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28話 簡単なこと

 そこから、体育祭に向けた燎の計画を進めるべく、全力の準備期間が始まった。

 他の生徒に明かせないことも多い以上、協力者は限られる。影司や星歌を含むごく少数の人員でほとんど秘密裏に準備を進める必要があった。

 必然、一人ひとりの負担は極めて大きくなる――が、影司も星歌も驚くほどに進んで、嫌な顔ひとつせずに協力してくれた。星歌に関しては影司のように目標が一致したわけでもなく単純に巻き込まれただけなのに、「面白そうじゃん、私も一枚噛ませてよ」と快く手伝ってくれたので感謝しかない。


 そして、影司。

 正直言って舐めていた。いや元から非常にハイスペックな人間だと理解はしていたが、その想像を更に数段上回ったとでも言おうか。

 燎が計画を進める上で必要だと思った人材への伝手も容易く済ませてくれたし、看板制作に関する許可取りや手続きの諸々……つまるところ面倒な裏方の根回しを尋常ではない速度で済ませてくれたのだ。

 処理能力やコミュニケーション能力、何より人脈がえげつなさすぎる。お前本当に入学して一月半か、と突っ込みたくなったことは数知れない。

 ただ、もちろんそんな彼が今手を貸してくれていることは非常に頼もしいことは間違いなく。お陰様で燎やほたるがその辺りの面倒に手を煩わされることはないだろう。


 影司も星歌も、そしてほたるも。燎の企画に乗って、自分のやることを全力で進めてくれている。

 ……だから、こそ。

 燎自身も、企画を進める上でやるべきこと。向き合うべきものに立ち向かう必要があるだろう。


「……」


 そんな決意のもと、現在燎は自室の机に座り、パソコンを起動していた。

 マウスカーソルが指し示す先は、これまで燎を幾度となく苛んだ悪夢の根源。


「…………」


 実を言えば、『これ』に関しては厳密には絶対にやらなければいけないことではない。その気になれば別のもので代用することもできるし、なんならその方が企画の上では無難だ、わざわざリスクを犯すメリットは無いとは言わないが薄いことには間違いない。

 ……でも。

 それでも今この瞬間、向き合うべきだと思ったのだ。彼女に背中を押してもらって、一緒に走ろうと言ってもらって。彼の奥底に巣食うものを振り払うにはこの上ない機会を与えられたこの時に動けなければ、今までの自分と変わらないと思ったのだ。

 だから、わがままかもしれないけれど。許可を取って、仲間たちにも背中を押してもらって、今この場で立ち向かうことに決めた。


「……やる、か」


 そのことを思い返し、覚悟を決めて。

 燎はひとつ息を吐いて――マウスのボタンを、押す。


 短い起動画面ののち、現れたのは見慣れた黒いウィンドウ。無数の電子音の中から選び抜いた一つを組み合わせて、誰かに届ける作品を生み出すための音の宇宙。

 幾度となく眺め、慣れ親しんだ作成画面の懐かしさに感傷に浸る間も無く。まずは決めていた始まりのメロディを機械的に打ち込むべく、所定の場所に最初の音を持って行って――

 ――そこで、声が聞こえた。



『どこが面白いのか全然わからないわ。あなたには向いてないんじゃない?』



 一瞬で、吐き気がぶり返した。


「――ッッ」


 口元を押さえてその波をなんとかやり過ごすと、もう一度マウスに手をやるがそこで。


『没収だ。お前には不要なものだろう?』


 また、声。

 鈍い頭痛に苛まれ始めた自身の体調を気合いで無視して手を動かそうとするが、


『来週からまた新しい学習塾だ。余計なことにかまけている時間はないぞ』

『暴力を振るうなんて前時代的なことはしないわよ。ちゃんと可愛い我が子には真っ直ぐ、言葉で向き合ってあげないと』


 条件反射の如く、抗えない引力があるかの如く。ソフトを動かそうとする度に強く両親の声が何度もリフレインして脳内を殴りつける。

 幻聴だと分かっている。紐付けて勝手に自分の頭が記憶を掘り起こしているだけだと理解はしている。

 でも、だからと言って振り払うには、あの時期の出来事は強く絡みつきすぎていて。


『あなたが好きな作曲家さんのインタビューを見たわ、最初の曲からすごくたくさんの人に聞いてもらっていたみたい、天才なのね。それに比べてあなたは……ねぇ?』


 うるさい。


『担任に聞いたぞ、最近人付き合いが悪く協調性がなくなっているとな。それもこれも全てお前が――』


 うるさい。


『あなたが本当に続けるつもりなら意思を尊重はするけれど、でも最近成績も落ちてるし作った曲だって全部面白くないし口も聞いてくれないしご飯も残すしなんだか乱暴になってるし反抗期って言っても限度があるしいつまで経っても挫折を認めないし』


