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17話 暁原燎

 ――所詮、他人の言葉だ。


 中学時代、作曲を始めて……親の反対に遭っていた頃の燎にとって。

 周りから投げかけられる言葉に惑わされないため、常に心に抱いていたのがその理念だった。


 ネットの海からその楽曲を見つけ、これまで灰色だった世界が色づくほどの衝撃を受け。自分もこんなものを作りたいと思って作曲を始めた。

 同時に、少し調べればすぐに分かった。この道で一人前になるのは、それだけで食べていけるほどになるのは、とてもとても難しいことだということも。


 ……上等だ、と思った。

 なら登り切ってやる、なりきってやる。親の反対がなんだ、周りの偏見がなんだ。そんなもの、所詮は他人の言葉。その程度のものに惑わされず、ただ己がなるんだという強い意志を持て。『本気』ってのは、そういうことだろう。

 それこそ物語に出てくる存在のような。どんな困難にもめげず、どんな壁にも挫けず、あらゆることに立ち向かって乗り越える人間。そういう人にならないときっと本気じゃなくて、夢を目指す資格なんてないと思った。



「こんな巫山戯たごっこ遊びなど許さん。やはり、お前にインターネットを与えるのは早すぎたようだな」


 父親にパソコンとピアノとギターを取り上げられたからってなんだ。

 このご時世、コンピュータなど何処でだって使える。作曲のプラスになるギターの練習だって中古品で買い戻して家以外の場所に置いておけば良い。ソフトやデータはUSBやクラウドに避難させ、家で曲の構想を練り学校のパソコン室で制作。たかが家での制限くらいで止められてたまるものか。


「燎、これあなたが作った曲よね? 有名な曲と比べて全然聴かれていないじゃない、やっぱりあなたには向いてないのよ。早くやめたほうが良いと思うわ」


 取り上げたパソコンを勝手に覗いて自分のアカウントを特定した母親にそう言われたからってなんだ。

 最初から上手くいくなんて稀だと知っている、次はもっと良い曲を作るだけ。父親も止めようとしない――止める手段がないのかどうせすぐやめると思っているのか、どっちでも良いが。上等だ、アカウントを変更して逃げてなんかやらない。お前らが見ている中で続けてやる、見返してやる。


「ほら、全然上手くなってない。母さんも全然良い曲だと思えないわ、こんな恥ずかしいことに息子がかまけているなんて親として恥ずかしいのだけれど……」

「そもそも、作曲家というものは専門教育を受けて音大の作曲学部を出て、それでもなれない人の方が多い職業だろう。ちょっと音楽教室に通った程度のお前が太刀打ちしようだなんて烏滸がましいとは思わないのか?」


 しばらく続けるも思うような評価が得られず、夕食の場で両親にそのことばかりを詰られたからってなんだ。

 自分の力不足など、お前たちに言われるまでもなくここ数ヶ月で嫌と言うほど思い知った。それでもやるんだよ、その程度で折れてられないんだよ。本気なんだ、お前らに何を言われようと辞めてなんてやらない。しがみついてでも、続けてやる。


「最近動画の方も凝ってるわよね? 作曲家を目指すなら曲一本で勝負すべきでしょう、そういう小手先に頼らないといけない時点で限界は見えてるわ」

「まだ辞めないのか。一年もやってろくな結果が出ない時点でお前の才能などたかが知れている。いい加減意地を張らずに現実を見たらどうだ?」

「ほら、一番新しい作品にもこんな感想がついてるわ。『つまらない』『才能を感じない』『学生の曲だから注目されてるだけ』……無視しちゃダメよ? こういう人たちは上っ面の誉め言葉じゃなくてちゃんと忠告してくれてるのよ、あなたには向いていないって」

「全く、お前は灯と違って要領が悪いんだ。灯の代わりに会社を継いでもらわなければならない以上、無駄にしている時間などないと言うのに……分かっているのか!?」


 毎日、毎日毎日毎日毎日。親の否定の言葉を受け続けたからってなんだ。

 所詮他人の言葉、他人の事情。お前たちの為に折れてなんてやらない、『姉が早々に家を出たせいでその分過剰な束縛をされてるんだ』なんてダサい責任転嫁も絶対にしない。

 自分だ。自分がなるって決めたんだから、何が起ころうとも立ち塞がろうとも最後まで自分の責任でやり通せ。

 それが、本気でやってる人間の、正しくあるべき姿だろう。



「『頑張れば夢は叶う』なんて戯言をいつまで信じているつもりだ? お前には無理だ」


 所詮、他人の言葉だ。


「今回の数学のテスト、満点じゃなかったみたいね? 曲作りなんかにかまけているからそうなるんじゃないかしら」


 他人の言葉だ。


「暁原、最近付き合い悪いよな。放課後毎日パソコン室に篭って何やってんだ?」

「やめとけって、この前画面ちょっといじっただけでめちゃめちゃキレられたんだぜ? あんなのには関わらない方が無難だって」

「だな、鬼気迫るっつーかちょっと怖いもん。訳わかんねぇしほっとこーぜ」


 自分以外の、雑音だ。



 なると決めたんだろうが。本気でやっているんだろうが。

 なら、やれよ。作れよ。周りの雑音なんかに屈するなよ。

 ある時を境に全く再生数が伸びなくなったどころか下がり始めたとしても、やれ。

 付く感想に『前よりつまんない』『才能枯れたな』等の言葉が目立つようになって、母親が満面の笑顔でそれを取り上げて「この人たちは見る目があるわね」って言ってきても、やれ。

