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15話 反省、デート、甘やかし

 幸い、その手の店に関しては放課後ちょくちょく星歌に影司共々連れ回されていたのである程度は詳しい。

 今回はそのうちの一つである駅前の喫茶店。単価は高いがその分味は非常に良く、席数も少なめで一席あたりのスペースを広く取るため、ほたるも時間を気にせず静かに寛げるだろう場所を選んだ。


 ……一応灯にもこの場所に居ることは伝えてある。仕事に余裕があれば来てほしいとも。

 あんなことがあった後で編集としては顔を合わせづらいのは分かるが、それを差し引いても普通にほたるの友人としては後味が悪すぎるだろうし、何より灯にも何かの気晴らしになってくれれば良いと思ったから。

 ともあれ、今は二人だけ。値段は気にせずゆっくりと食べられるものを注文し、ほたるが沈んだ様子ながらも口を動かすのを、静かに待つ。

 テラス席から一望する今日の空は、腹立たしいほどの快晴だった。


 そうして食後、ドリンクの氷が溶けて無くなるくらいのタイミングで。


「……ちょっとだけ、弱音を聞いてもらってもいいかな」


 ほたるが、そう切り出す。

 今はデート中だ、当然頷いた燎に対して、彼女は続けて問いかけた。


「かがり君さ。ともちゃんの話、最初から聞いてたんだよね」

「……はい」

「じゃあ、あたしの漫画がどう言われてるかも、聞いたよね」


 ほたるの、今回の漫画に対する講評。

 聞いた、ついでに言えば一字一句レベルで覚えている。だって……あまりにも意外で、それでいてどこかで納得できるような、とても当を得た――まさしくぐうの音も出ないほどのプロの批評だと、感じてしまったから。


「こういうこと、あんまり言わないでいようとは思ってるし、言い訳にもしたくないんだけど……」


 それを思い返している燎に対して、ほたるはきっと今までずっと抱えていたものを。

 こぼすように、呟く。



「漫画を描くことにおいて、みんなが言う『才能』ってやつがさ。……多分、あたしにはそんなにないんだよね」



 否定は、できなかった。

 聞いてしまったからだ、あの講評を。


 燎でも……否、燎だから良く分かる。

 良い点は、細かい部分が丁寧でうまくまとまっている点。悪い点は光るもの、尖ったものがない点。


 あれは、極限まで悪く言えば――才能やセンスが無い人間への典型的な評価だ。


 現実には、物語のような突き抜けた天才なんてそうそう居ない。

 だが一方で、才能というものは(・・・・・・・・)絶対的に(・・・・)現実に(・・・)存在する(・・・・)


 無論、定義は様々だろう。ひょっとするとこの先技法や分析が進んで、これまで才能と呼ばれていた分野がそうでなくなることもあるのかもしれない。

 でも、今この瞬間。創作という明確な正解のない曖昧な分野においては、どうしても。

 ――努力では埋められない領域は、厳然としてあるのだ。


「もちろん、だからって諦めるようなことはしたくない。っていうか、できない。あたしには、漫画(これ)しかないから」

「……」

「だから……あたしはその分、頑張ろうって思った。人の何倍も、誰よりも頑張って頑張って。辛くて普通なら諦めるようなところでもなにをって思って立ち上がれて、良いお話を描くためならなんだってできるような、そんな人にならなくちゃって思って……」


 ああ、そうだ。

 物語のような突き抜けた天才なんて、そうそう居ない。

 故に、上に行ける人間は才能以上に、努力をひたすら重ねられる人間。常人から見れば狂気的とも呼べるほどに、全てを費やしてその道にのめり込み、血反吐を吐いても前に進まずにはいられない類の人間だと思った。

 そして、ほたるもその人種だと――


「……ごめんね」


 ――思って、いた。


「……ほんとは、辛い、かも。これだけ頑張ってきたものがダメだったって分かって、もうしばらく、ぜんぜん描ける気がしなくなっちゃってる。……それだけじゃない」

「……先輩」

「学校でのことも……孤立しているのは、辛いよ。今日もちょっと色々と良くない噂を聞いたりして嫌だった。かがり君やともちゃん以外の人のことも知りたいのに、他の人と関わるとあたしのダメな部分が出ちゃうんじゃないかって思うのが怖い。それで……そんな弱さを言い訳にして、本当はやらなくちゃいけないことから目を逸らしてるあたし自身のことも、嫌だよ……」


 思い返す。

 今日の昼休み、ほたるに関する噂を聞いたとき。ほたるが何もせず一芸分野でも成功して、見目麗しいだけで全ての成功を享受しているなんて偏見を聞いたとき。

 燎は思った。どうしてそんな都合良く人を悪者にできるのだろうかと。なんの根拠もない勝手なイメージを押し付け、悪いと決めつけられるのだろうと。


 ――じゃあ、翻って自分は?


