27話 業務依頼
ほたるに依頼をして、諸々の理解と承諾を得た翌日。
早速、燎は次の行動を開始した。まずは学校内で必要な協力者の伝手を辿る、そのために最も必要な人間を朝のうちに捕まえて呼び出し、意外に思いつつも大人しくついてきてくれた彼に向けて、一言。
「――先輩のイラストで、体育祭の立て看板を作って欲しい」
告げられた男子生徒――暮影司は、突飛な申し出に目を瞬かせたのち。けれど「その場の思いつき、って顔じゃねぇよな。詳しく聞かせてくれ」と続きを促す。
その気遣いに感謝しつつ、燎は引き続き口を開いた。
「前言ってたよな。旭羽高校の体育祭には何年か前までクラス対抗の看板制作があったって」
「ああ、お前の姉ちゃんの代で無くなったやつな」
その件も灯に聞いてみたが、消失したのは灯が高校三年の頃。つまり五年前。
五年であれば覚えている人は流石にいないだろうが――それでもノウハウは残っているはず。設立の道具も、それらしきものが体育倉庫に眠っていることを体育の授業の時に確認したことがある。
であれば、作ること自体は今も可能なはずだ。
無論、それを復活させる上では廃れた原因とその対処にも目を向けなければならない。だが、それについても目星はついていた。
「看板制作自体が駄目なんじゃない。『看板制作までクラス対抗にしたこと』が駄目だったんだ」
廃れた理由は、ただでさえ体育祭はメインで活躍できる運動部の人間にとってインターハイ前で時間が無いのに、更に看板制作で時間を取られることに対する不満が強くなってきたから。
何もかもを自由参加にするのは、それはそれでまずいだろう。だから体育祭のメイン競技ならばクラス対抗にすることに異存はない。
だが……ことこれに関しては、全クラスに制作を強制してまで生徒の時間を束縛する必要はない。端的に言えば、やりたい人に自由に作ってもらえば良い、という主張だ。
「つまり……有志による自由参加の形で、看板制作を復活させようってことか?」
「ああ。影司、前にこれも言ってただろ。体育祭は体育が得意な奴しか活躍できないことに問題がある、ってさ」
それを解消するために、彼は今まで生徒会役員として競技内容を可能な限り工夫することで対処しようとしていた。それはそれで、一つの有用な対策ではあるだろう。
だが燎はそれに加えて、もう一つ全く別角度からのアプローチを提案する。
「体育祭の、『競技じゃない部分』も増やすべきなんじゃないかと思った。メインが競技であることまで変えてはいけないとは思うが、それ以外……例えば競技の実況をする放送部だったり、アルバムを作る写真部だったり。そういう、運動以外でも生徒が活躍できる機会を増やすことが、結果的に『体育祭』ってイベント自体を盛り上げることに繋がるような気がする」
そのアプローチの一つとしての、看板制作の復活。
体育祭の、やや表現が違うかもしれないがキービジュアルのようなものを校門付近かグラウンドの目立つ場所に置いておけば見映えという意味でも非常に華やかになるだろうし。何より、それを見た人が盛り上がって『次は自分もああいうものを作りたい』と思ってくれれば、復活の契機としては大成功だ。
まぁそれには当然、看板自体に相当のクオリティが求められるわけだが――
――それが一番問題ない。
だって、元絵を作るのは夜波ほたる。連載こそまだだが、受賞作読み切りという形でなら既に雑誌に漫画が載っている、正真正銘のプロの仕事なのだから。文化復活の始まりとしてはむしろ最良の人選と言って良い。
その辺りも、昨日ほたるの許可を取った上で影司に話した。ほたると実は知り合いであることも絡めて最低限、以前星歌に話した内容をかいつまんだ形で。
そこで更に驚く影司に対し、燎はまとめに入り。
「そういうわけで。影司の望む多くの生徒が活躍できる体育祭を実現するために、より盛り上がる体育祭にするために、看板制作を復活させることが一つ手段として有用――」
そして。
「――ってとこまでが建前だ」
「…………、は?」
