3 猫ちゃん、講義する(その3)
「池の傍で三四郎がボーッとしていると、野々宮という男が声を掛けてくるんだよ。この人は三四郎より七歳年上の先輩で、ご飯を奢ってくれる。この野々宮が、実は美禰子と付き合ってるんだね。まあ最終的に、彼も三四郎も美禰子から振られるんだけど」
「ネタバレが過ぎませんか、吾輩さん」
「いいんだよ、講義なんだから。こんな事で『三四郎』の面白さは無くならないから、龍之介くんも実際に自分で読んでみるといいよ」
名作とは、何度読んでも面白いものである。結局、吾輩の主張は『漱石作品を読め』という、その一つに尽きる。
「野々宮は研究職に就いてて、だから三四郎に奢るくらいの金はある。安月給らしいけどね。小説の序盤には他にも、三四郎と同じ学生の与次郎や、その与次郎が尊敬する広田先生が出てくる。共通するのは皆、お金が無くて独身だという事さ」
「お金が無いと結婚できないんですねー」
「そうだね。真面目な話、その辺りがテーマの一つになってると吾輩は思うよ」
三四郎は母親から、手紙で『金持ちの娘さんと結婚しないか』と紹介される。その方が三四郎の一家は潤うのである。最も、東京の娘さんらしくて、母親は『東京の者は気心が知れないから私はいやじゃ』とも書いている。
龍之介くんには話さないが、ある日、三四郎は野々宮の家で留守番を頼まれる。家は郊外だ。安月給なので、東京の中心部には住めないのである。辺りは寂しい景色であった。
その家で夜、外から、女性のうめき声を三四郎は聞く。絶望の声で、その女性は線路に飛び込み、あっという間に自殺してしまう。夫に先立たれた苦悩でもあったのか、経済的な困窮か。詳細な理由は不明のままだ。当時の暗い世相を反映しているのであろう。
「えーっと、お話はね。ある日、三四郎が与次郎から、広田先生の引っ越しを手伝ってくれと頼まれるんだ。与次郎は広田先生を尊敬してて、何かと先生の世話を焼いているのさ」
この与次郎は、漱石先生の友人であった、正岡子規がモデルとも言われている。広田先生の方は、モデルも居るのかも知れないが、むしろ漱石先生の分身のように吾輩には感じられる。もし漱石先生が小説家にならなかったら、こんな先生になっていたのではないかという人だ。
「引っ越しの手伝いと言っても、アルバイトじゃないんだから給金なんか出ない。それでも特に文句も言わず、三四郎は手伝いに行くんだね。すると、そこには美禰子も来るんだよ」
「善行は報われるんですねー」
「良い展開だね。美禰子は引っ越しの手伝いの途中で、手を止めて空を見上げる。彼女は雲とか空を見るのが好きなんだよ。三四郎は美禰子の隣に並んで、しばらく二人で会話する」
彼女が空を見たがるのは、不自由な地上を嫌っているからだと吾輩は思う。色々とあるのだ。
「ややあって、学校に行ってた広田先生も来る。作業が一段落して、三四郎と与次郎は、美禰子が作ったサンドイッチを食べて休憩する。広田先生の教え子である野々宮も、後から来ると」
皆が集まった場で、野々宮は『郊外の家を出て、下宿に戻るつもりだ』と広田先生に報告する。これは金が無いからか、あるいは家の近くで自殺者が出たからかも知れない。
野々宮には妹が居て、とても怖がりだと兄は説明する。下宿先には野々宮が一人で住み、妹は美禰子の家に居候をするという事で大体の話はまとまる。