 ほたるのことを自分とは違う、特別に努力を重ねられる存在だと決めつけて? 彼女が抱えた人として当たり前の弱さなんて気付かないふりをして、自分の感情を整理するためだけに勝手に一線を引き特別な他人として扱って。



 都合の良い(・・・・・)勝手なイメージを(・・・・・・・・)押し付けて(・・・・・)いたのは(・・・・)お前もだろうが(・・・・・・・)



(……馬鹿か、俺は)


 ガッ、と自己嫌悪のあまり思わず手で顔を覆う。その際思ったより大きな音が出てしまったせいか、ほたるがびくりと背筋を跳ねさせた。


「!? か、かがり君? ごめんねこんな愚痴聞かせて……」

「いえ、それに関してではないのでお気になさらず。……ただ、自分のあまりの惨めさに少々激しく落ち込んでいるだけで」

「よ、良く分かんないけど大丈夫……? ……なでなでしよっか?」

「俺は幼児か何かですか」


 本当に手を伸ばしかけていたほたるに、それは流石に恥ずかしすぎるので断って顔を上げ。


「すみません、先輩」

「……なんで、きみが謝るの?」


 ほたるが、柔らかく問いかける。

 責めるような口調ではない。純粋な申し訳なさと疑問が混じったものだ。

 ……謝りたかった理由は、幾つもある。追い込まれていることに気づけなかったこと、身勝手な期待を押し付けてしまっていたこと、そして……多分ほたるにその期待が気づかれており、それが負担を増長させていたこと。

 でも、それよりも何よりも今、嫌だったことは。


「……先輩のために、何かをしたいけど……何もできない、できていないからです」


 何をしてあげられると言うのだろう。

 この、強さにおいても。そしてきっと、弱さにおいても。燎の遥か先を行くこの少女に。

 彼女には、桁外れの才能があるわけでもなく、怪物じみた精神性があるわけでもなく。それでも歯を食いしばって、ここまで進み続けてきた。普通の人であるままここまで辿り着いて……そして今、立ち止まってしまっている。


 何も、できる資格など無いではないか。

 燎と同じでありながら、燎よりもずっとずっと進んだ場所に居る彼女にとって。自分はただただ、惨めで情けないだけの存在のはずだ。偶像を押し付けただけの、周りとなんら変わらない人間だ。

 そう思って沈黙する燎に、ほたるが告げる。


「そんなことはないんじゃないかな。少なくとも今あたしは、弱音を聞いてもらうだけでけっこう楽になったし。初めて会った時も一番欲しかった言葉をくれて……その後も取材に付き合ってくれて、ご飯も作ってくれて、何よりいつもすごく真っ直ぐに応援してくれるきみには、特別に力を貰ってるよ」


 ……そう言ってくれるのは、すごくありがたいが、と。

 申し訳なさそうな、労わるような表情を崩さない燎に、ほたるが困惑と少しの嬉しさを滲ませた苦笑を返して。


「もぉ、なんできみがそんな顔するのさ。そんなにあたしを甘やかしたいの?」

「……ええ、そうですね」

「んむ。き、今日のきみは中々言うねぇ」

「デート中ですから」


 そこから少しからかい気味の問いかけに対し、燎が珍しく真っ直ぐな答えを返す。ほたるは驚いたように息を詰まらせるが、言われたこと自体はとても嬉しかったのか、淡くはにかむと。