「悪い、影司の目的を馬鹿にするわけじゃないしこの内容も真面目に考えはしたんだが、俺の目的は別にある」
呆けた声を上げる影司に、燎は声のトーンを更に一段真剣なものに変える。
「この提案をした理由、そして俺のやりたいことは一つ。……今も学校で噂されてる、夜波ほたる先輩に関する悪い噂を払拭したい」
「!」
「そのためには、とにかくまず先輩のことを知ってもらわないと話にならない。そんで、やっぱり先輩を語る上で先輩が『漫画家』であることは外せないと思うんだ」
これも、昨日ほたると話したことだ。
彼女は、過去の経験から自分が何をやっているかは高校ではひた隠しにしていた。知っているのは燎と一部教師くらいのもの。
けれど、周りと関わりたいと思ったらそれではいけない。何もかもを開示するのもそれはそれで問題があるが、それでも自分の大半を隠したままでは誰とも深く関わることは叶わない。コミュニケーションの第一歩は、自分を知ってもらうことなのだから。
故にまずは、彼女のアイデンティティの大半を占めているこの情報を開示するところから始めるべきだと、そうほたると話して合意に至った。
そのための、この提案。『作品で語る』だなんてそれこそ物語のような解決法だが、現状はこれが最も有用だと判断した。
ほたるのイラストで運動会の立て看板を作る、というアイデアはその目的から導き出されたものであり、先刻まで語った影司にとってのメリットは、悪く言ってしまえば後付けの建前に過ぎない。
けれど言ったこと自体に間違いはないと思うし、それを隠すべきでもないと思った。
影司と騙し合いをしたいわけでもないし、腹の中を隠したまま他人を動かせるほど燎は器用でもない。むしろ巻き込む側である以上、本音も建前も全部開示して真っ向からぶつかることがせめてもの誠意だと思ったのだ。
「俺と先輩だけじゃ、どうあってもできないことなんだ。影司の……体育祭の運営に関わる生徒会役員であり、人脈も広いお前の力が要る。
だから、今言った影司のメリット。体育祭をより良くする上での意見に納得してくれて、その上でやっても良いと思ってくれるなら……頼む」
素直に、彼なりの誠意と根拠を開示した上で頭を下げる。
影司はそんな燎の様子を見て、しばし目を軽く見開いたまま固まっていたが。
「……正直、予想外のことすぎて驚いてる。が……」
沈黙ののち、軽く思索に沈むように口元に手を当ててから、こう告げる。
「……案自体は、悪くねぇ」
「そう思ってくれるか」
「そうだな。看板制作にも許可と人手がいるが、体育祭までは後二週間ある。それだけの時間があればなんとかはなるだろうし、俺自身競技だけをいじるやり方にも限界は感じてたところだ。『競技以外の活躍の場を増やす』方向に目を向けるのもなるほどと思った、俺の目的を考えれば十分やる価値はある。だが――」
しかし、そこで。影司は普段の軽い振る舞いと一線を画した真剣な表情で。
「――お前の目的に関しては、どうだ?」
「!」
「俺は正直、甘いと思う。人の噂も七十五日って言葉があるが、あれは噂なんて時間が経てばみんな忘れるってプラスの意味だけじゃねぇ。一度立っちまった噂は時間を置く以外に解決法が無いっつー意味でもあるんだ」
真剣であるが故に、容赦なく。彼の提案の粗について指摘する。
「多数の意見を書き換えるのは簡単なことじゃない、風評ってのはそれくらい強力なんだよ。それを『ただ絵をぽっと置いただけ』でなんとかしようってのは、夜波先輩の絵がよほどすげぇもんじゃない限り……いや、よほどすげぇもんだとしても難しいと思う」
「……いや、すごいなお前」
まっすぐな言葉に対して、燎はそう呟く。
入学してから影司に対して幾度となく思ったことだが、今はとりわけそう思った。
まず、今の指摘は影司も言った通り全て『燎の目的』に関するもの。つまり影司の目的を果たす上では関係ない、無視することもできたものだ。
けれど、彼はそこに踏み込んだ。提案に乗るならばそこまでしっかりと双方がメリットを享受しないといけないと、そうでなければフェアではないと考えたから。