 うるさいうるさいうるさい――といくら心の中で叫ぼうとも、あの時期に強制的に聞かされ続けもはや染み付いてしまった言葉の数々は止まることを知らず。


『いい加減に諦めろ』『あなたの為を思って言ってるのよ』『お前のことはお前よりも分かっている』『人の忠告を無視するような子じゃないわよね?』『わざわざパソコン室でやる必要なんてないだろう』『暁原、お前気持ち悪いよ』『親御さんともう一度相談しないと』『はい、私どもの管理不足です』『良かったわね燎、もう意地を張らなくて良いの』――……。


 やがて、記憶と幻聴の洪水に押し流されて押し潰されるように。

 もう椅子に座っていることですら耐えられず、崩れ落ちて床に蹲る。


「……ちく、しょう」


 分かっていたことだ。

 旅をして、過去を見つめ直して、その果てに理由をもらって。今なら乗り越えられるだなんて、また懲りずに淡い期待をしていたつもりだったか。

 ……それでも簡単に振り切れるものでないからこそ、こんなに苦しいんだろうが。

 それくらいに、あの時は負のイメージを持って燎の脳裏にこびりついてしまっている。苦しさと辛さで塗り固められながら作った体験が、最悪の形で立ち上がることを拒絶する。


「――でも」


 別に、今じゃなくても良いのかもしれない。こんな切羽詰まった状況じゃなくても、このトラウマとはまた時間をかけてじっくり向き合っていけば良いのかもしれない。

 ……それでも、燎は今乗り越えたい。今だからこそ乗り越えたいのだ。今ここから逃げてしまえば、この先ずっと負い目となって一生残り続ける、そんな気がするのだ。


 だから、もう一度。

 吐き気を飲み下して、震える体に鞭打って。もう一度真っ向から向き合うべく、マウスに向かって手を伸ばそうとしたその時。


「かがり君?」


 ――一瞬、これも幻聴かと思った。

 けれどそれにしては、あまりに響きが明瞭でリアルで。後ろを振り向くといつの間に燎の家に来ていたのか、部屋の扉を開いた状態で薄紫の瞳を戸惑いと共に向ける彼女の姿が。


「……ほたる、先輩?」

「あ、その、ごめんね勝手に入って。でもその、かがり君が企画のためにまた曲作りをするって聞いたから、心配で見に来たん、だけど……」


 その言葉と共に部屋の中に目を向けて、ほたるも気付く。パソコンのディスプレイに表示されたDTMソフトの画面、そして椅子の下に崩れ落ちた体勢の燎。

 ここまで情報があれば、何をやっていたかはバレてしまっただろう。気まずいものを感じつつ、燎も上体だけは起こして告げる。


「……まぁお察しの通り、そう上手くはいきませんでした。他所から見ると馬鹿みたいかもしれませんが、俺にとってやっぱり『これ』は簡単に乗り越えられるものじゃないみたいです――でも」


 不器用に笑って、なんとかなけなしの意地と共に。


「もう少しだけ頑張らせてください。企画に迷惑はかけません、どうしても無理そうならちゃんと他で代用はしますから、もう少し――」

「かがり君」


 けれど、そこで。

 名を呼ばれ、思わず燎も驚きに言葉を止める。彼女の声色が、聞き覚えがないほどに硬い響きを持っていたから。


「……あたしは、ともちゃんみたいにお説教は上手じゃないけど……それでも、今は言わせて欲しいな」


 そのまま戸惑う燎の前まで歩み寄ってしゃがみ込むと、初めて見る微かな怒気を帯びた――けれど切実な声で一息。


「きみの悪いとこ、出てるよ。――なんで、一人でやろうとしたの?」

「え」

「馬鹿みたいなんて思うわけないよ。かがり君にとってはそれだけ、曲を作ってた昔のことが辛くて、忘れられないくらいに苦しいことだったんだよね? なら、それを乗り越えるなんて一番、すごく頑張らないといけないことだってことくらい、分かるよ」


 縋り付くように彼の腕に手を置いて、続ける。


「一緒に走ってくれるって約束してくれたよね。――じゃあ、そういう時こそあたしを呼んでよっ、一緒に頑張らせてよ! 何もできないかもしれないけど……それでも、そばにいるくらいはさせてよ……! じゃないと」


