1 猫ちゃん、寺で修行する
夢の中で吾輩、寺で修行していた。良く分からないのだが、体育会系の寺であった。
寺の門には看板があって、そこに寺の名前が書かれている。吾輩、修行の最中なので門からも看板からも離れた場所に居る。なので看板の字は、はっきりとは読めなかった。
寺の名前は『小林寺』であろうか。『小』の字は『少』かも知れないが良く見えない。とりあえず吾輩、ここはコバヤシ寺という名前なのだろうと推測しておいた。夢の中の話なので、たとえ実在する寺と同一の名前であっても、そこはフィクションという事で片づけてほしい。
寺の中では、お坊さん達が歌いながら修行をしている。映画のテーマ曲で聞いた事がある気もする。中国語のようで、ちょっと良く分からない。寺の名前を繰り返し歌っているようだ。
お坊さんの修行は厳しいというのは吾輩、知識として何かで読んだ事はある。二か月、寺で修行をしたら、ボクサーのような肉体になるそうだ。その辺は宗派にも寄るのかも知れない。
で、吾輩の修行は、例えば水に浮かんだ丸太の上を渡るものであった。これは吾輩、猫なので簡単である。猫のバランス感覚を見くびってはいけない。
その他、棒術や三節棍といった武器術の修行もあった。これは吾輩、全く扱えなかった。前足の肉球で武器を掴める訳が無いのである。「まあ仕方ない、猫だから」と、和尚さんが吾輩の修行を免除してくれた。同様に、桶で水を汲む修行も、お猪口の一杯で吾輩は許された。
寺では、お坊さん達が拳法の修行をしている。カンフーというらしくて、そういうジャンルの映画が前世紀では流行っていたと聞く。「ああぁ!」と、修行の掛け声も勇ましい。
吾輩、負けじと声を出す。どうやっても、「ニャー! ニャー!」としか声は出ない。意思の疎通はテレパシーで出来るのだが、どうにも吾輩の声では迫力が出なかった。
周囲が突きや蹴りの練習をしているので、吾輩も真似をする。後ろ足の二本で立ち上がって、前足を交互に突き出してみる。その度にバランスを取るため尻尾が揺れて、何故か微笑ましい物を見る表情でお坊さん達が吾輩に視線を向けていた。
夢の中だから時間が経つのは早い。カンフー映画でも修行シーンは十五分前後が相場と聞く。客観的に見て、あまり厳しいとは言えない修行をさせてもらいながら、吾輩が寺から卒業する時期が来たようであった。卒業証書など貰えるのだろうかと期待もしてみた。
部屋に呼ばれて、寺の和尚さんと吾輩、一対一で向かい合う。ここで何かしら、問答が行われるというのが話のパターンであろう。さぁ来い、と吾輩、内心で身構えていた。
「君さぁ……何で、ここに居るんだっけ?」
対して和尚の言葉は、困惑しきり、といった声音である。
「いやぁ……何でと言われましても、吾輩、ここで修行させてもらってますが」
「うん、そこが分からないんだよね。猫が何の修行をするの?」
そう言われて吾輩、ここでの修業は、つい体育会系なノリが面白くて参加していたと。そういう事に気が付いた。
「うーん、こう言ったら怒られるかも知れませんけど、エアロビクス的な感覚でした」
「だろうねぇ。この寺は拳法を教えてるんだけど、君、足が短すぎるんだよ。猫だから」
それは吾輩も薄々、気が付いていた。どうやっても吾輩、人間よりはリーチが短いのだと。
「吾輩に、殴り合いの才能は無さそうですかね和尚さん」
「無いねぇ。あまりにも不向きなんで、逆に君の存在は面白かったよ。寺の者達は君の動きを見るのが、心の癒しになっていたそうだ」
「そうですか。どういう形であれ、役に立てたのなら良かったです」
吾輩、この寺で御飯を食べさせてもらって、すっかり満足して生活していた。こういう呑気な、不出来な弟子は、早々に立ち去るべきであろう。
「まぁ待ちなさい。私は君を馬鹿にしてる訳ではないんだ。むしろ、その逆だよ」
和尚さんは吾輩に近づき、その手で頭を撫でてきた。
「人間なんてのはね、つまらない者だよ。何かというと争いたがる。拳法なんてのは殴り合わなければ必要ないのさ。君のような、周囲を和ませる事が出来る猫の方が、どれだけ人間よりも偉いかも知れん。見たところ君は、普通の猫では無さそうだし」
「えーっと、そうですね。吾輩に出来るのは、夢を操る事です。でも、それくらいですよ」
撫でられた温もりが心地いい。吾輩、和尚さんの手に頭を擦り付ける。
「充分さ、夢こそが現実を作るんだ。明るい夢が無ければ、明るい未来は来ないんだよ」
吾輩、自分が夢から覚めつつある事を自覚する。寺からの卒業が近そうだ。
「一つ、言っておこうか。君は自分で思っているより遥かに大きな能力を持っている。その力で、明るい夢を世界に伝える事が出来れば、世の中は良くなるだろうし。また逆に……」
「逆に、とは何でしょうか。和尚さん」
「……いつか君が、悪と対峙する時が来るかも知れない。猫の君には爪がある。その爪を研いで、来るべき時に備えておくように。私からは以上だ」