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6話 創作とは

 その日の放課後。

 燎はもらった夕食のリクエストを元に必要な食材をスーパーで調達したのち、ほたるの家を訪れた。


 慣れた手つきでほたるの現在住んでいるアパートを訪問し、合鍵を使って扉を開ける。

 ……女性の家、しかも一人暮らしの女の子の家の合鍵を受け取ることに当初燎は反対したが、どう考えても実用的に必要だということで押し切られた。


 ほたる曰く「あたしもそっちの家の鍵貰ってるからお互い様だよ」とのことだがどう考えてもそういう意味ではない。

 それはともかく。何故必要かというと今回のように食事を作りに訪問する際、ほたるの出迎えが無いことがそれなりにあるからだ。


 理由としては、二つ。

 まずは、単純にほたるが打ち合わせ等で家を空けている場合が稀にあること。

 そしてもう一つが──家には居るが、訪問に(・・・)気づけない(・・・・・)場合。


(靴がある。ってことは……先輩は今、作業中か)


 今回は後者と燎は玄関口で判断し。心持ち大きな音は立てないように気をつけながら、廊下を通ってダイニングキッチンに向かう。

 到着すると、そこから繋がる作業部屋の扉が少し開いており。ふと目に入ったその中の風景には──案の定。


「──」


 ほたるが居た。

 作業机の前でペンを持って、液晶タブレットに向かい、静かにペン先を動かし続けている彼女の姿があった。


 その美貌に浮かぶのは、学校で噂されているようなミステリアスな雰囲気ではなく、燎の前で見せるような感情豊かな表情でもない。

 ただ、ただ真剣に。全神経を液晶の中──自分の描くものに集中させている、真っ直ぐな無表情。鏡の如く、透明な美しさで満ちていた。


 姉から聞いたことがある。


『作者が楽しんで描いたものは読者も楽しめる。それはある側面では真実でもあるし、それ以上のことにも適用できるのよ。

 つまり……読者が(・・・)没入(・・)できる(・・・)作品には(・・・・)作者が(・・・)何よりも(・・・・)没入(・・)している(・・・・)


 没入感、というものは何かを楽しむ上で非常に大切な要素の一つだ。

 それを作るために、ほたるは漫画を描く際極限までそれに没頭する。感覚も、神経も、視界も、思考も、ひょっとすると魂まで、己の作品に入り込む。作家ではなく、一種の役者に近いレベルにまで深い没入を見せる。

『そこまで集中できる』ことが、彼女の持つ才覚の一つ。


 こうなった彼女に、周りの声は聞こえない。画面以外は目に入っていないし、それ以外の出来事に気づくこともない。

 今の彼女はまさしく、肉体以外の己の全てを作品の世界に置いてきている。


 軽々に入り込めるわけもない。この扉の先は文字通りの別の世界、『漫画家としてのほたる』にだけ許された領域。

 幼い頃に人生を変える作品に出会って、そこからずっと真っ直ぐに自分の目標を持って突き進んできた彼女だけが、見える世界だ。

 故に、燎は。


「……頑張ってください、先輩」


 敬意を込めて、その一言だけを届けてから。

 静かに扉を閉め、改めてキッチンに向かうのだった。




 燎が姉から頼まれた『業務』は、ほたるとのデートだけではない。

 メインがそれであることは確かだし給金が発生するのもそれだけだが、時給千二百円は普通に高校生のアルバイトで出して良い額ではない。

 その代わりと言うべきか、燎は料理を始めとしたほたるの身の回りの世話やフォロー、人手が足りない時には簡単なアシスタント業もこなすことがある。この辺りに関しては給金支払いの半分を担う姉との間で色々あったのだが、今は割愛しよう。


 幸い、燎は諸事情で現在姉と二人暮らしなこともあり、一般的な高校生よりは家事が出来る。とりわけ料理に関しては、最近作る機会が激増したことも伴って相応に上達はしているだろう。