しかもその上で、指摘自体も全くもってその通り。問題点を指摘できるということは、それくらいちゃんと吟味してくれたということだ。
ああその通りだ、いくら目立つところに置くとは言え。長くとも数秒、人によっては一瞬しか見ないイラスト一つで多くの人の心を動かそうだなんて現実離れしたことは、極めて難しいと言わざるを得ない。
燎も、真っ先にそう思った。
「……まだ、何かあんのか?」
そして当然、そう思ったからには改善案もちゃんと用意してある。
雰囲気で悟ってか、問いかけてくる影司に対して燎は頷くと。むしろここからが本番だと意識を切り替え、この提案を含めた上での『本命の考え』の説明を始めて――
――一通りを、解説し終えたのち。
「…………、は」
影司は、笑った。
嘲弄ではなく、戦慄によって。驚愕と、畏敬と、紛れもない高揚によって。
「……やべぇ。最高じゃん、お前」
看板の話をしただけでは正直ピンと来ていなかった様子の影司だったが、今はその面影すらなく。微かに震える声でそう告げると、燎の方に歩み寄ってがっ、と肩を掴む。
「乗った。むしろ乗らせろ、乗らせてくれ。じゃないとこの場で泣いて暴れる」
「まさかの脅迫」
しかも男がするには極めて情けなさすぎる脅迫である。
流石に冗談だろうが、それくらいに乗り気でいてくれることは伝わった。……正直なところ、少し意外なほどに。そう思ったので燎は問いかける。
「良いのか? 結構こっちの都合だし、多分想像以上に大変だと思うが」
「何言ってんだ」
しかし、影司はいつかも聞いた言葉と共に笑い飛ばし。
「ま、確かに大変だろうな。色々と根回しも必要だし単純な作業量だけでも相当なもんだ。こっから死ぬほど忙しくなるのは間違いねぇ」
だが、と一息置いて告げる。
「言ったろ? 俺は面白いことが好きで、面白いことがしたくてこの学校に入ったんだ。……そんで、これは言ってなかったがもう一つ」
「もう一つ?」
「[お前みたいな奴がいるんじゃないか]。それもちょっとだけ、でも一番期待して旭羽に来たんだよ」
思わぬ言葉。驚きを見せる燎に対して、続けて言葉を紡ぐ。
「確かに大変だし、ちゃんとできるかもわからん。だが……できたら絶対最高に楽しいし面白ぇ。それだけでやってみるには十分だし――そういうのを応援してくれるのがこの学校だって、俺は思ってる」
ま、もしそうじゃなかったとしたら生徒会長の座を奪って俺がそうしてやらぁ、とこれも笑って冗談まじりに告げた後、時間が惜しいとばかりに共に教室へと向かう。
「早速動くぞ。しかしそうなると単純人手が足りねぇな、とりあえず夕凪に頼んでみるか。ちなみに夕凪は夜波先輩とお前のこと知ってんの?」
「ああ。一昨日相談に乗ってもらって、その折に」
「マジか。地味に悔しい」
「何でだよ」
「ていうかお前、そういう奴だったのか。ならもっと早く言ってくれよ」
「それに関しては悪い、俺も自分がこういう奴だってつい昨日気がついたんだ」
「それこそ何でだよ」
言い合いつつ、アイデアを出しつつ。
影司は持ち前の頭脳と人脈で人手の確保と、燎が協力してほしいと思っている人材への渡りをつけてくれることを手早く約束してくれる。
……本当に、改めて。燎もこの学校に来て良かったと思った。
影司のような人がいることもそうだし、クラスメイトたちも。影司の影響か学校自体の気質か、小規模でありながら純粋に体育祭を目一杯楽しもうとしてくれている。
「くだらない噂で、台無しになるような学校にはしたくねぇよな。まずは俺たちで全部ひっくり返してやろうぜ、相棒」
「ランクアップが早いな。……まぁでも、今は全力で頼りにさせてもらう」
如何にも陽の者と言ったような謎の調子の良さに呆れながらも、頼もしいことは間違いないのでそこは素直に感謝を告げる。
そうして、準備は整った、後は全力で目標に突き進むだけだと改めて覚悟を決めて。影司と肩を並べて、教室に入っていくのだった。