「そう言われたら……もっと、甘えちゃうよ?」


 普段から割とデート中は好き放題している気がするのだが、と思いながら頷く。それを受けたほたるは、少しだけおとがいに手を当てて考えると。


「んーっと……かがり君って、音楽好きだったよね」

「はい、そうですが……?」

「じゃあさ。きみのおすすめの、落ち込んだ時に聴く曲を聴かせてよ。早く、また立ち上がる元気を溜めるために。応援してくれるきみの元気を、もう少しもらうために」


 ……強いな、と思った。

 ほたるの今の苦しみを、理解できるなんて烏滸がましいことを言うつもりはないけれど、推測はつく。……推測がつくだけでも、生半なものではないと分かる。

 それでも、その直後にまた。前を向くために行動できるのかと。


 そして、そういうことなら是非もない。燎も少しの考慮を挟んで、スマートホンのプレイリストから曲を一つ選択。有線のイヤホンを取り出して接続し、ほたるに渡す――が、そこで。


「あ、片方で良いよ」


 ほたるがそう言って、宣言通りイヤホンの片側だけを受け取り。もう片方を、燎に差し出してきた。

 ……それが意味するところは言われるまでもなく。


「一緒に聴こ? あたしが聴いてる間、かがり君が手持ち無沙汰なのは申し訳ないもん」

「……えっと、よろしいのですか?」

「? うん。素敵なものは、きみと一緒に共有したいでしょ?」


 いや、でしょ? ではなく。イヤホンを共有して曲を聴く、という行為は相当に気恥ずかしく親密でないとできないことだと思うのだが……と思ったが。

 恐らくほたるはその辺りのことを特別意識はしていないのだろう。というか既にすごく乗り気で椅子を寄せてきているので断るタイミングもなく。

 そのまま、隣に座ったほたると共にイヤホンを片耳ずつつける。


「わ、見てあれ。高校生のカップルかな?」

「すっごい青春イベントしてる! かわいー!」


 ……必然片耳が空いた影響でもう片方は周囲の音を拾い、近くの女性のそんな呟きを拾ってしまったり。後はシンプルに触れるか触れないかのところまで肩を寄せてきたほたるの体温や香りを強く感じたりして、どうしても落ち着かなくはなってしまうのだが。

 それらを意識的にシャットアウトしつつ、オーディオの再生ボタンを押す。


 そうして流れ出したのは、燎がかつて憧れ……そして今も大好きな作曲家の作品。以前河川敷の弾き語りで、ほたるが最後に歌ったあの曲と同じ作者の代表曲の一つ。

 夜明けに向かって、走る少年少女の歌。全力で、ただ全力で、真っ直ぐに前を向いて駆け抜けるような。疾走感豊かな音に色取られた、美しく眩しい曲。

 何度も、何度も聴いてその度に魅了されて。自分もかつてはこう在りたかった、と望み。

 そして――ほたるにもこの曲の彼女たちのように元気を出して、こう在ってほしいと。そんな少しの願いを込めたこの曲の選択だ。


 最初は小さく静かなピアノの音。そこからもう一つのメロディとドラムスが寄り添って入り、徐々にボリュームと拍子を高めていって――爆発。駆け抜けるような序奏と共に、語りかけるようなAメロディに移行する。

 その辺りで、ほたるが完全に曲に没入したのが分かった。もう片方の耳を押さえて、イヤホンから聞こえてくる曲の世界だけに身を浸す。


 ……不思議な感覚だった。

 リズムに合わせて動き、軽く触れるほたるの体温。曲の盛り上がりに乗って揺れる彼女の体の動きから、確かに今彼女と同じ音を、同じ世界を共有しているのが分かる。

 喫茶店のテラス席を抜ける爽やかな風、眩しくも鮮やかな日の光。

 それらを、音楽を通して隣の少女と共有する時間は……とても、とても心地よく。

 このまま少しだけ時間が止まっても良いかなと、一瞬思うほどには素敵な体験で。


 なるほど、世のカップルがこういうことをしたがる理由が少しは分かった気がする。

 まぁ、燎とほたるは付き合っているわけではなく。ここに来たのは取材及びほたるのメンタルケアのためだけであり、こういう甘酸っぱい体験をそのまま享受する資格は……少なくとも燎には無い。このまま心地良い時間を過ごすだけでも終われず、またこれが終わればほたるは戦いに向かっていく必要があるのだけれど。

 

 ……それでも。

 自分とは違って――まだ、真っ直ぐに目標に向かって戦う彼女に。この曲が、この時間が。少しでも、前に進む何かの力になれば良いと。

 そう心から願いつつ、燎も彼女と一緒の世界に入っていくのだった。

今回の曲もモデルがあります、よろしければ考えていただけると!

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