10話 音楽の趣味
燎とほたるが暮らす旭羽高校近辺は、悪く言えば中途半端、良く言えば都会と田舎の良いとこ取りをしたような地域だ。
都心部も近く、電車で数駅かければ遊ぶ場所や買い物する場所にも事欠かず。けれどそこから少し歩けば、建物がまばらで自然豊かな場所にも辿り着く。
本日のデート後半の舞台は、そんな場所の一つ。大きな河川敷だ。
十分なスペースがあり、洪水対策の並木のおかげで住宅街まで音が響くこともない。
天気も快晴。五月上旬らしく少しだけ汗ばむような陽気だが、河を通る涼やかな風がそれを非常に良い塩梅で中和している。実に爽やかで暖かい、春の自然の中にあり――
「だから、こういうところで一度歌ってみないなーって。すごく気持ちよさそうじゃない?」
「なるほど、確かに」
河川敷の一角。弾けるような笑顔でそう告げたほたるに、燎も同意した。
つまるところ、燎は楽器の心得がないほたるに代わっての演奏係というわけだ。確かにアコースティックギターを背負っての午前中の買い物は……しんどいとは行かないまでも多少煩わしくはあったかもしれない。
予定を合わせて届けてくれた灯には感謝すべきだろう。……まぁ多分これを画策したのも灯ではあるだろうしこれを燎に本日秘密にしていた理由等、色々と気になるところや大凡察しているところ、灯に聞きたいことも無くはないのだが。
でも、と改めて河川敷を見やる。
人はまばらで、変わらず穏やかな陽気に包まれている。こういう場所は燎たちに限らず楽器の練習をしている人も多く、そう言えばこういうの小学生の頃憧れだったな、と泡のように思い出す。
そんなささやかな憧憬を今、この隣の少女と共に実現できるのなら。
「……確かに、楽しそうですね」
「でしょ!」
肯定の言葉を受けてか、ほたるも再度安心したように、嬉しそうに微笑んで。
そこから軽く歩いて場所探し。程なくして丁度良さそうな木陰のベンチを見つけたので、そこに座ってギターを取り出しチューニング。
……諸事情により、燎には楽器の心得がある。具体的にはピアノと、ギターを少々。この六弦にはとりわけ、様々な感情や過去が澱のように絡み付いてはいるけれど。
けれど、今はデート中。ほたるの取材に協力し……そして、彼女に楽しんでもらうことを第一にするべき。
そう考え、思考を区切って彼女の方を見やる。
「では、リクエストを。俺の知っている曲であれば、コード進行くらいなら対応します」
「そこもだいじょぶ! ともちゃんに、あたしときみの音楽の趣味が合ってるのも確認済みです!」
そんな言葉と共に、告げられた一曲目のリクエスト。それを聞いた燎は、少しだけ瞠目する。こう言っては失礼かもしれないが……少しだけ彼女のイメージには合わなさそうな曲だったからだ。
「知ってる?」
「ええ、良く知ってます。けど……正直意外でした。何故これを?」
それは、現在メジャーデビューを果たしヒット作を次々と生み出し続ける有名作曲家が、まだ別名義で活動していた頃の少し古めの曲。
涼やかな夏の始まり、夜明け前を歌った――穏やかで優しい、少しの切なさを含んだ包み込むようなローテンポが特徴の名曲だ。
内面は明るく真っ直ぐな彼女には、少しだけ似合わない……と言うのも若干失礼だが、微かな違和感を覚えたのでそう問いかける。
するとほたるはきょとんとした顔をして、
「ん? えーと、単純にすごく好きな曲っていうことと……あ、後」
少しの照れを含んだ表情で、答える。
「曲の名前が、あたしの名前と似てるから、かなぁ」
「……それは、随分と可愛らしい理由で」
「ん! 今の『可愛い』はちょっと馬鹿にしたでしょ! それくらいはもう分かるんだから!」
「あ、いや、すみません」
またもやぽこりと軽く叩いてくるほたる。なんだか今日の彼女は先ほどから照れを多く見せてくるな、と思いつつ謝る。幸い彼女は今回も本当に怒った様子はなく、「もう!」と笑い気味に木陰前に立つ。
歌う準備を始めた彼女を他所に、燎も準備を開始する。色々言ったが、確かにこの手の静かな曲は下手にアップテンポで賑やかな曲よりも弾き語りでは映える。丁度アコースティックなアレンジも公式から出ていることだし、それに合わせれば一通りは弾けるだろうと判断。
コードを再度脳内でおさらいしてから弦を爪弾き、演奏を開始する。まずは透明感のあるメロディを含んだ前奏が終わってから、ほたるが息を吸って――歌声を奏でる。
「~♪」
それは、春の陽気の中に浮かび上がった静夜の寄り合いのようだった。
