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帰ってきた猫ちゃん  作者: 転生新語
第三章 『坑夫』
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3 猫ちゃん、夢から覚めて龍之介くんの寝顔を見つめる

「主人公は終盤、真っ暗な坑道の中で一人、取り残されてね。出口が分からなくて困ってると、(やす)さんという大人の男が来て、助けてくれるんだ」


 龍之介くんには話さないが、この(やす)さんは過去に罪を犯して、世間から逃れて銅山に住み込んでいる。地上に戻れない彼は主人公に、「俺のようには、なるな」と説得する。


 真心(まごころ)が主人公に伝わる。自殺も考えていた主人公は、「帰れ」という安さんの言葉に従う事となる。主人公が「奇蹟(きせき)」と表現した出会いであり、別れであった。




「主人公は気管支炎になって、坑夫としては働けなくなって。事務の仕事に回って給料も上がって、五か月働いてから東京へ戻りましたと。そういうラストだよ」


「安さんの言葉が、主人公に取って、吾輩さんの言う『光』になったんですかね」


「多分ね。世間から見捨てられたような立場の人が、主人公と出会って人生を救うんだ。人の一生を決めてしまうような出会いって、あると思うんだよ。漱石先生にも、あったかも知れないね。人生を良い方向に変えた『光』との出会いが」


『坑夫』の主人公は、確か十九歳であった。漱石先生は自身が十代、二十代であった頃の、様々な出会いを思い起こしながら執筆していたかも知れない。


 十代、二十代という若い頃に、人生を良い方向に変える出会いがあったならば、それは幸せな事である。吾輩は猫であるので、実体験としては何も言えない。


「龍之介くんも、今後の人生で良い出会いがあるといいね。それが早ければ、もっといい」


「もう出会ってますよー。吾輩さんというユニークな方に」


「はっはっは。吾輩に取っては、龍之介くんが『光』だよ」


 吾輩、自分の猫生(じんせい)を振り返ってみる。仔猫だった頃、死にかけて主人の家の庭に転がり込み、主人の妻から救われた時に『光』を感じた事を思い出す。あの『光』が無ければ、吾輩は絶望という暗闇の中で息()えていただろう。絶望は人も猫も殺し、希望こそが人も猫も救うのだ。


「そろそろ出口が近そうだ。そっちからナビゲートしてくれるかい」


「了解です、吾輩さん」


 夢の中にはワープゾーンがあって、そこに正確に辿(たど)り着かないと脱出できないのが感覚で分かる。適当に掘り進んでも駄目なのだ。落語やマンガがオチという目的地を求めて進んでいくようなものであろう。ひとまずは、この夢展開にオチを付けたいと吾輩は思った。


「上に二、下に五。右に七、左に一、右に七と進んでください。そこが出口です」


「本当かね。それは宝箱の出現条件じゃなくて?」


 ともあれ吾輩、ドッカドッカと岩盤を掘り進んでいく。単位がメートルなのかも分からないが、夢の中で細かい事を気にしても意味はあるまい。上へ下へ、右へ左へと曲がりくねって吾輩は前へと進む。さながら小説家の執筆活動のようで、平坦な道など無い。


 吾輩は、猫のお(しろ)さんから言われた事をふと思い出す。「吾輩さんには、神様から与えられた、書く才能がある。だったら()かさなきゃ」。そう彼女は言ってくれた。


 正直、過大な評価だとは思うが、最近は「小説の神様」とやらも夢の中に出てくる始末だ。


 飼い主が小説家であるからか、その主人と無意識的にテレパシーで脳が繋がっているのか、最近は吾輩の夢も自分でコントロールするのが難しくなっている。もはや主人の夢の中に居るのか、これが吾輩の夢なのかも良く分からない。


 この奇妙な夢も、主人の小説執筆に役立っているのだろうか。ならば吾輩が主人に、インスピレーションを与えていると言えなくもない。お白さんが言う「書く才能」が生かされているのなら、それで吾輩は満足である。


「出口ですよ、吾輩さん」


 気が付くと岩盤の向こうから、光が漏れ出てきている。暗所で扉が開き、外界から光が洪水となって吾輩を包むような、そんな感覚が訪れる。光、光、光……


 吾輩は改めて、自分が暗い所に居たのだと痛感する。そして世の中には『光』があるのだと実感する。吾輩が出会った「小説の神様」が、希望という光で夢を照らした事を思い出しながら目が覚めた。




 現実世界に戻って、そこが二階の寝室であると確認する。吾輩をナビゲートしてくれた龍之介くんは布団で寝ている。「ご苦労さま」と礼を言うと、「あー」と彼は寝言で返した。


 吾輩、さっきの夢を思い起こす。客観的に見れば、なかなか恐ろしい体験だったかも知れない。龍之介くんが居なければ夢の中から出られずに死んでいたかもだ。銅山の中で、事故で命を落とす坑夫のように。


 それでも吾輩が落ち着いていられたのは、暗闇の外には光があると知っていたからであった。


 小説が書けない、伝染病の収束時期が見えない。そういった、暗闇にも似た鬱々(うつうつ)とした状況は絶望を招く。そして絶望は容易(たやす)く、人も猫も殺すのだ。


 漱石先生は病気が多い人であった。人生の後半は体調不良に苦しんでいただろう。しかし絶望する事なく、決して長いとは言えない人生を見事に生き抜いた。そうありたいと吾輩も思う。


 猫の生涯は人より短いのである。……まあ小説の神様からは、「百二十歳まで生きる」などと言われたが。今は医学も発達しているから、人の寿命も延びるかも知れない。


 難所を乗り越えれば、そこには希望があるかもだ。生きてこそ喜びもある、そう信じよう。


 吾輩、龍之介くんの横に転がって、しばらく彼の寝顔を見つめる。うーん、愛らしい。

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