5話 夜波ほたるの表の顔
夜波ほたる、旭羽高校二年。
その卓越した容姿と物静かな態度、加えて内面や私生活をあまり見せないその雰囲気より入学当初から話題に上り、二年になる今では学園二大美女の一人と言われるようになり。
加えて、これは周りには明かしていないことだが、『漫画』の一芸入試でこの学園に入学しており。既に課題で便宜を図ってもらう等、学園の恩恵を多く受けられる立場にあるにも拘わらず──それでも今は一般生徒と同じ量、勉学にも力を入れている才女。
その見え隠れする才能と、纏う不思議な雰囲気も含め、儚げでミステリアスな美少女と学園中から噂される彼女は……
「あ、かがり君!」
……その噂は何処へやら。
燎を認めると、即座に物陰のベンチから立ち上がって駆け寄ってきた。
その様子には儚さもミステリアスさも欠片もなく、どちらかと言えば懐いている相手を見つけ、尻尾を全力で横に振っている白犬とかその辺りだろうか。
そんな益体も無いことを考えつつ、近づいてくるほたるを見やる。
色々と面倒なことになるのが分かりきっている以上学校ではあまり関わらないようにしているため、制服姿を見るのは新鮮だが。
……やはり、凄まじく似合っていた。
元々制服のデザインも人気な旭羽学園ではあるのだが、紺を基調としたブレザーが色白な彼女の肌と美しい髪を存分に引き立て、通常よりも更に彼女の容姿が輝いて見える。
弘法が筆を選ばないように美人も服を選ばないのだろうか──などと、ついいつもの癖で考えてしまう燎だったが、今はそれを正直に言う必要はないと気が付いてほたるに目を向ける。
「学校で会うのは珍しいね。お買い物?」
「自販機で飲み物買うのを『お買い物』と表現するのは斬新ですね。それで……」
ほたるの表情には、シンプルな喜びと……加えて、何故か若干の焦りがあり。その内容にも検討がついている燎は。
「そ、そっか! じゃああたしも──」
「それで。なんで教室を怖がってここで丸まって震えてたんですか?」
ずばりと指摘すると、ほたるの体が固まった。
「……それ聞いちゃう?」
「先輩が話したくないなら聞かなかったことにしますが」
続けてそう告げるとほたるは、燎に話すことに対する羞恥と燎に聞いてほしい欲求の狭間で揺れ動くように視線を彷徨わせたが……やがて後者が勝ったらしく、すとんとベンチに座り直すと。
「えっとね……お昼前の授業の話なんだけど……」
こう、語り始めた。
「……グループワークが、あったんだよね」
「先輩の苦手なやつですね」
「うっ。だって……! 分かんないんだもん、一人でもできることをわざわざ複数でやる意味とか、自然な分担の仕方とか、色々!」
「確かにそれは俺も正解は分かりません」
「うう……あたしと同じグループになっちゃった人、かなり進行を遅らせてしまってごめんなさい……あと、すごい張り切ってあたしの分の割り振りとかをやってくれた、えっと……確か姫上君、ありがとう……」
「あー、先輩と一緒のグループならそれは張り切るんじゃないですかね……」
とりあえず適切な相槌を返しつつ、燎は思う。
当たり前だけれど、デート中とはかなり印象が違うなぁ、と。
燎は知っている。
ミステリアスとか、神秘的とか。主に受け答えや物腰を含めてそう評価されることの多いほたるではあるが……
……実のところ、この通り。その内の大部分は『ただの人見知り』で説明できてしまい。
彼女の容姿があまりに優れすぎている影響で、良く言えば好意的に、悪く言えば過剰に美化されて伝わってしまっている部分があることを。
「普通に、今俺と話しているみたいにすれば良いのでは」
「やだ。あたし、ひと、こわい」
「森の奥に住んでる亜人か何かですか。そしてじゃあ俺は何なんですか」
端的で真っ当な受け答え。どうやらそれが少しお気に召さなかったらしく、ほたるはぷくりと少しだけ頬を膨らませてこちらを見てくると。
「……かがり君、学校だとちょっとなまいきだね。……デート中はあんなに可愛いのに」