 そうして最後に、何処か甘えるように、拗ねるように。


「……頼ってもらえないのは……こっちだって、寂しいんだよ」

「……」


 ふと、思い出す。

 そう言えば先日も似たような状況で怒られたことがあった、と。その時の相手は星歌だったが、また同様のミスを犯してしまっていたらしい。


 あの夜にも自覚したことだ。暁原燎は、人に頼るのが得意ではない。

 それはきっと当然のこと。だって自分が一番辛かった時、一番苦しかった時に近くに頼れる人なんて誰もいなかった。上手な頼り方なんて、覚える猶予も環境もなかったのだ。


 ……けれど、今。それをちゃんと咎めて叱ってくれるのならば。

 それを許してくれるのなら。弱さではないと言ってくれるなら。


「……できますかね」


 今は少しだけ、弱音を曝け出す。


「貫き通せず、折れてしまった程度の人間が。一度逃げ出して目を背けてしまった分際で、もう一度立ち向かうなんてことが……」


 情けないはずのそれを聞いたほたるは、しかし何処か嬉しそうに、可愛らしく慈しむように頬を緩めると――そのまま、こちらに身を乗り出してきて。


「……うん」


 燎の首から後頭部に腕を回すと、そのまま自身のもとに柔らかく抱き寄せてきた。


「――」


 思考と体が硬直した。

 体勢的に必然、ほたるの胸元に顔を寄せる形となり。普段から側にあったほたるの、女の子の香りが改めて強く燎を包み込む。比較的華奢とはいえ、それでも確かな存在感を持つ女性特有の起伏も服越しに感じられてしまい尚更に緊張が強まる。


「え、いや、あの、先輩」

「昨日の、かがり君とともちゃんのを見て……ああいうの、いいなって思ったの」


 確かにほたるは慣れた相手にはかなりスキンシップが多い方ではある。燎にも肩を叩いたり袖を引いたりは普通にしてくるし、先日の旅では色々と強く密着することもあった。

 だが、流石にこれはいくらなんでもまずいのではないか。行動理由らしい昨日の件もほたるが羨むような視線を向けていたのは知っていたが、それはあくまで関係性であり抱擁そのものではないと普通思うだろう。