 慣れた手つきでハンバーグの肉ダネを作り終え、続けてそれ以外のレシピの下拵えに移りつつ……燎が考えるのは、やはりほたるのこと。


 彼女と出会ったのは、約二ヶ月前。中学を卒業し、旭羽高校での新生活のためこちらに越してきた直後、姉の紹介によるものだった。

 そこから話し、仲良くなって。幸い姉の身内ということもあって彼女もすぐに懐いてくれ──その辺りで姉が考えていた『取材デート』のことを提案し、今に至る。


 そんな二ヶ月で、ほたるの様々な顔を見た。

 初めて会った時の神秘的で、少しだけ近寄りがたい美麗な顔。

 けれど親しくなるにつれて気づく、子供っぽくて表情豊かな愛らしい顔。

 そして──漫画を書いている時の、すごく真剣で格好良い顔。


(……漫画、か)


 そこまで思い返してふと、心中で呟く。


 ……これは、燎の持論だが。

 創作活動というものは、制作コストと消費時間の釣り合わなさが最も顕著な分野だと思う。


 小説の一冊。音楽の一曲。漫画の一話。絵の一枚。

 それらを作るのに何日も、何週間も……ひょっとすると何ヶ月もかけておきながら。

 それを鑑賞するのは、小説でも数時間。曲や漫画なら数分──絵に至っては、場合によっては数秒で人の目から外れてしまう。

 無論、この世の多くの事象はそうであろうが……それでも、とりわけエンターテイメント創作の分野ではそういう傾向が相当に強いと思うのだ。


 莫大な時間を費やして、自分の技術を、能力を、思考を──そして時に感情すら、全てを込めて一つの作品を作り上げたにも拘らず。

 僅かな時間しか、人の目には留まらず。どころか自分を費やしたそれを批評され、時には酷評され。最悪の場合は……誰にも見られず、日の目を見ることもなくひっそりと葬られてしまうことすらある。


 それが、創作活動。

 そういうものだと燎は、良く知っている。


 だからこそ──と。

 そこまで考えたところで、がちゃりと背後の扉が開き、振り向く。


「…………、かがり、君?」


 作業部屋から、ほたるが出てきて。夢うつつのようなぼんやりした表情でこちらを見据えてきていた。


 ほたるは、筆が乗ると基本止まらないタイプ。とりわけ今回のように極限まで集中していると、まず間違いなく燎が止めるまでやめることはない。

 そんな彼女が、自主的に出てきたということは。理由を悟った燎が、確認するために問いかける。


「……できたんですか?」

「あ……うん。ペン入れまでぜんぶ終わって……ともちゃんにデータ送って、確認ももらったから……」


 ほたるが現在進めていた作業──今度の連載会議に出す用の原稿の作成。その全ての工程が、つい今しがた終了したのだ。

 であれば、真っ先に言うべきことがある。


「そうですか……お疲れ様でした」

「うん……っ、これで、とりあえず、一息……っあ」

「先輩」


 労いの言葉に顔を綻ばせ、燎のもとに歩み寄るほたるだったが……その途中でかくりと体勢を崩し、慌てて駆け寄った燎に抱きとめられる。


「あ、ごめん……」

「っ、いえ」


 謝りつつ、ほたるが見上げてくる。その表情は緩み、目尻はとろりと下がり。なんとも言えない無防備な色気を醸し出していて、思わず目を逸らす。

 まだ没入から完全に『戻って』これていないのだろう。良くあることだと推察してなんとか意識を逸らし、引き続きほたるの肩を支える。

 その後も、椅子に座らせるまでほたるの足元は覚束ないままだった。

 漫画の世界への没入が抜けきっていないのもそうだが……単純に、疲れてもいるのだろう。


 当然だ。

 ほたるが今までやってきたことは当たり前だが……ただペンを動かしていただけでは断じてない。

 意識を、思考を。脳内のリソース全てを漫画の中に割いて、少しでもより良い展開や絵にできるよう集中を続けて。その上でそれを実現できるよう、描く線の一本一本に魂を込めて。全身全霊を、この数時間作品のためだけに費やし続けた。

