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11話 業務の終わりに

「すっごく楽しかった! でも、すっごく疲れた……」

「両方同意です」


 夕方、帰り道。

 服の入った紙袋を抱えたほたるがそう呟き、同じく服飾店の紙袋に加えてギターケースも背負った燎が隣を歩いてそう返す。


 疲れた、の原因を担う大部分は間違いなく後半、河川敷での弾き語りだろう。

 そもそも歌うという行為自体かなりの体力を消費する。それをあれだけたくさんぶっ続けで行い、最後にはあのような予想外の事件にまで遭遇したのだ。

 体力的にも精神的にも、消耗は相応のものだっただろう。


 ……だが、それを差し引いても。

 あの穏やかな春の河川敷で、彼女と共に様々な音を奏でられた経験が、素晴らしいものだという印象は絶対に変わらなかったので。

 そう答える。が――彼の返答に、ほたるはきょとんとした顔でこちらを向く。そのまま、若干不安げな表情を表に出して問いかけてきた。


「……両方? ほんと?」

「ええ、デート中なので嘘はつきませんよ」

「疲れたのは、分かるんだけど。楽しかったっていうのも、ほんとに……」

「……ああ」


 ほたるの言わんとするところは、大凡察した。


「少し疑問だったんですよね。今日のデート、内容を俺に知らされなかったじゃないですか。何かサプライズ的なことも無さそうな気配だったし、なんでかなと思ってたんですけど……昼、姉貴にギター(これ)を渡されて午後の内容を知らされた時に納得が行きました」


 ギターケースをもう一度背負い直してから、核心に切り込む。



「この内容を事前に知らされたら――俺に(・・)断られるかも(・・・・・・)、って思ったんですね?」



 予想が間違っていないことは、ほたるの柔らかくも少しだけ罪悪感を浮かべた表情ですぐに分かった。


「……ごめんね」

「お気になさらず。どうせ姉貴の差し金でしょう?」

「うん。……迷ったんだけど、やっぱりやってみたかったことと……ともちゃんが、『当日の勢いでゴリ押せば燎ならやってくれるわ、あの子も弾くことなら嫌じゃないはずだし』って言ってたから……」


 そんなことだろうと思った。

 そして――分析も完璧にその通り。そのことはなんとなく癪だが、ほたるに一切罪はない。


 ほたるは、二人が出会う前に燎が何をやっていたかは知らないはず。

 だが……燎や灯との会話の節々で察してはいたのだろう。燎が、音楽関連で少し仄暗いものを抱えているということだけは。

 それの影響で、ひょっとすると楽器に触るのも本当は嫌になっているんじゃないか……だなんて想像まで膨らませてしまっていたのかもしれない。


 だが、そんなことはない。

 自分にあったことは、そんな劇的なものでもなんでもない。ただの一人の少年が擦り切れて折れて見切りをつけるまでのお話。輝かしい成功の影に隠れた無数の敗北のストーリー、そのありふれた一つに過ぎない。

 故に、ほたるに話すつもりはない。話したくないわけではなく……誰かに話すにはあまりに惨めで情けなく、聞かせるのが申し訳なくなるからだ、とりわけ彼女には。

 そんなささやかな想起を早々に押し込めて、燎は素直に『本音』を語る。


「音楽は、今でも好きですよ。まだ色んな曲を聴いてますし、演奏だって趣味の範囲であれば楽しい。だから今日先輩と曲を弾けたことも、素直にとても楽しかったです。しかも先輩、俺の好きな曲ばっかりリクエストしてくれましたし。趣味が合うってのは本当だったんですね」

「そ、そっか。……なら、良かった」


 もう一度安心したように、ほたるが息を吐く。

 そう、言葉通り。燎は音楽が好きだ。聞くのも好きだし、演奏も軽くなら楽しい。

 ――ただ。


「ただ……『そこから先』に行くには。俺には、足りないものが多過ぎただけで」


 それ以上に進みたいのであれば、もう楽しいだけではいられない。今までとは全く別種の、そして色々なものが桁違いの場所に足を踏み入れる必要がある。

 燎が断念し……そして、ほたるが今居るのはそういう世界。


「だから、俺は先輩のことは尊敬してます。大変なこととかもすごくたくさんあると思いますけど、それでも絶対諦めずに前に進んで、もう連載一歩手前のところまで来てるんですから。だから……」