きらきらと輝く太陽に少し当てられてしまった人たちが、ほんの一瞬立ち寄って耳を澄ますような。遊び疲れた子供たちが、ちょっとだけの午睡に身を委ねるような。
ほたるの、可愛らしくも伸びやかな声で紡がれる静かな歌は、そんな印象を与え。燎も合わせるように手つきは優しく、強弱は抑えめに、流れるように柔らかなアルペジオを奏でる。
そよそよと木陰に流れる爽やかな風、木々に反響して跳ね返ってくるギターの音色と少女の声。それらも相まって、今この綺麗な世界の一部分に自分達がなったようで。
彼女の言った通り。そして、自分が予感した通り。とてもとても、楽しい時間だった。
やがて、曲が終わり。けれどお互いに、まだ物足りないと感じているのは分かっていたので。
「じゃあ次は……この曲で!」
続けてリクエストされた曲は一転して、大人気の漫画原作テレビアニメのオープニングテーマ。超有名バンドが作曲した、明るくアップテンポなポップソング。その次は同じバンドが大ヒットする契機となった儚い恋の曲。
その次は、一等星を曲名とテーマにした幻想的な歌。
……これも燎の感覚だが。曲の趣味、というものにはある程度の人間性が出ると思っている。
だからこそ、驚いた。誰もが知るような有名曲に挟まれて時折リクエストされる――どこか切ない印象を与える、それでいて全て燎の趣味にぴったりと合致した曲の数々。
色々な意味で、正反対だと思っていた自分とほたる。その二人が持っていたと今日分かった、意外な共通点。
『ともちゃんに、あたしときみの音楽の趣味が合ってるのも確認済みです!』
それが、意味するところは……
(……いや)
考えても意味はないか。そもそも曲の趣味程度で人を測ろうなんておかしな話だ。
加えて――今は、そんなことを考えているのは勿体無い。
せっかく、こんなに良い場所で。愛らしく、楽しく歌ってくれる少女のバックミュージックなんて名誉な役を賜っているのだ。
……自分も楽しまなければ、損だろう。
そう思い、次のリクエストに合わせて最初のコードに指を持っていくのだった。
そこからも、しばしの間二人の小さな弾き語りは続いた。
ほたるの歌声は、技法的にそれほど優れているわけではない。
けれど、ファッションデートの時と同じだ。最低限音は取っており決して下手というわけでもなく、加えて曲に対するリスペクトというべきか、『この曲を歌えて楽しい!』と心から思っており、それを表現しようと声で、表情で、全身で表している。
元より非常に人目を惹く容姿をした美少女で、声質も甘やかでよく通る。そんな子が楽しそうに歌っているとなれば、それはもう見ているだけでも微笑ましく幸せになる類のものに違いなく。
……そして必然、人目を集めるのである。
「え、誰あの子。超美人」
「路上ライブ? 楽しそー」
「声もめっちゃ可愛いじゃん、聞いていかない?」
最初は数人だったが、丁度団体さんが河川敷を通りがかった辺りでその人だかりが膨れ上がり。まさしく言葉通り路上ライブの如く、数十人が燎たちを取り囲んで聞き入る小さな演奏会状態となった。
「!?」
その辺りで、歌に集中していたほたるも周りの人に気付いて驚きを見せるが、それで歌を止めてしまうのも勿体無いことと、あとはここで止めるのも聞いている人に悪いと思ったのだろう。若干緊張を表に出しながらも、とりあえず丁度始まった今の曲までは歌い切ることに決めたようだ。
そんな、多分ほたるの状態的に最後となるだろう曲は、恐らく『ボーカロイドで最も有名な曲は』と問われたら何人かは上げるだろうほどの歌。
最初と同じ、夜の曲。静かで爽やかなメロディから始まって、夜空に飛び上がるような疾走感のあるサビに一気に入り。開放感に満ちた曲調と少年少女の心情に寄り添った歌詞で一世を風靡した名曲、そのアコースティックカバー。
……そして、燎にとってもある意味で思い出深い曲。つくづく、本当にほたるとは音楽の趣味が合うようだ。
曲を知っている人も多かったのだろう。「これ好き」「声も合ってる」「ていうかマジで可愛い、高校生?」と言った、曲への感想、ほたるの歌声や容姿に対する評価等々、様々な声が聞こえる。とりあえず、概ね好意的な評価の様子でほっとした。
同時に、これだけ人がいると何人かは物好きも紛れているようで。
「ていうかさ、バックのギター弾いてる男の子もめっちゃ上手くない?」
――そんな声も、聞こえてきた。
「だね、さっきから見てたけど女の子のリクエストに合わせて全部即興っぽいし」
「マジ? 普通にすげぇじゃん」
