3 猫ちゃん、主人と山師を見送る
「何だ、帰ったんじゃなかったのか」
主人が男に声を掛ける。男は主人と同じ、四十代だ。金が無い主人と違って、こちらは少し、裕福そうな小奇麗な格好をしている。大学時代からの知り合いらしい。
「昨日、ここで一緒に呑んで、泊めてもらっただろ。さっき起きたばかりだよ」
この家には、ぐうたらな男しか居ないのだろうか。吾輩も同様に寝ていたので批判はできないが。男は過去に企業の社長をやっていたが、その企業は潰れてしまったらしい。
今は何冊か本を出していて、主人より売れているようだ。吾輩は彼を「山師」と名付けている。インチキな儲け話を持ち掛けては、他人から金をだまし取る輩にしか見えない。
「つか、あの編集者、お前に気があるだろ。俺が居なかったら、お前は襲われてたかもだぜ」
「馬鹿を言うな、年齢差がありすぎるだろ。子持ちの男なんか相手にする奴は居ないよ」
話にならんという態度で主人が切り捨てる。話にならないのは主人の方だと吾輩は思う。
「原稿を書けと言われてるんだろ。書けばいいじゃないか。何を書いても、どうせ売れないんだし」
「売れないと断言するな! それなりの内容が必要なんだよ。書けば良いってもんじゃない」
「そもそも小説なんか、無名の人間が書いても売れんよ。芸能人が書けば芥川賞候補さ」
山師は言う事がヒネている。皮肉が服を着ているような生き物で可愛くない。
「俺も本は出すけど、お前みたいに小説は書かんよ。コネを使って有名人と対談すれば良いのさ。それをライターにまとめてもらって出版すれば俺の本が完成だ。まあ共著だけどな」
「そういう事じゃない。小説は芸術なんだ。お前みたいに効率しか考えない奴には分からん」
「分からなくて結構さ。人生には無駄な事が多すぎるよ。結婚もそうだ、俺なんか三人も娘ができてから離婚してな。養育費が大変だよ。こんな事なら、もっと早く別れるべきだった」
結婚の失敗よりも、金が無駄になった事を山師は嘆いているようである。
「どうせ書けないんだろ、なら今から呑みに行こうぜ。俺が奢るからさ」
山師は嫌な奴だが、金は持っている。度々、それで主人を連れまわすのであった。この山師が主人と付き合っている理由は、要するに他の友達が居ないからではないだろうか。
「くそー。金さえあれば、お前なんかの誘いに乗らないのになぁ」
「言いながら、立ち上がって支度してるじゃないか。何処に行くよ、ギョーザ屋で食うか?」
「この前、『マスクをしてない方は入店できません』って言われて揉めただろ。他の店だな」
いそいそと主人が服を着替える。飯を食いに行くのは良いが、吾輩のご飯はあるのだろうか。
「あまり遠くには行かないぞ、子供が居るんだから。今は寝てると思うが」
「分かってるって。つか、お前も離婚して、子供なんか手放しちまえよ。面倒が無くなるぞ」
「冗談じゃない。俺は妻も子供も愛してるんだよ」
ついでに吾輩の事も忘れないでくれませんかね。食べる物は置かれているのか不安なので。
「猫、行ってくるぞ。しっかり子供の面倒を見ておけ」
そう言って主人は、山師と共に外出していった。吾輩は餌箱の方に行ってみて、ちゃんと食事の用意がしてあるのを見てホッとする。昨夜の内から置いてあったようだ。
いつもどおりのキャットフードで、吾輩、全く文句はない。魚などは生臭くて食べられないので。昔は知らないが、今の飼い猫は魚を食べた事が無いというケースが良くあるのだ。