 そんなことを考えて更に体を強張らせる燎に対して、けれどほたるは静かな声色で。


「できるよ。かがり君なら、できる」


 先ほどの弱音に対する回答を改めて告げ、そのままゆるりと頭を撫でてきた。


「きみは逃げ出したわけでも、目を背けたわけでもないよ……ううん、逆にどっちもできなかったからこそこうなっちゃったんだ。だから、自分を責める必要はないと思うな」


 声は優しく、手つきは穏やかに。それに誘われるように、徐々に強張りも解けていく。


「そんなきみなら、ちゃんと向き合えば絶対乗り越えられる。……ちゃんと立ち上がれる人だっていうのは、あたしが知ってるから」


 燎の脳裏に巣食う悪夢を、甘やかに溶かしてそっと拭うように。彼の頭を抱きしめて、温もりを分け、言葉を伝える。

 やがて、抵抗の意思もなくなって。少しだけ、今だけは彼女に身を委ねる。


「だから……頑張って」


 精一杯の心を伝えたのち、数分。

 ほたるの方は放っておくと無限にそうしていそうな気配を感じたので、もう大丈夫と軽く背中を叩いて抱擁を解除してもらう。

 向こうは若干名残惜しそうな顔をしていたが、顔を上げた燎とぱちりと目が合うと、少しだけ顔を赤らめて。


「あ、えと……よく考えると結構恥ずかしいことしちゃったかな」

「出来れば数分前に気付いて欲しかったです」


 良かった一応羞恥はあったようだ。そこを掘り下げるとまさしく墓穴を掘る予感しかしないのでそこそこに話を切り上げると、立ち上がって再度椅子に座り。

 ほたるが見守る中、もう一度ソフトを起動して悪夢の具現である制作画面と向き合い、操作を開始する。


「…………」


 ……相変わらず、声は聞こえる。

 けれどそれを塗り替えるように、先刻のほたるの声、感覚が悪夢を上書きしてくれていて。聞くだけで崩れ落ちてしまうような嘔吐感、倦怠感はない。

 そのまま、操作を進め。……あっさりと、本当拍子抜けするくらいにあっさりと、少なくとも制作作業に入ること自体はできるようになっていた。


「はは」


 思わず、苦笑する。


「……いや、ちょっろ」

「え」


 続けてこぼした呟きに何を思ったかほたるが反応する。誤解させてしまったかと思った燎は彼女の方に向き直ると、若干慌てた様子で手を振って。


「ああいや、俺自身に言ったことです。もちろん先輩のしてくださったことを軽いことと言うつもりはありませんが……それでも」


 改めて自身に対する呆れの表情を覗かせつつ告げる。


「あんなにひどい拒絶反応だったのに、思ったよりずっと簡単に解消できてしまって。……我ながら驚くほどに単純だなぁ、と」


 無論、完全に拭い去れたわけではない。そこまで単純では流石にない。

 けれど……もうしばらく。彼女の声を覚えている限りは、できそうな気がして。そうなってしまった自分に呆れとも喜びともつかない複雑な感慨が湧き上がる。

 そんな思考を込めた言葉を受け、けれどほたるは対照的に嬉しそうな苦笑を返してこう告げてきた。


「それならべつに、ちょろくてもいいんじゃないかな」

「……ですね。それで前に進めるなら、なんでも」


 それは、確かに。

 仰る通りと頷いて、改めてほたるに礼を告げてからディスプレイを向く。

 ……ああ。多少の恐れはあるが、問題なく作業はできる。これなら最低限、制作に挑戦してみることくらいは可能だろう。


「そっか、できるようになったんだね、良かった。……あ、じゃあさ!」


 一つ乗り越えたことを悟ったほたるが安心した顔でそう告げたのち、何かを思いついた様子で部屋を出ると、程なくして戻ってくる。

 嬉しそうな、楽しみそうな表情を浮かべた彼女の手にあるのは――作画用のタブレット端末。それで大凡を察した燎に、笑顔と共に。


「一緒に、作業しようよ。……仲間になってくれたらこういうの、きみとやってみたいなぁって、ずっと思ってたの」


 はにかみながら、甘えるようにそう言われてしまえば。

 拒絶反応の再発を防止する意味でも、頷かざるを得なかった。




 そこからは、燎の部屋で二人仲良く制作作業を開始した。

 ほたるは燎の依頼に従って体育祭の立て看板に使用するイラストの作画を。燎はそれも含めた彼の『企画』に有用と思われる曲の制作を。


 最初は燎が机、ほたるがベッドの上に座って行っていたのだが、何故か途中ほたるが『ちょっと体勢のおさまりが』と言ってそこから諸々のやりとりを挟んだ結果、本当に何故か二人背中合わせでの作業をすることになった。

 ほたる曰くこれが一番体勢的に楽とのことだし、燎としてもほたるが近くにいた方が発作の発生確率も下がるので奇しくも双方の利害が一致してしまった形である。


 最初は緊張こそしたが、慣れてくると先刻の胸元に抱き寄せられた件よりはまだ大丈夫という謎の割り切りと共に、背中に体温がある状況に集中することができた。

 そのまましばし作業を続け。一区切りついたところで飲み物を取りに行くべくほたるに一言断って立ち上がり、そこでこれまで見えなかった彼女の手元を見る。


「……」


 集中しているほたるの横顔越しに見えるのは、そんな彼女のペン捌きによって魔法のように形を成していく画面内のイラスト。


(……すごいな)


 まだ大ラフの段階だが、既に分かる。燎が看板の絵を頼む上で要求したものを全て盛り込んだ上でかつ素晴らしい一枚絵に落とし込んでくれるだろうことが。

 それはまさしく、プロの仕事。それを為せるのは彼女がこれまで自分の感性と技術を磨き続けたことに加えて……きっと、目的がはっきりしているからだろう。


 自分は、過去それを間違えた。親からの重圧と束縛、許容量を超えていたそれに対してそれでも耐えているふりをした結果、重圧に屈したくないからという極めて後ろ向きな理由で創作に向き合ってしまった。

 だからこそ、次は間違えない。言い聞かせるように、自身の胸に問いかける。


 ――自分は、なんのためにこれを作る?


「……よし」


 幸い、答えはすぐに出た。

 それを忘れずに心に刻み込むと、休憩を終えてほたると背中合わせに座り直して作業を再開。徐々に聞こえなくなってくる過去の悪夢をありがたく思いつつ、静かに懐かしい電子音の世界に潜り込んでいく。




 そうして、各々がやるべきことであり、やりたいことを全力で行った時間は瞬く間に過ぎ。体育祭の当日が、やってきた。

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