31話 影響、変化、たった一言
全校集会を終えた後の校内は、一つの話題で持ちきりとなった。
話題の内容は言うまでもなく、あの動画のこと。生徒会の尽力もあって例年の中でも素晴らしい出来だった体育祭を、最後に更に素晴らしく彩ってくれた。最高の思い出を鮮やかに演出してくれた動画の好意的な感想が、校内中を駆け巡った。
……そして、必然。
その話題の先は、あの動画のスタッフロールにあった唯一の個人名である、一人の少女に集中して向かうことになり。
「夜波さん! あの絵描いたの夜波さんだったの!?」
「動画見て初めて分かったんだけど、ちゃんと全競技描いててくれたの超感動した……! どれだけ時間かかったの、いつ描いたの?」
「ていうか夜波さん、一芸入試組って聞いてたけどやっぱイラスト関連!? すごい!」
ほたるが所属する二年B組では、それこそクラス中の注目が彼女に向いていた。
怒濤の如く浴びせられる質問の数々に対し、ほたるは目を白黒させながら一つ一つに答えていくが……そんな中で彼女の胸中を占めていたのは、ある種の驚き。
(……こんなに、変わるんだ)
先日まで彼女の評価は、告白した相手をひどい言葉で振った冷血な人、だった。誰も話しかけようとすらしなかった。
……いや、その評価がひっくり返ったわけではないだろう。事実クラスの中を見渡せば、未だ訝しげな目を彼女に向けている人もちらほらと見かける。
それでも――それだけではない、と思ってくれた人も確かにいたのだ。いたけれど表には出ていなかったそうした彼ら彼女らが、あの絵のインパクトのおかげで。あんな絵を描く人が噂されているような人ではないんじゃないかと思ってくれて、こうして今興味と好意を向けてくれているのだろう。
それに、何より。
「……えっと、夜波さん?」
思考に沈んで沈黙したほたるを疑問に思ったか、クラスメイトの一人が首を傾げて問いかける。ほたるがはっと意識を戻すと、少し慌てて胸の前で手を振り。
「あ、えと! その、思った以上に反響がすごかったからちょっとびっくりしちゃって。でも……」
何より良かったことを。今の心境を、素直に告げる。
「あたしの絵で、みんながこんなに喜んでくれたの。……すっごく、嬉しい」
そうして、心からの微笑みを見せる。
その笑顔は、少しの照れを含んだとても柔らかな、甘さすら感じさせるもの。どこか透明感のある美貌の彼女がそんな表情をするというギャップも相まって、異性どころか同性ですら虜にしてしまいそうなほどの破壊力を持つくらい美しいもので。
「……いや、可愛いすぎない?」
これまで、クラスメイト誰も見たことのなかったそんな表情を目の当たりにして。
質問した生徒のそんな呟きが全員の心理を代弁し、多くの人が同時に思った。やっぱり、彼女は今まで噂されていたような人ではないんじゃないか、と。
そうして、彼女を取り巻く雰囲気は確実に変わりつつあった。
……いいや、変えてくれたのだ。『絵で語る』という夢物語をどうしたら現実にできるか必死に頭を巡らせて、それをこの上ない形で実行してくれた彼がいたから、今彼女はここでクラスメイトに笑顔を向けてもらっている。
だからこそ。
その行動に恥じないために、一緒に走ってくれる彼の成果を無駄にしないために。ほたるもここで、勇気を出して踏み出す必要があるだろう。
故に、まずはその第一歩として。この騒動の発端となった、彼女の過ちを正しい形に戻すために。
クラスメイトの質問攻めが落ち着いてきた頃合いで、彼女の近くでどう声をかけようかおろおろしているとある男子生徒に向けて。
少しの緊張と共にほたるは近づき、声をかけるのだった。
「……姫上君。今、ちょっといいかな?」
姫上――騒動の始まりである、ほたるに以前告白をした男子生徒と共にとりあえず人気の少ないところに移動して、改めて向かい合うと。
「ごめん……っ!」
まずは、全力で謝った。
必死に思いを告げてくれた相手にあんな言葉を向けたことを。そうして、その結果意図しない形でひどい噂が広まったことを。彼自身はそれを気に病んでいたことは、伝聞で知っていたから。
そうして事情を説明する。自分が漫画の一芸入試組であり、あの日は連載会議に落ちた翌日でメンタルが相当に参ってしまっていたこと、『興味が持てない』は完全な本心ではなく言い過ぎであったことまで。包み隠さず、彼には言うべきだと思ったから。