「俺には分かるぞ。あれは音楽に真摯に向き合ってきたやつにしか出せない音だ」
おい最後の奴、謎の知ったかぶりをするな。たかが外でのアコギの演奏ひとつでそんなことまで分かるわけないだろうが。
……まぁ、言っていること自体は全くの的外れというわけでもないのだが。
そんなことを考えつつ、演奏を続ける。幸いと言うべきか直ぐにそれらの人々もほたるの歌声の方に意識を割かれ、眩しい昼下がりの空の下、木陰での演奏会が続く。
そうしてラストのサビ、伸びるような優しいソプラノで紡がれる応援の歌詞が終わり、彼女の愛らしい鼻歌に合わせてのアウトロを終え、演奏が終了した。
余韻が消えると同時に――わっ、と歓声が起き拍手の雨。お金を投げようとしている人もいる。それにほたるがもう一度びくりと肩を震わせて、慌てた様子でぺこりと大きく頭を下げた。
「すごい良かった!」「可愛かった!」「バンドとかやってるの?」
続けて向けられる、好奇と興味の混じった問い。更にそれに合わせての……
「何してる人? ちょっと興味あるからさ……」
から始まる、恒例というかなんと言うかの若干不埒っぽいお誘いを受けた辺りで、彼女のキャパシティが限界に達したのだろう。ぴゃっとその場から後ずさると燎の後ろに隠れるようにしてしがみついてきた。
相変わらず慣れてない人の前ではこうなるのか、と思いつつ、代わりに視線を向けてきたオーディエンスの方々に説明する。
「……あー、ここまで人が集まってくれるとは思ってなかったみたいで。それとこの通り先輩は結構な人見知りなので、あまりがっつりお声がけするのはすみませんがご遠慮いただけると」
「ひ、人見知りじゃないもん、知らない人との距離感がちょっと癖で慎重になっちゃうだけですー!」
「今見栄を張る必要は無いし結局言い逃れできてないし俺の後ろで隠れながら言われたところで説得力が皆無ですね……」
いつもの返しに、ほたるが唸りつつもう一度ぽかり。どうやら今日の彼女は、最初の予想に反してちょっと小悪魔モードが鳴りを潜める日らしい。そんな二人のやり取りを見て、周囲の人間も関係性を察したのか質問攻めをやめる。
けれど、そのままでは聞いてくれた人に申し訳ない――とほたるの方でも思ったのか。燎の後ろからではあるがちらりとオーディエンスの方に顔を覗かせる。
「えと、聞いてくれてありがとうございます……! でもその、あたしは本職で歌ってる人とかじゃなくて、だから投げ銭とかその辺りも大丈夫で。あと……」
そのままたどたどしく告げたあと、最後に例のナンパ寄りのお誘いをしてきた大学生くらいの男性に視線を軽く向け……ぎゅっと燎の手にしがみつくと。
「……今は、かがり君とデート中なので。そういうお誘いは、遠慮したい、です……」
若干の怯えを含んだ潤む瞳で……つまりとても小動物的な庇護欲及び罪悪感をそそる感じでそう言われ、これ以上押せる人間はまぁ現代日本にはそういないだろう。
周囲の目線もあって向こうもそれを悟ったか、苦笑と共に肩を落として。
「やーごめん、そこまで怖がらせるつもりはなかったんだけど……空気読めてなかったっぽいな。お兄さん、先輩守ってあげてね」
「……どうもです」
多分純粋に話を聞きたい意味合いの誘いだった様子、根は悪い人ではないのだろう。労いを込めてそう言われ、その男も仲間らしき男女に結構強めに叩かれていた。
その様子を見て、周囲の人だかりにも安心した空気が戻り。
……つまり残るのは、ほたると燎に対する非常に生暖かい視線だけ。
「……えーと、では、改めて。お聞きいただき、ありがとうございました」
空気が非常にいたたまれなかったのと、割と怖いのか常に無い様子で燎の腕にしがみついてくるほたるの柔らかい感触が結構精神を削ってきていっぱいいっぱいだったので。
とりあえず、もう一度人々に頭を下げると。「頑張れよー」「色んな意味で良いものを見た」「お幸せにー」なんて謎の応援を受けつつ、その場を離れる。
「先輩、そろそろ離していただけると」
「……これ以上くっつかれるとどきどきしちゃうから?」
「はい。あとここでもその台詞が出せる先輩はすごいなとも今思いました」
……改めて、ほたるの容姿や振る舞いの影響力を再確認しつつ。
照れつつも小悪魔的なからかいも忘れないほたるに呆れながら、本日のデートのメインイベントは幕を閉じるのだった。
本話に出てきた(また今後も出てくる)曲は、全てモデルがあります。おまけ程度の要素ですが何の曲か考えていただけると嬉しいです!