「今はデートではないので」
実のところその表情には若干動揺した彼だったが何とか堪えていつもの答えを返す。するとほたるは……軽く、眉を下げて。
「……うん、でも。きみの言う通りだと思う。それでもほかの人と仲良くできないのは、どう考えてもあたしのせいで」
珍しく、静かに告げる。
「やっぱり、まだちょっと。……クラスメイトの気持ちは、分かんないなぁ」
「……」
「きみは、笑うかな。デート中はあんな風にきみを連れ回すあたしが、学校じゃこんなに臆病だなんて」
「……いえ」
今の、ほたるの言葉から分かる通り。
彼女は、燎と行っている『デート』をする理由にも繋がる、とある問題を抱えている。
それを解決するには燎以外の人間、例えばクラスメイトとも積極的に交流をするに越したことはないだろう。
だがそれに対し、彼女はとても臆病だ。
つまりそれは、そうなるに足る何かしらの出来事があったということで。
それが何かは……
(……いや)
軽々に、聞くべきことではないだろう。
自分と彼女は、あくまで雇用者と被雇用者。その辺りの線引きをしっかりすると決めたのは自分自身である以上、自分からそこを踏み越えるような真似はしない。
それに、今の彼女は漫画の方でも大事な時期。そんな問題に拘っている暇はないはず。だからここは、時期的にも立場的にも何も触れないのが正解だ。
……でも。
それでも、何故か。このまま何も聞かずに去って終わり、というのは──どうしても、嫌だったので。
今の自分の立場で何かできることはと考えた結果、半ば無意識のうちに。
「……夕食のリクエストを」
そんな言葉が、こぼれ出た。
「え?」
「今日の夕食、リクエストを聞きますよ。多少手間がかかるものでも、俺の能力で作れるものであれば何でも大丈夫です」
ほたるが目をしばたたかせる。
「えっと、すっごく嬉しいんだけど、何で?」
「さあ。……たまには先輩の好きなものを作っても良いかと、思っただけです」
軽く目を逸らしつつそう言う。
ほたるは数秒こちらを見て……流石の彼女もすぐに気づいたのだろう。燎が今の話を聞いた上で、彼なりに労ろうとして今の提案をしたことを。
それを悟ったと同時、ほたるの口元が緩み……同時に、薄紫の瞳に悪戯げな色が浮かぶ。そのまま、目を逸らす燎の正面に回り込み、上目遣いで。
「かがり君。──今はデート中じゃないんだよね?」
「……デート中でなければデレちゃいけないなんて決まりはないでしょう」
「あれ。あたし、今のきみがデレてるなんて一言も言ってないんだけどなー」
完璧に墓穴を掘ったことに遅まきながら気付いた。
これはまずい流れだと悟った燎は、早々に話を切り上げるため。
「では、リクエストをまとめておいてください。放課後までに連絡いただければ対応するので」
「ああ、待って待って!」
さっさとその場を去るべく踵を返したところに、慌ててほたるが声をかける。
何とも言えない表情で振り向く燎だったが、次の瞬間。
ぴょん、とほたるが軽く飛び乗るように燎に近付くと、肩に手を置いて顔を寄せ。
ふわりと柔らかく、嬉しそうな美麗な微笑みを至近距離で見せてから、燎の耳元で。
「──ありがとっ」
囁くように、告げる。
その後、跳ねるようにその場を離れて、最後去り際に。
「あ、とりあえず──ハンバーグは確定で!」
満面の笑みでそう言うと、今までの沈んだ雰囲気が嘘のようにスキップ気味の足取りで、曲がり角へと消えていった。
「…………いや、子供か」
当然、残された燎は。
今の表情とか肩に置かれた手の感触とか間近で見た可憐極まる表情とか甘い残り香とか諸々を意識しないよう、そう呟くのが精一杯だった。
ちなみに。
その後、学園では大変珍しい『すごく上機嫌そうな顔の夜波さん』の姿が発見され新たに数人の男子生徒の心を撃ち抜いたことと。
燎がそのまま戻り、飲み物を全て買い忘れたと気付いて大急ぎで自販機までもう一往復する羽目になったことは、ささやかな余談である。