「ほんと、あの日は心がもう色々と限界で。言葉とか思いとか、そういうのをちゃんと受け入れる余裕が全然なくて……ひどいこと言っちゃって、あ、そのだから許してとかそういう言い訳のつもりとかじゃないんだけど、とにかく――」
「よ、夜波さん。大丈夫だからとにかくその、顔あげて」
あまりの全力謝罪にむしろ彼の方が慌てた様子でほたるに頭を上げさせると、彼の方も後悔するような表情で言葉を返す。
「こっちもごめん。……冷静になって考えたら、普通にあの日は僕の方もどうかしてた。断られたのに食い下がってなんとか、ってやってる時点でどう考えても駄目だよ。……だからその、本当、ごめんなさい」
「ううん、それだけ好きでいてくれたこと自体は嬉しかったから。だからあたしが……」
そこからは、謎の謝罪合戦となった。
お互い、一切の悪気は無かったのだ。ただそれでも上手くいかないことがあるほどに、人の心というものが難しいというだけで。
双方がそれを理解し、謝り合いが落ち着いてきた頃合いで。
「……あー、夜波さん。それじゃあ最後に、良いかな」
「ん?」
「その、これを断られたら今度こそすっぱり諦めるって約束する。変な食い下がり方ももう絶対にしない。……その上で、聞いてほしいんだけど」
きょとんとしたほたるとは対照的に、真剣な表情で告げる。
「これからクラスメイトとして普通に交流するくらいは……お願い、できないかな」
「え」
「ここからほぼ一年同じクラスなんだ、これっきりで完全に交流がなくなっちゃうのも結構きついし……今夜波さんの気持ちが向いてないのも分かるけど、これからちゃんと交流を続けていればいつかは――って下心も正直ある」
「えと……そう、なの」
「あ、もちろん前みたいに変なことは絶対しない! 嫌だったら言って欲しいし、もう関わりたくもないってことなら……ちゃんと、そうする。でも、それでももし。興味を持てないのが本心じゃないって本当に思ってくれてるなら……」
真剣な。以前とは違う、ちゃんとほたるを気遣った上でのそれでも真っ直ぐな心を宿した表情。微かな驚きと共に、ほたるが言う。
「……ええと、あたしは多分、今までみんなが思ってたような子じゃないと思うけど」
「うん、今日までのことでそれは分かった。そういうことも含めて、知りたいと思ったんだ」
「恋愛、についても。正直良く分かんない部分が多くて、姫上君にそういう気持ちを持つことは……少なくとも現時点では、全然想像できないんだけど……」
「それでも良いし、罪悪感を抱く必要も無いよ。ただ僕が、振られただけでもう一切話もしなくなるのが嫌ってだけの話で」
確認に対し、彼は少し気恥ずかしそうに、それでも正面から彼女を見据えて。
「そう思うくらいには……その。あなたのことが好き、なので」
「――」
聞いているこちらまで、照れてしまうほどの。真っ直ぐで含みのない言葉と想いを、捧げるように告げてきて。
……すごいな、と思った。
これほどまでに真摯な想いを、揺らがずに持てる人のことを。
許されるのならば、もっと知りたいと思ったし、できるならば話したいと思ったから。
「クラスメイトとして、友達として、なら」
そこは一応強調しつつ、それでも心からの敬意と改めて言う少しの照れと共に。
「……うん、ありがとう。こちらからも、お願いします」
微かなはにかみ笑いと共に、そう返して。
ようやく、一つの騒動を良い形で収めることもできたのだった。
……なお。
流石にクラスのあんな状況で二人、人気の無いところに行くというのがそもそも無理な話で。相当数のクラスメイトが所謂出歯亀と化し、密かに一連のやり取りを隠れて見守っており。
結果的に校内の誤解を解くのに一役買ったものの、最後のほたるの笑みを見た姫上の見惚れた表情を見て『あれは惚れ直したな』『夜波さん魔性の子だった』等々の謎の評価が付け加えられることとなるのだが。
それはこの場の二人も、預かり知らぬ出来事である。
◆
そこから午前中の授業を経て、昼休み。
「……」
燎は周囲の会話を拾いながら、校内を巡るように廊下を歩く。
昼になっても、校内では未だ朝のことがそこかしこで話題に上がっていた。
