9 猫ちゃん、大いに感心する
「ふーむ……」
お白さんが話を切り上げてくれて、お陰で少し、考える時間ができた。吾輩は内省している。
これまで吾輩、自分は無名猫に過ぎないと卑下してきた。物を書けるような存在ではないと。
しかし、そうでは無いかも知れない。愛に救われた吾輩に書ける物語は、あるのかもだ。
猫である吾輩の前足は、人の手より物理的に短い。しかし文章であれば、そんな吾輩の前足も、遠くに居る誰かに届くかも知れない。吾輩が夢の中で星空を動かしたように。
確かに吾輩は、愛を知っている。かつての文豪たちが書いた物語を知っているし、その物語が追随者の愛に寄って蘇った歴史を知っている。
物語が愛を伝え、紡ぎ、また愛に寄って復活する。漱石先生の猫の話が、他の作家に影響を与えたように。吾輩の主人は妻から見捨てられたようにも見えるが、しかし、愛は復活するのかも知れない。主人も愛に寄って再び、救われるのかも知れない。
愛は帰ってくる。猫も帰ってくる。主人の妻も帰ってくる。
そんな未来が、あるのかも知れない。全てが愛に包まれる未来が。
「何だか、希望が見えてきました。参考になりましたよ。ありがとう、お白さん」
インスピレーションが湧いてきて。吾輩、家に帰ろうとしたのだが、お白さんは許さない。
「あら、駄目よぉ。吾輩さんの相談に乗ってあげたでしょ。今度は私の話に付き合って」
捕まってしまった。お白さんは、ここから話が長くなりがちなのである。
「あんまり簡潔に終わっちゃっても味気ないでしょ。もう少し字数を稼ぐのがコツよ」
「何の話ですか、お白さん」
「この間、お婆ちゃんの娘さんの、更に三人の娘さんが同人誌で盛り上がっちゃってねぇ。
要は、お婆ちゃんの孫娘が三人居るんだけど。吾輩さんも知ってるでしょ、父親は山師さん」
「え、待ってください。主人の友人の、あのロクデナシの山師の結婚相手が、そちらの娘さんなんですか?」
「そうそう、吾輩さんがロクデナシ扱いしてる、あの男。もう離婚してるけどね。それで、お婆ちゃんの娘さんと、吾輩さんの主人の友人である山師さんの間に生まれた三人娘が同人誌で盛り上がっちゃった話なんだけど。『俺の下でA・E・GE』っていう作品でね。三人娘ちゃん達が、もう大興奮よ。『やべぇ、やべぇ、やべぇ!』って。カエルの合唱みたいで面白かったわ」
「お白さんは、同人誌を読んでるんですか」
「読んでないわよぉ。猫の前足じゃページをめくれないし。でも『喘げ』シリーズってアニメ化されててね。深夜アニメになってるし、DVDやブルーレイもあるから。それを三人娘ちゃん達が見てるから、私もチラッとね。嫌ぁねぇ、吾輩さんったら知りたがっちゃってー」
「いや、吾輩、深入りするつもりは無いですから」
「あら。一人称が『僕』から『吾輩』になったじゃない。いい兆候よ」
言われて気が付いた。何故か、胸のつかえが取れた気がした。
「照れや自意識があったら、表現者として大成しないわ。そんなものは無くさなきゃ。
それには『喘げ』シリーズを見ると良いわ。天は人の下に人を作らずって言うけど、あえて下のポジションで、獣になるのよ。野生を解放するの!」
「吾輩、元から猫ですから。飼い猫が野生を解放するのも、どうでしょうね」
「そう言わずにー。鑑賞会に参加しましょうよ。逃がさないわよぉ」
お白さんの勧誘と長話は、それはそれは延々と続いた。