2 猫ちゃん、ストーリーを整理する(前編)
目が覚めると吾輩、一階の部屋に独りで居た。家の中には他に誰も居ない。龍之介くんはベビーカーに乗せられて、お外を主人と散歩中のようである。
吾輩、夢の中に出てきた和尚さんは良い人だったなぁと思い起こす。ああいう人こそ神様に近いのでは、なかろうか。何処かのインチキ神様と違って、エロエロ淫夢とか言い出す事も無さそうである。宗派的には仏様かも知れない。
吾輩、感謝の印に拝んでおいた。ナムアミダブツ、ナムアミダブツ。ああ有難い、有難い。
ああいう夢を見たのは、タブレットで漱石先生の『門』を読了したからであろう。漱石作品の前期三部作で、『三四郎』と『それから』に続く、最後の作品である。
で、話の内容だが、はっきりとは書かれない物事が多い。物語の外側で、過去に何かが起きたのは分かるのだが、それが何なのかは具体的に示されない。そういう作品である。
読み終わっても、どうにもスッキリしなかった。吾輩、話の内容を整理してみる。
主人公は宗助で、たぶん年齢は、『それから』の主人公である代助より少し上というくらいだ。前期三部作の主人公は、『三四郎』の学生時代から、『それから』の独身時代、そして『門』の既婚時代というように年齢を重ねて、成長していっている。
宗助は役所に勤めていて、お米という妻がいる。ちなみに主人公の名前が宗助と、宗教の「宗」の字から取られているのは、おそらく小説のテーマと関係しているのだろう。
宗助は元々、東京にあった金持ちの家の長男で、父親とも仲が良かった。しかし宗助は、お米と「徳義上の罪」というのを犯したらしく、この二人は東京を離れて駆け落ちをする。宗助が東京を離れている間に父親は亡くなり、遺産は宗助の叔父に騙し取られる。
ちなみに、この宗助の叔父は脊髄脳膜炎という病気で急死する。便所に行った帰りに倒れて亡くなったそうで、いかにも天罰のように見える。厄介な事に、この「天罰」は、主人公夫婦にも降りかかる。
しばらく東京を離れて地方を転々としていた宗助とお米は、東京へと戻って借家に住む。崖下にあるボロ家で、もし崖が崩れたら埋まりそうな危うさがある。こういう色々な「危うさ」が、小説の最後まで、主人公夫婦には付きまとうのだ。
東京で宗助は役所の仕事に就く事が出来たが、お米との間には子供ができない。占い師からは、お米に「罪が祟っているから、子供は決して育たない」と言われてしまう。
宗助には小六という弟が居て、この弟は父親の死後、叔父の家に住んでいた。その叔父も死んで、小六は主人公夫婦のボロ家に転がり込む事になる。金が無いので小六は大学に行けず、兄である宗助に付いて「頼りにならない」という不満を持っている。
小説の初めの方で、宗助と小六とお米は「総理大臣の伊藤博文が外国で、ピストルで撃たれて殺された」という新聞記事に付いて会話をする。外国は物騒だという描写であり、その物騒な存在が、小説の後半では主人公の近くまで来る事となる……