更に言うなら、ほたるのことについて。元々校内でも目立つ生徒だったことに加えて、最近は何かと話題の中心に登っていたことも合わせて動画のことについて語る生徒は必ずと言って良いほどほたるの件についても言及していた。
聞くところによると、例の告白についても今朝あの後、ほたるがしっかりと謝罪と共に誤解を解いたらしい。噂の内容にほたるに関する悪意を持ったものはほとんどなく、彼女の絵に対する評価や告白の件に関する彼女への同情等が大半を占めていた。
悪意のある風評が、無くなったわけではない。誰が何をしようとも悪意を持つ人間は一定数おり、基本何をしようともそれが消えるまではいかない。
ただ……それが気にならないほどの好意的な意見によって、目立たなくなっていると言った方が正しいだろう。そもそもの噂の発端である芸能系一芸入試組の女生徒たちに関しても、『ちゃんと釘は刺したし、この状況で何かしようと思ったら必然的に自分達の方が悪目立ちする。まぁ表立って噂を流したりとかはもうしないんじゃね? 一応反省もしてたっぽいし』と影司の談だ。
つまるところ――最高の形で決着した、と言って良いだろう。
ほたるの作品を見せて、彼女が噂されるような人物でないと知ってもらい、現在校内を支配している彼女に対する風評をひっくり返す。通常の手段では難しいと思われたそれを、強引な手段でけれど綺麗に成功させることができた。
良かった、と心から思う。
だから、あの動画を作って。そして、動画の最後にほたるの名前を載せて。
――燎の名前は、載っていない。
あの動画を制作したのはあくまで『有志』で、燎の名前が企画者として出ることはない。よって制作関係者以外は誰一人、そもそもの発案が誰だったのかを知ることはない。
「……」
別に、格好を付けているわけではない。
動画のスタッフロールに燎の名前を入れなかったことには、二つの理由がある。
まず一つは、載る個人名はほたるだけにしたかったこと。
より詳しく言うなら、校内の注目をほたるだけに集めたかったのだ。あれは彼女の絵を見てもらうことを第一目的として制作したものであり、彼女への注目を分散させるような余計なノイズは減らしたかった。
よって、ほたる以外のスタッフロールは全て組織名だ。『生徒会』『写真部』『パソコン部』等々、関わった部活等の組織単位で全て揃えてあるし、そうすることに影司含めて了承も得ている。
それが九割。そして残り一割を占める二つ目の理由は……
(……本当の意味で、『俺が作った』とはとても言えないからな)
ただの、感傷。けれど本心だ。
そう、あの動画制作においては本当に多くの人の力を借りて……より正確に言うなら、燎が多くの人の力に寄りかかる形で完成させている。
絵に関しては言わずもがな、そして何より――動画に関しても。
実を言うと、あれもパソコン部に協力どころか大半の力を借りている。プロではないが動画制作のエキスパートがいるとの事で、その人にこの三日間ずっと付き合ってもらう形で完成させていたのだ。
燎も多少の心得こそあるとはいえ、あくまで作曲に付随する動画の見栄えのためにやっているだけであり、それだけで本職に迫るクオリティのものを作れるほど甘くはない。
動画の構成やアイデアはあるもののそれを実現する技術力まではなく、アイデアをそのエキスパートに形にしてもらった。だから動画に関しても、なんなら絵に次いで他力本願で完成させていると言って良い。
それに写真部とほたるの高クオリティの素材を用意してもらってようやく、あの今も全校生徒に噂される、あれほど感動させるものができたのだ。
……これでどうして、本当の意味での『制作』を名乗れよう。
ああ、だから当然だ。
あの動画の最功労者は間違いなくほたるであり、燎はそれ以外の中の一人で。
今も周りから聞こえてくるほたるに関する評価と……動画に関する評価も。全てがほたるの絵と、動画そのもののクオリティにばかり言及しているのも、当然で。
――それ以上を求めるなんて、烏滸がましい話で。
「……ほんと、朝の動画凄かったよね!」
「ね、今思い返してもちょっと鳥肌立つもん」
そう思っている間に、廊下の向かいからも。二年生の二人組が動画について話しながらこちらに歩いてくる。
