2. がんばれ私!
私達が挑んだダンジョンは、〈グライアイ〉と呼ばれていた。
この〈グライアイ〉は、三人以上で挑戦できる人数制限型の珍しいタイプ。
挑戦者が三人いる時に入り口が開き、スタート地点のフロアへと入ることができる。
私の魔法と強運。
アニタの剣術とタフさ。
ヴァフィの勘と経験。
三人揃えば、〈グライアイ〉のクリアも不可能じゃない。
そう思っていたのに、もうかれこれ三日間もこのダンジョンをさまよっている。
三日もお風呂に入れず、服も着替えられず、ストレスが溜まるばかり。
何よりも不安を煽るのは――
「携帯食、あとどのくらい残っているかしら」
「朝食と夕食で……、三人分残ってるけど……、あと三日はもつだろうね」
「お腹空いちゃうけど、我慢だよっ! ちょっとずつ食べよ?」
――食料の問題ね。
飲み水は、水属性魔法でなんとか空気中から作り出せる。
でも、食べ物ばかりはそうはいかない。
「もし携帯食が尽きたら、どうしようかしら……」
「そうだねぇ。最悪、モンスターを焼いて食うかい?」
「ねぇ、ヴァーちゃん。ヒカリゴケって食べられるのかなぁ」
「モンスターを食う方がマシだろうねぇ……」
◇
静けさが漂う第一の試練のフロア。
薄暗いフロアは意外に広く、松明の灯りも奥までは届かない。
さらに、鼻をつく嫌な臭いも漂ってくる。
「慎重に、慎重に……!」
「この試練には時間制限の類はない。きみのタイミングで落ち着いて進めばいいさ、ユイリィ」
このダンジョンの罠はよくできていて、一度発動した罠も次の周回では元通り隠されてしまう。
幸い位置関係は変わらないので、罠が発動前の状態に戻ってしまっても、場所さえ覚えていれば躱すことはできる。
でも、うっかり罠にハマれば死ぬ可能性が高い。
だから毎回、心臓がバクバク言うのは変わらない。
「ヴァフィ、お願い。私を罠から守って」
「ビビったら負けだよ。もう何度も突破したんだ、今度だって突破できるさ!」
恐る恐る敷石の上を進んでいく。
向かって北に何歩――
そこから東に何歩――
さらに北西に何歩――
毎回進むべき方向を咀嚼しながら。
ゆっくりと。
しかし、確実に。
私はフロアの罠を越えていく。
「あっ。たしかここ――」
ハッとした瞬間、足元に何かが当たった。
私はびっくりして、思わず尻もちをつきそうになってしまった。
「どうしたユイリィ!?」
「あ、足元……」
「なんだ、前の周回で捨てていった荷物じゃないか。驚かすなよ」
「はぁ。心臓が……飛び出そう」
「気をつけなよ。即死級の罠に掛かったら、どんなタフなやつだって文字通り即死だからね」
荷物を跨いで、先へと進む。
その時、私の心に強い不安が押し寄せた。
「ここ、右に折れるんだっけ。それとも、真っすぐだっけ……?」
「……」
「ねぇヴァフィ、真っすぐでいいんだよね……!?」
「……」
選択を誤れば、死――
その事実が頭をよぎって、私の心臓が激しく脈打つ。
「ビビるなユイリィ! きみの強運を信じるんだ」
……ヴァフィならそう言うよね。
恐怖を理性で押さえつけて、私は正面に足を踏み出した。
――ッ!
