に期待する」だとか。呆れてものも言えやしない。
「――でもさ」
蓮との話がひと段落したのか、いつの間にかこちらをむいていた浅葱がぽつりとこぼした。
「裸石が出てきた瞬間、一生が決まっちゃうんだから――やっぱり怖いよね」
言葉の合間から見え隠れする切実な感情に、瑠架と蓮は押し黙った。
この国では格の低い裸石をもつことの辛さとは別に、格の高すぎる裸石をもつ辛さもまた存在する。
「――なんてね。ごめん。なんか暗い感じになっちゃって」
浅葱は困ったように笑いながら革の鞄を手に取り、肩紐をぐるりと胴にまわした。
「大丈夫だよ、《採掘》は誰もが通る道。そこらじゅうの大人はみんな経験してるんだ。そんな酷いことになるはずがないだろ」
こんな時でも浅葱は笑顔を崩さない。その言葉も本当は瑠架たちではなく、自分自身に向けて言っているのだろう。次から次へと襲い来る不安を、どうにかして拭い去ろうとしているのだ。
「それじゃあ僕はこれで。そろそろ帰らないと、さすがにまずいから」
浅葱がそう言って踵を返すと、長めの黒髪がさらりと揺れた。彼は頬にかかったそれを払うこともせず、足早に教室を後にする。その背中はまるで、これ以上の追求から逃れようとしているかのようだった。
「――浅葱、召されちゃうのかな」
ぽつりと言った蓮を、再びぎろりと睨みつける。
しかし今度は減らず口が返ってくることもない。蓮自身が失言であると自覚しているのだ。それでも不安を吐露せずにはいられない気持ちも、瑠架には理解できる。
「……今からそんな心配したって仕方ねぇだろ」
《採掘》された裸石は石士によって加工され、金士の手にわたるのが常だ。文字通り金属のスペシャリストである金士は、リング台の制作と石留めを担う。そうして完成したリングは、持ち主の身分をあらわす証として、左手の薬指で生涯輝き続けることになるのだが――それにも例外があった。
よき裸石をもつ者は将来を祝福された者。もとはこの国の信教である美珠教の教えだが、今では一般的に浸透した社会通念のひとつだ。
では、よき裸石をひとところに――具体的に言うと、国の中枢である王のもとへと――集めれば、国の安泰をはかれるのではないか。それが国民を召し取る行為の根幹にある思想だ。
《採掘》された裸石が「価値あるもの」だと王室審査会によって認定された時、その石と持ち主は王室に召される。
召された裸石は、直属の金士によって王の玉座に埋め込まれることになるのだが、では裸石を手放した持ち主はどうなるのか――。
召された者には、王城でのなに不自由ない暮らしが約束されているそうだ。
しかし裸石と持ち主は一心同体。それを引き離せばどうしたって無理が生じる。召された者は、三か月から――長くても一年で死に至る、らしい。
「……でも、もし……」
言い淀む蓮は、浅葱を失うことを恐れている。
しかしそれと同時に、蓮自身もまた希少石の家の人間。自らも王に『召される』可能性を秘めているのだ。
「――ぐだぐだ言ってんじゃねぇよ……」
瑠架の言葉にもいつになく力がない。
優れていれば刈り取られ、劣っていれば蔑まれる。目に見えるものの美しさや価値に振り回されるこの世界は、誰にとっても残酷だった。