「夜波さんの絵、体育祭の時も見てたけど全然気付かなかった。漫画の一芸入試なんだって? もうなんていうか、流石プロって感じ。本当に体育祭のことを考えて描いてくれたんだってのがすごい伝わってきた」
「さっきちょろっとB組覗いたけど、普通に感情豊かで超可愛い子だったよね。あの噂に関してもちょっとしたすれ違いだったみたいだし……やっぱ噂は当てにならないね」
「動画のクオリティも超良かった! やっぱりうちの高校文化部が強いんだって再確認したよ」
「普通に動画サイトで見るレベルだもんね、あんなの作れる人が同じ高校にいるっていうこと自体がちょっと感動する」
この人たちも、あの動画で感動してくれた。ほたるへの誤解を解いてくれた。今も笑顔で、作品について話してくれた。
だから、それだけで、十分――
「――でさ、曲もやばくなかった!?」
「分かる! 動画にめっちゃ合ってたって言うか、最後の盛り上がりのところとかもうぶわーってきたもん、今も頭の中でリピートできるくらい!」
その、会話一つをすれ違い気味に交わして。
以降は別の話題に移りつつ、二人組は廊下の逆方向に消えていく。
……。
「…………、」
…………所詮、他人の言葉だ。
別に、あれだけ動画について語っている人が多いのだからそりゃ誰かが曲に関しても言及ぐらいするだろう。
ファンがゼロ人のコンテンツなどそうないのだ、その中の誰かが好意的な印象を持つことだって全然不思議なことじゃない。
そもそも、曲だってプロの先輩の監修を受けていただろう。そのおかげで最低限動画に合っていないとまでは言われないものになっただけで、お前の力じゃない可能性だってある、むしろその方が高い。
それ以前に、好意的な感想自体は過去曲を作っている時に何度も貰った。たかが言葉一つに一喜一憂する時代なんてとうの昔に過ぎ去ったはずだ。
「……はは」
だから、所詮他人の言葉に踊らされることなんてあってはいけない。
「なんで」
自惚れるべきじゃない。
喜んでられない。
「くそ」
分かっているのに。
それなのに。
「~~~~~~! っ、ぁ……ッ!」
暴れ出しそうな片腕をもう片方の腕で押さえる。湧き上がる高揚感も全力で押さえつけ、意志とは関係なしに飛び跳ねてしまいそうな体を必死にセーブする。
下手すると再現なく緩んでしまいそうな表情を、溢れ出しそうな叫び声を、全力で歯を食いしばって堪える。そうしないと、全身の感情表現を抑えていられなかったから。
……ああ、それでも。創作者は馬鹿な生き物だ。
だって――所詮他人の言葉で。そのたった一言で、こんなにも喜べてしまう。
作って良かった、って。今度こそ、心から思えてしまうんだから。
抑えきれなかった感情が発露する。片手だけの、けれど渾身のガッツポーズを作る。
……本当は、それだけで良かったんだ。
この感情だけで、何度だって立ち上がれて。いつまでも作っていられる。
創作を続ける理由なんて、それくらい単純で。単純で良くて、ちょろくて上等で。
それを、思い出せた。
思い出せて、良かったと今は思えた。
そのまま、高揚と歓喜に動かないまま身を任せるほどしばし。
ようやく収まってきた感情の奔流に息をつき、けれど何処か浮き足だったようなふわふわとした感覚のまま、とりあえず教室に戻るかと歩き出そうとしたその時。
「お、燎。探したぞ、こんなとこにいたのか」
正面から声、見ると影司が手を上げてこちらにやってきていた。
急いで顔を引き締めて緩みの残滓を追い出す。これまでの表情は正直あんまり見られたくない、というか目撃されていなかっただろうな、と内心不安になりながら問いかける。
「影司、どうした。何か用事か?」
「あー、それなんだが」
すると、影司は中々に珍しく少し気まずげに目を逸らすと。
「端的に言うと、ちょっと一緒に来て欲しいとこがある。……まぁあんだけやらかせば当然っつーか、多少は怒られるだろうがそこまで悪いようにもされないだろうから大人しく来てくれると助かるっつーか……」
そのまま要領を得ない言葉を呟いていたが、首を傾げる燎に対して一息つくと、まさしく悪戯がバレた少年のような苦笑を浮かべて。
まずは目的地を、告げるのだった。
「――生徒会室。うちの会長が、お前を呼んでる」




