3話 業務背景と二人の心
夕方、十六時。
本日の業務、終了。
「……」
予定を全て消化し、ほたるの家に到着した瞬間。それが彼らの間で取り決めた『デート終了』の合図だ。
すなわち、これで燎はお役御免……と言うには、この後ももう少しやるべきことが残っているが。
少なくとも、『デレ強制』という苦行からはこれで解放される。
「……はぁー……」
それを実感し、ほたるの家の玄関口で息を吐いて座り込む。仮にも今までデートをしていた相手がまだ隣にいる状況でする態度ではないが、流石に本日も心労がやばかったのでこれくらいは許してほしい、と思う燎である。
そして、そんな彼とは対照的に。
「♪」
ほたるは、この上なく上機嫌であった。
「そっかそっか~、ああいう時、男の子ってあんな表情するんだ。ふふー、今日も良いもの見れたなぁ、参考にさせてもらおっと」
心の底から楽しそうに肩を跳ねさせ、口元を緩めている。そんな表情もすごく可愛らしくて美少女は得だと思ったが、もうデート中ではないので素直に言わなくて良いことは幸いだ。
恐らく今彼女は、本日燎が強制的に素直にさせられた際のあれやこれやを思い出しているのだろう。割と真面目にやめて欲しい、が……それが彼女にとって必要であることも理解していたので。面と向かってやめろとは言えず。
「……それで」
その代わりとばかりに、燎は今日の内容を総括し──こう、問いかけたのだった。
「本日の『業務』──取材デートも、ちゃんと作画参考になりましたか? ほたる先生」
……そういうことである。
夜波ほたる、十六歳。職業は高校二年生──兼、漫画家。
そんな二つの顔を持つ彼女は燎の問いかけに対し、少しだけ困ったように笑う。
「先生、呼びはやめて欲しいかなぁ。まだ連載はしてないし、何よりきみには『先輩』って呼んでもらう方が好きだし」
彼女は中学三年生の時、某大手出版社主催の新人賞に応募。
惜しくも賞こそ逃したものの、その原稿がとある新人編集──正確には当時は編集者になる予定のアルバイトだったが──の目に留まり。
そこから彼女と二人三脚で、正式なデビューを目指して邁進中だった。
実力、画力においては既に申し分ない域に達しているとのその編集の談だったが……彼女の描く漫画には、それでも補いきれないとある弱点があった。
──人物の感情描写が、致命的なまでに下手だったのである。
その原因は、彼女の中にある感情の表現力不足ではなく。そもそも『彼女の知っている感情』のサンプルが極端に少ないことに起因していた。アウトプット能力ではなく、インプットの数自体が不足していたのだ。
それを見抜いた担当編集が、ほたるとの協議と諸々の経験を経て、とある一計を投じた。
「……それこそどこの漫画かってくらいベッタベタな手法だけど。……取材デート、やってみる?」
と。
描写能力が比較的恋愛漫画に向いていることもあって、ほたるはそれに興味を示し。まぁそこから更になんやかんやあって、その担当編集の弟である燎に最終的には白羽の矢が立ったという経緯である。
……だが、問題はそこからだった。
そもそも、その編集の言う通りそれこそ恋愛漫画で時折出てくるこの『取材デート』とは往々にして、もうぶっちゃけて言ってしまえば……『取材』とかこつけて主人公とヒロインがイチャつくためのものでしかない。
それらのように、単純に男女が会って出掛けてハイおしまい、では望む情報や感情のサンプルなど到底取れるはずがない。「取材舐めとんのかって言いたいわよね」と編集の談である。
真の意味で『取材のためのデート』をしたいのであれば。
デートの時々で、取材者の求めに応じてその時何を感じ、どう思い、どうして行動したのか。感情の流れから行動の理屈、段階から伏線までまるっと全部包み隠さず開示する必要があるだろう。
そんな、取材をする上では至極当然の理念のもと、生まれた今回のデート中の条件。
ほたるの質問には全て素直に答え、求められたときはその時の心中や行動理由、考えていたことまで全て回答しなければならない。
端的にまとめて──『デート中は絶対にデレること』である。
以上が、この奇妙なお仕事が生まれた経緯だ。
「……」
実際、効果はあったらしい。
これを始めてから、仕草や表情での感情描写……特に女性であるほたるには分かりにくい『男の子の心理』をよく捉えられるようになり、今までとは段違いに繊細な心理の描き分けが可能になってきているとのことだ。
まあ、その代償として今回示したように、毎度のデートで燎の心に甚大なダメージが入る仕様となっている──が。
燎としても、これを止めるつもりはない。
ほたるの担当編集である姉には色々と世話になっているというのもあるし。
何より──『漫画家としての夜波ほたる』のことは、彼も心から尊敬しているのだ。
良い作品を作るためなら、自分の感情くらい好きに使ってくれて良いと思える程度には。
そう、こうなった経緯を思い返している辺りで、多少は心も落ち着いてきた。
立ち上がって、ほたるに声をかける。
「それじゃあ、先輩はこれからネーム制作作業ですよね。頑張ってください。俺は──」
「あ、うん。そうだけど……大丈夫? 今日はかがり君、結構疲れたみたいだし……」
だが、この先輩は。
「……ちょっとだけ、一緒にお休みする?」
デートが終わってもなお、彼の心を掻き乱そうとするのである。
「……遠慮しておきます」
「えー、なんで? あたし、今日はもうちょっときみとお話したくて……」
「もうデート中じゃないので。……あと、先輩」
「うぇ、えと、な、なに……?」