 こんな、触れれば折れそうなほどの小さく華奢な体で。


 創作活動は、制作コストの割に消費時間は極めて短く。加えて努力したから絶対に評価されるようなものでもない。

 だからこそ……上に行ける人間は限られる。


 必死に描いたものが酷評を受ける可能性。全てを費やしたものが正しい形で公開することすら叶わない可能性。何も掴めない可能性。身が竦むには十分な、その恐れを前にしても。

 そんなもので、止まる理由は無いとばかりに。普通ならば恐怖が勝って、立ち止まってしまうところで──迷わずアクセルを全力で踏み込めるような。今のほたるのように、不確かなものでも構わず全霊を擲つことができるような。

 高い才能があることは勿論、加えて桁外れの、化け物のような精神性を持った人間。それこそ今日クラスメイトたちと話した、物語のような強い存在。

 そういう人だけがこの世界、上へ上へと昇っていくのだ。


 ……燎は、そうではなかった。

 何か特殊な才能があるわけではなく、凄まじいメンタルも持っていない人間。『そちら側』の住人でない平々凡々な存在であることは、重々自覚していたから。


 ──だからこそ、ほたるのように。『そちら側』で在れる人のことは心から尊敬し。

 そういう人たちが報われるように、成功できるように……できる限り、背中を支えるくらいはするべきだと思ったのだ。

 それが、燎がこのアルバイトを受けた最大の理由である。


「改めて、お疲れ様でした。……すごいですよ、先輩は」


 本心から、そう告げて。

 引き続き夕食作りを再開すべく立ちあがろうとした、が──


「……」

「……あの」


 先ほど抱きとめた時に、ほたるが燎の制服の上着にしがみついたまま一向に離れようとしないのである。


「ほたる先輩?」

「ん」

「そろそろ離して頂けると助かるのですが」

「や」

「一文字で会話しないで下さい。そしてや、でもないです。用意がまだできてないので、このまま離さないと夕食がなくなりますが」

「それも、や……かがり君のごはん、好き……でも……はなれるのも、やだ……」

「…………」


 成程、どうやら極度の疲労で意識を保つのも怪しくなっていると見える。そして眠くなると幼児化するところもあったのかこの先輩は。どれだけ多面性のストックを隠し持っているのだ──と益体もない考えはこれくらいにして。

 矛盾した欲望が漏れ出ており両方叶えるのは流石に燎でも難しかったことと、あとこれ以上至近距離でほたるの甘えるような声を聞いていると色々と精神的にしんどかったので。


(……仕方ない)


 しがみつかれているのは上着だけだったため、するりと脱いで拘束から脱出。そのままほたるを優しく机の上に横たえる。幸いほたるは離れる際に若干寂しそうな声を上げたものの、それ以降は大人しく従ってくれた。

 夕食ができるまであと数十分。軽く寝てもらったほうが良いだろう、と判断してその場を離れようとするが……

 その直前。ほたるが半ば無意識にまだ体温の残る燎の上着を抱き寄せ、枕代わりに机の上に置き、それに顔を半分埋めると。


「……♪」


 そのままふにゃっと心底安心したような、柔らかく蕩けた表情で眠りにつくという、最後の最後に色々な意味で特大の行動をかまして下さった。


(…………見なかったことにしよう)


 今度は燎の意識がほたるの方に置いて行かれそうだったので。

 毎度毎度、平常心を揺さぶるのは勘弁して欲しいと。幾度となく思ったことを今回も遠い目で思いつつ、努めて無心で調理を再開しに戻るのだった。

次回、名前だけは出ている新キャラ登場です!

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