 周りに味方が誰もいなくても、父親が勝手に塾に入れて徹底的に自由時間を奪おうとしてきても、子を想っての忠告面をして一々的確に自分のやることを否定する母親の声が耳から離れなくなっても、やれ。


 環境が悪いことなんて言い訳だ。悪い意見に心を抉られるのは弱さの証明だ。

 この程度のこと、この先この道を進んでいればいくらでもあるだろう。ならこんなところで屈してたまるか、折れてたまるか、負けてたまるか。こういう逆境でこそ燃えるものだろうが。何があろうとも心を強く持って、目標から目を逸らさず、走り抜けることができてこその、本物だろうが。


 だから、続けた。

 寝ても覚めても自己否定の言葉しか聞こえなくなろうが、頭が錆びついたように動かなくなろうが、起きている間ずっと吐き気に苛まれようが、楽しかったはずの良い曲を聴くたびに『自分はどうしてこんなものが作れないんだろう』と自己嫌悪を抱くようになろうが。

 作って、作って、作って作って作り続けて――



 ――そうして、ある日。ぱたりと、螺子が切れるように。

 何一つメロディが浮かばなくなって、ソフトを目にするだけで眩暈がするようになって。

 本当に、自分のどこを絞り出しても、一切曲を作ることが不可能になって。



 それと同時に。


「ここまで愚かだとは思わなかった、今日からお前は家にいる間はこの部屋で暮らしてもらう。先ほど学校にも話をつけてきた、変なソフトを学校のパソコンで使うのは今後一切できないようになったからな」

「……」

「ごめんなさいね、こんなことは極力したくないのだけれど……あなたがここ最近、すごくやつれていたから心配になって。作曲のせいでこうなってしまったのよね? どれだけ作っても成果が出ないから、どれだけ頑張っても無理だったから、こんなになるまで追い詰められてしまったのよね?」

「…………」

「母さんも父さんも、もうそんなあなたを見ていられなかったの。……もう良いのよ、そんなに苦しまなくて良いの、あなたはもう十分頑張ったわ」


 両親が、本格的に。自分達の望むレールに乗せるべく、燎の環境全てから音楽の影すらも排除しにかかって。

 その瞬間に、何かが、折れた。



 作曲を辞めることを燎自身の口から聞き出した両親は、大層喜んで。『ようやく分かってくれたか』と音楽に関わって以降初めて、心から燎を褒めて。上機嫌のままに母親が、その日の夜は燎の好物をたくさん作って振る舞った。


 ――何一つ、味が一切しなかった。




 ◆




「…………、最悪」


 なんてベタな、と起きた瞬間思った。

 昨日姉があの話題を口に出したその日にこんな夢を見るなんて。自分の深層意識はどれだけ単純にできているのだ、と呆れつつベッドから起き上がる。

 今日の朝食当番は燎だ、灯が起きてくる前にさくっと作ってしまうべく脳内で献立を組み立てる……前に。


 机に座って、パソコンのスイッチを押し。慣れた手つきでデスクトップのとあるアイコンをクリックし、これまでずっと慣れ親しんだはずのソフトを起動して――


「――ッ」


 襲ってきたのは、相も変わらずの眩暈と吐き気。心持ちもやる気も何一つ関係なく、燎の体が作曲という行為そのものを拒絶している。


 ……改めて、過去を振り返って思う。ほとほと、自分の弱さに呆れ果てると。


(……何が本気だ、本物だ。何一つ、成し遂げられなかったくせに)


 確かに、思うがままに作曲をできる環境かと言えば厳しかったのは間違いないだろう。

 だが――たったそれだけじゃないか。

 別に、自分の作る曲で誰かを傷つけてしまったとか、誰かの望みとは真逆のことをしてしまったとか。そういうやむを得ない理由、辞めるに足る理由ではない。

 程度の差こそあれ。燎が作曲を辞めてしまった理由は――徹頭徹尾、『自分の心が折れてしまったから』以外の何ものでもないのだ。


 心が折れたこと自体もそうだし……何より自分が、それくらいで心が折れる人間だと理解させられてしまったことが、何より辛かった。


 本当に、強い人間なら。

 まだやれたはずだ。別にネット環境すらない部屋に閉じ込められたところで、紙とペンさえあればいくらでも楽譜は書けるし、このご時世にパソコンを一切使わないなんてことは不可能なのだからいくらでもやりようはあった。


 だから、悪いのは。

 あの時、確かに一度折れてしまった自分で。そこから姉に連れ出してもらい、自由に作曲ができる環境に行ったにも拘らず結局トラウマに囚われて何もできない自分で。



 ――所詮他人の言葉(・・・・・・・)で心を歪められてしまった自分の弱さ以外に、無いではないか。



「……くっそ……」


 ガン、と一度机を叩く。

 何度目だろうか。

 こちらに越してきてから、ある日ふと。このトラウマが魔法のように消えていればなんて馬鹿げた期待をしてソフトを起動し、その度に絶望に苛まれるのは。

 そんな期待に縋ってしまう自分も嫌で、もう資格なんてないはずなのにみっともなくしがみついてしまう自分も嫌で。


 ……せめて、こんな姿をほたるにだけは見せたくないと。


(そう思ってしまう時点で……果たして俺は、あの人を手伝う資格すらあるのかね)


 ああ、本当に……色々な意味で、最悪だと。

 自己嫌悪に押し潰されそうになりながら、それでもここで投げ出す無責任な真似もできないから。

 燎は机を離れ、今日もやるべきことをやるべく、部屋の扉を開けるのだった。

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