13話 先輩は
燎にしては珍しく動揺を顔に出さずに済んだのは、話の流れ的に聞かれてもおかしくないと薄々予感していたからか。
意識的に声をフラットに保って返す。
「……随分突飛な話だけど、なんでそう思った?」
「んっとね、違和感があったのは先週の始め、月城会長派か夜波先輩派かって話してた時かな」
「よく覚えてんな」
「なんだかんだ、入学してから君と影司とが一番話してるからねぇ」
謎の記憶力に感銘を受ける燎に、星歌が苦笑を一つ返して。
「で、その時夜波先輩派って言ったのがちょっと気になって。君は外見だけで明確に好みを決定するタイプには見えなかったから、そう言ったってことは多少なりとも人柄は知ってたりするのかなぁと思ってさ」
「……」
想像以上の鋭さに内心で冷や汗をかきつつ、続く言葉にも耳を傾ける。
「そんでさっき、燎が夜波先輩の噂に反応してたこととか、その前の会話でも思い返せば『他の女のことを考えてる』点は否定してなかったこととか」
影司が聞けば「TRPGでもやってんのか?」とでも言われるような相当の推理力を見せ付けたのち、星歌は「それと……」と告げ、ぴっと指を立てて。
「燎、今結構怒った顔してるよ?」
「――え」
言われて自分の顔に意識を向け。そこで初めて確かにかなり眉間が寄っていたことを自覚する。
「今の噂を聞いて良い気分がしないのはもちろんなんだけど、燎が明確に怒るってことはやっぱり嫌な噂ってだけじゃなくて……例えば知ってる人があらぬ噂を立てられたからなんじゃないか、とか思ってみたり。単純に陰口が嫌いなだけかもしれないけどね」
そして、凄まじい洞察力でそこまで言い当ててみせた星歌が、確信を探るようににやりと笑ってもう一度こちらを覗き込む。
「それでそれで? 燎くんは入学してからたった一月の間に、学校でもトップクラスの美人先輩とどんな甘酸っぱいイベントがあったのかね? ほらほら、話してみなさい」
……とは言え。流石の彼女もよもや燎とほたるが入学前から関係性を持っているとは思わなかったようで、そんなことを聞いてきた。だが、燎の答えは当然。
「ノーコメントで」
「なんでさー聞かせてよ、私たちの仲じゃん」
「仮に何かあったとしても、友達付き合い始めて一月の仲に聞かせる内容では到底ないだろ……そもそもなんで、あんたはしょっちゅうそんなこと聞きたがるんだ」
「え、普通に君のことは気になるからだけど」
影司ならともかく、自分なんぞに聞いたところで面白くはないだろう……と思っての言葉だったが、思わぬ星歌の返しを受けて軽く目を見開く。
その表情から燎の疑問を読み取ってか、星歌が続けて口を開いた。
「いやだってほら。私って可愛いじゃん」
「自分で言うかそれを。いやまぁ否定は一切できんが」
飛び出してきたのは中々とんでもない宣言だったが、それはそうだと素直に頷く。
先週影司も含めて話していた通り、星歌は先月入学した一年生の中でも一番可愛いのではないか、とそこかしこで噂が立つほどの少女だ。黒髪に赤のインナーカラーというかなり攻めた格好をしてもそれが様になっているほどの華があり、容姿の圧の強さに反して幼さを残す顔立ちや人懐っこい性格で親しみやすさもあるため、人気も相当高い。
校内では影司、燎と行動することも多いが、影司を見ての納得の視線と燎を見ての若干訝しげな視線の差をちょくちょく感じることも含めよく知っている。
「だから、私と初めて話した男の子はなんていうか……多少は緊張するものなんだよね。別に嫌とまでは思わないけど」
「あーまぁ確かに、気持ちは分からんでもない」
「でもさ、君は会った時からそういうのなかったんだよねぇ」
星歌が軽く外を見る。恐らくだが、入学時のことを思い返しているのだろう。
「影司は分かるよ、如何にも誰とでも秒で仲良くなれそうな感じだしぶっちゃけ可愛い子と話すのも慣れてそうだし。でも君は……えっと、その、教室の隅っこで外を眺めてるのが似合う系というか、あの」
「素直に陰の者と言って良いぞ」
そこを言うのは躊躇うのか、と少しおかしな気分になりつつ告げる。
「うん、まぁ、そんな雰囲気出てたし。あと実は初めて話した時も、『すげぇ、絵に描いたような陰の者が居る!』みたいな好奇心で話しかけたところも少しはあったし」
「そこまで言われると複雑な気分」
