4 猫ちゃん、掲示板に草wなどと書く
小説は最終章に入る。久一は戦地に行くため、まずは汽車がある駅を目指さなければならない。駅までは舟で川を下って移動していく必要がある。舟というのは船頭が操る大きめのボートのような物か。舟には久一と、荷物を預かる馬子の源兵衛、そして久一を見送る者達が乗る。見送りは那美の父親、那美、那美の兄、そして主人公である。
見送りは多い方が良いだろうと、主人公が誘われて応じている。山道を登る主人公の姿から始まった『草枕』は、最終章で主人公が川を下って終着する。
那美が久一に、「軍さは好きか嫌いかい」と話しかける。「出て見なければ分らんさ」と久一が答える。正直な答えだろうが、那美は不満そうだ。彼女は彼女なりに久一を心配している。
父親が取りなすように、「国家のためだから」と言う。那美は久一に「短刀なんぞ貰うと、ちょっと戦争に出て見たくなりゃしないか」、「そんな平気な事で、軍さができるかい」と、覇気が無い久一を叱りつけるように言う。殺さなければ、殺されるのだ。それが戦争なのである。
『那美と仲が悪い兄が、『那美さんが軍人になったら強かろう』と言う。売り言葉に買い言葉で、『私が軍人になれりゃ、今頃は死んでいます』などと返す。那美の苦悩は延々と続くもので、戦場で死ぬ男達とは違うんだよ。生きている限り、周囲から『出戻り』、『狂人』などと陰口を叩かれるんだ』
那美は「久一さん。御前も死ぬがいい。生きて帰っちゃ外聞がわるい」と言い放つ。自分を出戻りだと非難する兄への当てこすりだ。父親が間に入って、なだめる。父親は久一に、「死ぬばかりが国家のためではない。わしもまだ二、三年は生きるつもりじゃ。まだ逢える」と、生きて帰ってくるように伝える。
『主人公は余所者だから黙っている。船旅は長くて、那美は主人公に『私の絵を描いてください』と話しかける。主人公は『あなたの顔はそれだけじゃ画にならない』と断る。憐れの情が無いという意味だけど、そこまで主人公は説明しないから、那美は馬鹿にされたと思って黙る』
黙ると言えば、さっきから赤子と青子は黙り込んだままだ。寝落ちしたのかも知れない。ネット掲示板には良くある事である。夢の中で寝落ちという状況が有り得るのかは気になった。
『船からは、小説の最初で主人公が登ってきた山が見える。那美が指差して、『あの山の向うを、あなたは越していらしった』と話す。旅人である主人公は、いつか宿から発っていく。宿屋の娘である那美は留まる事しか出来ない。誰も彼もが彼女から離れていく。主人公と那美は、かつて歩いた山道に付いて語りながら時を過ごすんだ』
舟が岸に到着する。舟を乗り捨てて駅に着く。主人公の目には、汽車が人間を荷物のように運搬する機械に見える。今日も兵士という名の荷物が戦地へと運搬されるのだ。
主人公達は駅のプラットフォームで汽車を待つ。「いよいよ御別かれか」と那美の父親が言う。
『『それでは御機嫌よう』と久一が頭を下げる。『死んで御出で』と那美が言う。那美の兄は『荷物は来たかい』と実務的な事しか言わない。心の温かさは、那美の言葉の方に表れていると思うね。汽車が駅に到着して久一は乗り込む』
主人公は、久一が行く戦地を思う。火薬の匂いがする、地面は血で滑る、兵士は転んで空を見る。空では大きな音を立てて弾が飛び交う。それが兵士の、最後に見る光景かも知れぬ。
那美の父親が、思わず汽車の窓際に行く。久一が窓から顔を出してくる。「あぶない、出ますよ」と駅員が制止して、汽車は動き出す。何処にでもある別れ、何処にでもある永遠の別れだ。