流石に我慢の限界だったので。
意図的か、無自覚か。今回は七三くらいの確率で後者と判断した燎は、少しだけ語調を強めてほたるの元へと歩み寄り。謎の圧に少しだけ怯むほたるに向けて、告げる。
「俺が言うのも何ですが……あんまり男子高校生のちょろさを舐めないで下さい」
何とも情けない話だが、これは言っておくべきだろうと思ったので。
「……はい?」
「あのですね。先輩はこういうこっ恥ずかしいことをしてもそんなに気にしない性格だってことは重々承知しておりますが。俺は残念ながらそこまで心臓強くないんすよ、そもそも……」
「か、かがり君、口調乱れてる」
「今だけは黙って聞いてくれます?」
「あ、はい!」
指摘を受けて多少は落ち着きつつ、それでも続ける。
「まずですよ。いくら仕事でも先輩みたいな美人とデートして、形だけでもバカップルみたいなことして、それだけでもいっぱいいっぱいなのに。その上デートが終わった後も先輩と二人っきりで居ろとか何の新手の拷問ですか。そんなことしたらですね……」
結局本心曝け出してんなぁと思いつつも、この先輩にはこれくらいはっきり言わないと伝わらない人だとこれまでの経験で分かっていたので。
若干目を逸らし気味に、一言。
「……本当に好きになってしまうかもしれないのが、思春期男子っつー悲しき生き物なわけで」
「!」
「俺は役者でもなんでもないので、感情の整理には時間がかかるんですよ。俺と先輩は、あくまで仕事の相手。仕事相手がそんなんは先輩も嫌でしょう、先輩の目的のためにもその辺りの線は、引くべきかと」
燎は、この仕事をするにあたり一つ心に決めていることがある。
今言った通り──ほたるに明確な恋愛感情を抱かないことだ。
だって、もしそうなってしまったら。
燎は確実に……ほたるに言えないことが出来る。今日のデートでほたるに晒したような、まだ真っ当な『きれいな本心』だけを開示することが叶わなくなる。
ほたるの方だって。
あくまで燎が『そういう相手』になり得ないからこそ安心してこういうことができている部分はあるだろう。燎が無害で安全であるからこそ、気兼ねせずバカップルのようなある種の『演技』が成立している。
そして何より──自分とほたるは、あらゆる意味で釣り合わない。
それを燎自身、しっかりと理解してしまっているから。
「というわけで、デートの気分はここまで。ここからは先輩は漫画を頑張って下さい、俺は姉貴に頼まれた分のことを片付けますから」
「わ、分かった」
ほたるが辛うじて頷いたのを確認すると、燎は踵を返す。
ただ、流石にこのまま別行動をするだけではお互い後味が悪すぎるかと考えたので。
「……夕飯は、冷めても美味しいものを作っておきますので。
筆が乗ると止まらないタイプなのは分かりますが、ちゃんと食事はとってくださいね?」
「! ……うん!」
最後に、気遣いの言葉を一つ。それでほたるもある程度は安心したのだろう、柔らかく微笑んで。それでお互い自分のやるべきことをやる、ごく普通の……そして、ちょっとだけ仲の良い先輩と後輩に戻っていき。
「…………はぁ」
ほたると、完全に別れて。改めて、燎は一息をついた。
「……ほんと、色々としんどい……」
暁原燎の主要業務は、夜波ほたるとのデート。
目的は彼女の漫画の描写向上に必要な感情のインプット。
そのための条件──『デート中は、絶対にデレること』。
どんなに恥ずかしくても、自分の感情は素直に開示して。
あんな美少女と、表面上とは言えこの上なく仲良く楽しく過ごし──
その上で、好きになってはいけない。
……改めて。思春期男子には、中々に辛い所業である。
故に、彼は。高校生のアルバイトとしては破格の報酬であることを理解した上で、それでもこれだけは言わせてほしいとばかりに。
「……時給千二百円は、妥当だよ」
それだけを呟いて。
そうして、ほたるの家のキッチン──姉に頼まれたデートとはまた別の業務、割と不摂生気味のところがあるほたるの体調管理。破格の時給と引き換えに頼まれるさまざまな仕事、その一環としての夕飯制作に向かう。
……そんな燎は、気付かない。
「……『先輩はこういうこっ恥ずかしいことをしてもそんなに気にしない性格』、かぁ。……かがり君には、そう見えてるんだ」
自室に戻り、扉を閉めたほたるの表情が……デート中でも見せたことがないほどの紅潮を見せており。
今日の自分の所業を思い返し、何とも言えないむず痒さに耐えるように口をもにょもにょと動かしてから。
その、最後に。
「……べつに……」
照れるように、拗ねるように。
目線を明後日の方向に向け、誰に向けるともない口調で、ぽつりと一言。
「……本当に好きになってくれても、いいのに」
その言葉は、既に調理を始めた燎には当然届くことなく。
二人の本日のデートは、つつながく終了した。
暁原燎と、夜波ほたる。
関係性は、先輩と後輩であり、漫画家とアシスタントもどきであり、雇用者と被雇用者。繋がりは、週に一回の特殊なデート。
『デート中は、絶対にデレること』。そんな全てを赤裸々に開示するようなことをしているにも関わらず、その裏に大きなものを隠していることを。
今はまだ、お互い知る由もないのであった。
以上がプロローグとなります。
ここから先も、学校やデートでほたる先輩といちゃつきつつ
お互いの裏側を知り合っての更に惹かれていく様子を描いていきます!
是非是非、この先も読んでいただけると嬉しいです!
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