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帰ってきた猫ちゃん  作者: 転生新語
第四章 『三四郎』
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8 猫ちゃん、夢から覚めて話を総括する

 吾輩、夢から覚めて、二階で龍之介くんと一緒に寝ていたと思い出す。時刻は昼過ぎで、今日は日曜日だ。曜日は猫にも赤ん坊にも大して関係は無くて、まだ龍之介くんは就寝中である。


 吾輩、『三四郎』に付いて色々と考える。時代は日露戦争の数年後で、あの戦争では五万人以上が出征して亡くなったと聞く。当時は今より人口が少なかったから、社会への打撃も深刻であっただろう。働き盛りの男が死んでいくのだから、経済的に困窮(こんきゅう)する家庭も多かったはずだ。『三四郎』には日露戦争に勝った日本に付いて、「(ほろ)びるね」と言う脇役の男が出てくる。


 この辺りが、漱石先生の本音であったかも知れない。戦争という大きな波の中で、個人という小さな存在が流されていく。美禰子のように、窮屈(きゅうくつ)な社会の中で、牢獄のような人生を過ごす者が居るという現実。そういうテーマを漱石先生は、三四郎の青春物語の中で描いているのではないだろうか。


 我々は皆、大きな波に流される無力な存在に過ぎない、ストレイ・シープに過ぎない。そういう考えを持っていたとしたら、漱石先生は神経症にもなるというものだ。


「愛が無い結婚は不幸である」という考えを、美禰子は持っていたと思う。恐らく漱石先生も同様であろう。小説の最後で美禰子が聖書の言葉を述べたのは、「愛では無く、家の事情で結婚する私は罪人だ」と言っているのだと吾輩は思っている。


 漱石先生は『三四郎』の次に、愛が無い結婚をテーマにした作品を書く。『三四郎』より後の作品は、大まかに言えば「女性との関係に振り回される男」を主人公にした物語ばかりだ。


 吾輩のガールフレンドである、お白さんに寄れば「今も昔も男社会」という事らしいが、明治時代は今以上の男社会であった。女性の権利は認められず、そんな窮屈な生き方をしている女に振り回され、同じく窮屈な生き方を()いられる男達の話。女も迷い子、男も迷い子。ストレイ・シープ達の物語である。


 やれ、今の世の中は「経済を回さないと」と人が言う。しかし、死者を(いた)む時間も必要だと吾輩は思う。『三四郎』で、線路に飛び込んで死んだ女は、経済の象徴である汽車の下敷きとなっていた。そこに(あわ)れみを覚える心を、漱石先生の読者は持っていてほしいものだ。


 戦争は男社会の象徴のように感じられる。戦争は国と国が起こす。傷つくのは、いつも小さな存在だ。猫の吾輩に出来る事は、小さな存在の代表として、吾輩の周囲の世界を語り漱石先生の作品を語るくらいである。以上、ストレイ・シープな猫の(まよ)(ごと)を締めくくる。


 締めくくった所で、あらためて今日は日曜日だ。時刻は昼で、窓の外は無駄なくらいの良い天気である。吾輩も主人も龍之介くんも旅行など無縁だから、家の中から外を眺めるのが常であった。吾輩、龍之介くんを起こさないように部屋を出て一階へと移動する。


 餌を食べてから、庭に面した部屋に行ってみると、そこで主人は安物のノートパソコンで小説を書いていた。足を折りたたむタイプの小さな机、というか台の上にパソコンを載せて、時に庭を眺めながらアグラ座りで執筆中だ。眺めても、動くものは空の雲くらいしか無い。


 お白さんに寄ると、日曜日というものは平日よりも来客が多い日だそうだ。吾輩、それは上流階級に限った話だと思ったが反論はしなかった。主人を訪ねてくる客と言えば原稿取りか借金取りくらいのものであろう。それ以外は主人の知り合いである山師くらいしか来ないから、今日も何も起こらない一日なのだと吾輩は思っていたし、おそらく主人も同様であった。


「ちょりーす」


「ちょりーす」


「ちょりーす」


 だから庭に三人の闖入者(ちんにゅうしゃ)が現れて、奇妙な挨拶(あいさつ)をしてきた時は、大いに驚いた。吾輩が第一に驚いたのは、この三人が女子で、全く同じ格好で同じ顔だった事である。


 学生服というらしい恰好で、三人とも異様に顔の色が黒い。ガングロメイクという化粧だとは、後からお白さんから聞いた知識だ。何で学校に行かない日曜に学生服を着てるのか分からない。三人とも長髪で、その髪の色が赤と青と黄に分かれていたのが第二の驚きであった。


 何しろ顔も服も同じ見た目なのだから、なるほど髪の色でも変えないと見分けは付かない。「ちょりーす」と言った声まで同じなのが第三の驚きであった。分身の術か。


「……その……何だね、君たちは?」


 ハトが豆鉄砲を食らった、どころではなく機関銃で撃ち殺されたような顔で主人が尋ねる。この家、防犯設備など全く無いので、誰でも簡単に庭まで入れるのだ。これが強盗なら主人は助からない所だが、幸い、相手に金品を強奪(ごうだつ)する意思は無いようであった。


「パパ(うえ)から紹介されて、ここに来たんすよ。小説家の先生なんすよね? ウチら、学校の宿題で、家族以外の大人から職業についてインタビューしてこいって言われてて」


「社会見学? 大人とのコミュニケートって言うんすか? そういう宿題らしくて」


「で、ありがちな職業だとウケも悪いんで。ここは一つ、インタビューで点を稼がせてほしいんすよ。とりま、よろしくっす」


 三人が続けざまに話す。吾輩、この女子たちは三つ子らしいと、それだけは見当が付いた。話し方の呼吸が合いすぎていて、これは赤の他人では有り得ない。

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