「だから、あたしのことは好きなんだ?」

「それ自分で言いますか。……まぁ、そうです。先輩としてですけど」


 ほたるとのデート中の唯一の条件、絶対にデレること。

 それに従い、今は素直に本音を開示する。

 聞き届けたほたるは、嬉しそうに微笑んで……けれどその後、少しだけ眉を下げる。今の一連の言葉を告げた燎の表情、そこに潜む一つの澱みを、見てとったのだろうか。


「……かがり君はさ。本当は……」


 けれど、告げようとした言葉は途中で途切れ、虚空に溶ける。

 たとえデート中であろうとも。流石のほたるもここまでは軽々に踏み込めないと悟ったか……もしくは、単純にもうほたるの家が見えてきたからだろうか。


「それで、先輩」


 そのことに気が付いて、燎が問いかける。


「――今日の業務は、参考になりましたか?」


 それは、魔法の言葉。

 いつもとは違うところがたくさんあったけれど、今までよりもお互い少しだけ深いところを開示したような気がしたけれど。

 それでも――このデートは、あくまで業務。お仕事であり、燎とほたるは被雇用者と雇用者。そういう線を引くための、デートという非日常の終わりの儀式だ。

 気づいてか気づかずか、ほたるが切り替えるように笑って答える。


「うん、とっても! きみの知らない顔も見れたし、漫画でよくあるシーンでどういうことを考えてるのかわかった気もするし……あと、ちょっと悔しいけど、男の子にやり込められる時の気持ちも分かったし」

「それは何より」

「その言い方はなまいきだね!」

「その言い回し気に入ったんですか?」


 他愛もない会話をしつつ、家に到着。

 それで本当の、デートの終わり。玄関に入った瞬間、メインの業務は終了する。

 だからその前に……と燎は。


「先輩は帰った後は、原稿の最後の仕上げですか?」

「うん。……週明けは、いよいよ連載会議だからね。ともちゃんも自信あるって言ってくれてるし、最後の最後までしっかり仕上げたいんだ」

「そうですか……ええ、頑張って下さい。応援してます、応援しかできませんけど」

「いやいや、そんなこと言って今日もご飯作ってくれるよね……」


 それはそうなのだが。

 燎とほたるは、立っている位置も戦っている場所も違って。やっぱりこういう時は応援することしかできないと、少しだけもどかしかったりもするのだ。


 ……でも、それで良いとも思う。

 ほたるには、そのまま進み続けてほしい。真っ直ぐに、迷うこともためらうこともなく、その強さを持ったままにどこまでも駆け上がって行ってほしい。



 ――追いつこうだなんて、絶対に思えないくらいに。



 そんなことを考えつつ、玄関をくぐろうとするが……その直前。先に玄関に入ろうとしていたほたるが、くるりとこちらを振り向いて。


「あ、そうだ、かがり君。最後に一つだけ」

「はい?」

「……あたしもさ、これまではひとりぼっちで。やりたくても一人じゃできないことだって、いっぱいあった。そんな時にともちゃんに見つけてもらえて、かがり君にも会えて。きみは今みたいにちゃんと作る側の気持ちも分かってくれるし、あたしのやりたいことにもちゃんと寄り添ってくれる。今、とっても楽しいよ。だから……」


 弾けるような微笑みで、一息に。



「あたしもかがり君のこと、好きだよ。……もちろん後輩としてね?」



「んな」

「……あれ、どういう意味での『好き』だと思ったのかなぁ。あとその表情もらうね~」


 完璧な不意打ちにものの見事に動揺した顔を晒したことに気づくも時すでに遅し。

 にまりと燎の表情をしっかりと観察したほたるが、今度こそ踵を返して家の中へと入っていく。


「……ほんと、あの先輩は」


 今日は、特に後半は小悪魔成分が控えめかと思ったら最後の最後に特大の意趣返しをかましてきてくれたものだ。

 また、完璧に引っかかってしまう自分も自分だ。元より取り繕うのが得意な方ではないが、ほたる相手だととりわけ防御力が低過ぎないか。


(何考えてたっけ)


 そして、今のインパクトが強過ぎてそれまでの思考過程が一気に飛んだ。

 何やら色々と重苦しいことを思っていた気もしたが、流石にもう色々と疲れたので。


(……先輩が楽しかったなら、まぁいっか)


 とりあえず、楽しめて参考にもなったなら業務としては十分だろう。

 そう結論づけ、今までの思考は一旦――半ば意図的に忘れて。

 ギターケースを背負い直し、一息をつきつつ。業務終了を告げる玄関をくぐっていくのだった。

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