『その時、汽車の最後尾の車両から、髭を生やした男が窓から顔を出す。主人公が野武士と呼んでいる、那美の元夫だ。元夫と那美は目が合う。ほんの一瞬、見つめ合う』
那美の元夫は、おそらく生きては帰れまい。すぐに男は汽車の中に首を戻す。取り残された那美は、茫然と、いつまでも去っていった汽車の方を見つめる。彼女の顔には「憐れ」がある。
『主人公は小声で、那美の肩を叩いて、『それが出れば画になりますよ』と那美の顔を評価する。小説はそこで終わりだけど、たぶん主人公は、那美の絵を描いてあげるんじゃないかな』
そもそも主人公の目的は、絵の題材を見つける事であった。いっそ主人公は、那美と結婚して旅館の亭主に収まれば良いのではないか。そして毎日、妻の顔を絵に描いてやれば宜しかろう。すぐに離婚するかも知れないが、それはそれで面白いのではないか。
湿っぽい終わり方なので、そういう想像の余地くらいは残しておいてほしい。そう吾輩は思います、漱石先生。
思ったところで、『う、う、う……』という文字が現れてきた。何だろうか。
『うわーん! うわあぁぁぁん!』
『うえーん! うえぇぇぇぇん!』
警報のような勢いで、赤子と青子が泣いている。文字だけなのに耳が痛いほどだ。
『悲しいっす、悲しすぎるっす! 戦争で夫の勤めてた銀行が潰れて離婚!』
『そして、別れた後も、元夫を戦争が奪い去っていく! 悲しさ再び! 悲しさ二乗!』
『そ、そうだね。可哀想だね……』
吾輩は吾輩で、那美が元夫に渡した財布が気になった。いくら渡したか知らないが、借金を抱えたまま元夫は帰ってこないのだろう。仮に元夫が生還しても、金は返ってくるのか、どうか。
『戦争は嫌っす、悲惨っす! ノー・モア・ウォー! ノー・モア・ウォー!』
『皆で連帯して泣き叫ぶっす! 戦争は嫌ぁー! 戦争は嫌ぁー!』
泣き叫ばれてしまった。吾輩、掲示板に過ぎないので、赤子と青子の文字を止める事が出来ない。ネット掲示板の荒らし対策は管理人やAIが行うようで、つまり吾輩は無力である。
吾輩、掲示板なので身動きが取れない。どうやって夢の世界から出ようかと思っていたら、赤子と青子の文字に寄って掲示板の容量が限界を越えたようだ。吾輩、スレッド倉庫とか過去ログ倉庫とか呼ばれる所に運ばれて、そこから現実世界に戻された。
目が覚めると深夜であった。龍之介くんが近くで寝ていて、吾輩はノートパソコンの前に居る。二階の部屋で、猫チャンネルに書き込んでる最中に寝てしまったらしい。
吾輩、掲示板を巡回する。『原稿執筆から逃走中、なう』と書いてる奴が居る。主人である。
『小説を書いてるんじゃなかったのか。ちゃんと書き上げろよw』と吾輩、文末に草を付けて煽る。主人は一階のノートパソコンで書き込みをしていて、反撃してくる。
『草を生やしてばかりの単芝に言われたくはないんだよ。お前は無職だろ、働いてみろ』
『草を枕にして寝てるような身分なんで。労働は遠慮させて頂きますw』
主人と吾輩が煽り合う。これは夢の続きなのだろうかと思う。
『お前のせいで、編集者から『先生は単芝なんですか?』などと言われるんだよ。紛らわしいから、俺と似た文章を書いてくるのは止めろ』
『文末に草を付ければ、みんな誰でも単芝さ。ほら、草をあーげたw』
吾輩、主人に絵文字付きで「W」の文字を渡した。掲示板では、こういう遊びが出来る。
吾輩も主人も、そろそろネット掲示板は卒業したいと思う。仮に掲示板で単芝と呼ばれる奴が居たら、それは主人か他人であって猫の吾輩では無いのだと、そう言い張っておきたい。
第七章、終了です。更新ペース、更に落ちます。申し訳ありません。
1日1回の更新を目指します。