「でも、実際話してみると全然そんなことなくてさ。普通にフラットに話してくれるし話題にも乗ってくれるし……なんかちょいちょいなんて言うか、謎に女慣れ? してそうな部分が垣間見えるんだよね」
……これも中々に鋭い。そしてその理由に関しても心当たりがある。
恐らく、というか間違いなくほたるとのデートの影響だ。そりゃあんなことを週に一回繰り返していれば異性との会話だけで動じることなんてそうそうなくなるだろう。
「もちろんそっちの方が話してて楽しいし趣味も合うし、それだけで友達になるには十分なんだけどさ。……やっぱりたまにはこう、からかいたいと言うかこういう人の純情を弄びたいと言うか!」
「結構ひどいこと言ってる自覚ある?」
「ほら、今もクラスの可愛い女の子とちょっと雰囲気ある会話してることに照れてくれてもいいんだけどなー」
「それはご期待に答えられず申し訳ない」
残念ながら、その手のやりとりは休日ほたると嫌と言うほどやっているのである。派手にからかわれてもいるし純情を弄ばれてもいるので、クラスメイトとの会話くらいは気楽にさせてほしいというのが本音だ。
業務デートによる思わぬ副作用に若干驚きつつ、「ちぇー」と呟く星歌を促して歩みを再開する。
そのままぽつぽつと他愛のない会話を挟みつつ、同時に思い返すのは先ほどの星歌の言葉。
『燎、今結構怒った顔してるよ?』
(……まぁ、そりゃ怒るよな)
自分の感情に、ある意味自分で安堵する。
『何も努力しないで良い気分になれて、美人は得だよね』
『一芸入試組なんでしょ? 何かは知らないけど、そっちが上手く行ってるから学校なんてどうでも良いって感じ?』
……あの陰口の内容を思い返すと、改めて微かな苛立ちが募ってきた。
どうしてそんな、都合良く人を悪者にできるのだろう。なんの根拠もない、勘違いも甚だしい内容だというのに、勝手にイメージを押し付け悪いと決めつけて。
何も努力しないだなんて、そんなわけがあるものか。
ほたるは頑張っている。なりたい自分を持って、目指すべき目標を見据えて。脇目も振らずに真っ直ぐそれに向かって進み続けられるという、最も得難い素晴らしく凄まじい在り方を体現している。
強く、眩しく。人の活躍を羨むことしかできない人間には決して到達できない領域を、彼女は進んでいる。
家に帰ってからもずっと、学校に居る以外の全ての時間を原稿に捧げて。漫画のために、より良い作品を作るために、他の全てにそれを優先させ、頑張って。
――取材のために、出会って一週間の燎とデートをすることすら厭わなかった。
彼女は、そういう存在で。
そういう彼女を……燎は尊敬しているし、憧れている。
そんな人を、根拠の無い悪口で貶されればそれは怒りの一つや二つ湧くだろう。
(……ただ)
それは、あくまで燎の感情であり。
ほたるに直接の関係はない。それに、ほたるであればそういう噂を耳にしたところで原稿に向かう姿勢が揺らぐわけではない。
なら、これ以上燎が心を乱したところでどうしようもないだろう。
(先輩に直接の影響がないなら、俺がこれ以上考える必要はないか)
そう切り替え、前を向いたところで。
「それで、夜波先輩とのご関係は」
「ノーコメント」
「むぅ。上の空な今ならワンチャン話してくれると思ったけどダメかぁ」
油断も隙もない女である。
呆れた視線を向けるが……星歌は、珍しくほんの少し唇を尖らせると。
「で、また考え事? それが燎にとって重要なことなら、無理に中断しようとは思わないけど……私と話してる時にずっとそうなのは、流石にちょっと拗ねるよ?」
「……そうだな、悪かった」
確かに、一人の時ならともかく会話中ずっとこの状態なのはよろしくないだろう。考えていることを話せないのであれば尚更。
そう考えた燎は一つ謝って。それ以降はいつも通りの調子に戻った星歌と次の授業の予習について話しつつ教室へと戻っていく。
程なくして昼休み終了のチャイムが鳴り、授業が始まるが。
(……そろそろ、会議が始まる頃かな)
やはり、今日ばかりはそうそう集中できるはずもなく。一人になって気がつくと、意識がそちら関連のことに飛んでしまい。
そして、そんな燎を。
「……」
隣席の星歌が、少しだけ驚いたような、意外そうな顔をして見ていたことには、その日は気付かなかったのである。
次回、話が動きます。