……フロアには静けさが漂ったままだった。
「あっ、ふあぁぁぁ……」
あまりの緊張に、変な声が出た。
靴の裏が床を踏んでも何事もないと言うことは、罠はないということ。
引っかかれば、猛毒の棘が床から天井から突き出てくる仕様。
このダンジョンを遺した古代人は、殺意があるにもほどがある。
その後も冷や汗は絶えなかったけど、なんとか第一の試練を突破することができた。
「疲れた……」
第二の試練へと続く扉の前で、私はへなへなになってしまった。
何度もクリアした試練とは言え、突破するにはかなり神経を使う。
「やったなユイリィ! さすがあたしが見込んだ子だよ」
「臭いもきついし、このフロアもう嫌……」
「次のフロアではモンスターが待ち構えている。準備を整えてから扉を開きな」
「わかってる。わかってるわ。もうこの先でミスはしない」
◇
しばらく休んだ後。
私は前のフロアと同じようにハンドルを回して、扉を開いた。
次のフロアでは、第二の試練が待ち受けている。
フロアはやはり薄暗かった。
けど、暗がりで小刻みに揺れる赤い光を、私は見逃さなかった。
「ユイちゃん! モンスターがいるよ!!」
私の持つ松明が、フロアを照らしだした。
赤い光は、松明の火に反射するモンスターの目だった。
それは子供ほどの大きさで、踊るようにぴょんぴょんと飛び跳ねている。
「ゴブリン……!」
殺人依存症に苛まれた小鬼のモンスター。
それが二匹、三匹――数えると総勢七匹。
前の試練同様、第二の試練も次の周回では新しいモンスターが補充される仕組みなのだ。
幸いにもゴブリンは何かに夢中になっていて、まだこちらには気づいていない。
フロアの中央で輪になって、何かに斧を叩きつけている。
……何を叩いているのかと思えば、前の周回で捨てていった荷物だった。
「うっ――」
周囲を漂う悪臭に、思わず唸ってしまった。
それを耳にした一匹が、私の存在に気がつく。
最初のゴブリンが私に振り向いた後は、仲間達も次々と醜い顔をこちらへと向けてきた。
「――気持ち……悪……ぃ」
私が吐き気を催すと同時に、やつらが侵入者を認識した。
私はとっさに松明を突き出して、ゴブリン達を威嚇する。
けど、この程度の炎では効果は薄い。
「アニタ、力を貸して!」
「任せて! 前衛は私の役目っ」
ゴブリン達は斧を振り回しながら、私との距離を詰めてくる。
見た目は出来損ないの斧だけど、まともに受ければ私の細い腕や足くらいなら千切れ飛んでしまう。
近づかせないように、慎重に戦わないと……!
「キィーギギギッ!」
ゴブリン達が奇声をあげて威嚇してくる。
相変わらず不快な声。
「ゴブリンども、それ以上近づくと焼き払うわよ!!」
「ユイちゃんは私が守るんだからっ! 近づいたらぶった斬るからねっ!?」
私の警告など平然と無視して、ゴブリン達はじりじりと間合いを詰めてくる。
一匹二匹なら楽勝だけど、この数のゴブリンを相手に魔法の詠唱をもたついていたら危ない。
私は空いてる手をかざして、精神を集中させた。
「我に仇名す愚かなる異形の民を焼き払え! 火球!!」
呪文詠唱の後、私の手のひらから火の球が放出される。
薄暗いフロアを照らしながら、火球がゴブリンの一匹に直撃した。
「アギャアアアアッ!!」
地面を飛び跳ねながら、ゴブリンが火だるまになっていく。
地面を転げまわって火を消そうともがいているけど、魔法の火は簡単には消えない。
肉の焼ける臭いが私の鼻に届く頃、ゴブリンは動かなくなった。
「ざまぁみなさいっ!!」
「やったねユイちゃん! まずは一匹っ」
残りのゴブリンは仲間がやられて委縮してしまったみたい。
数で勝っているのに、私を見てオロオロしている。
今が一掃するチャンス!
「我が前に徒党を組む邪なる者どもを焼き尽くせ! 火息吹!!」
ゴブリン達へと向けた五本の指先から、一斉に火炎放射が吹き荒ぶ。
その炎は残りのゴブリンをすべて覆い尽くし、瞬く間に真っ黒焦げにした。
「……ふぅ」
「やったね、ユイちゃん! これで全部やっつけたよっ」
火息吹によって焼かれたゴブリン達の死体は、炭となって少しずつ崩れていった。
念のため周囲を見回したけど、他に伏兵はいない様子。
私は一匹一匹、地面に転がるゴブリンの死体を足で小突いてみた。
……いずれもピクリともしない。
死んだふりをしてるゴブリンはいないみたい。
「嫌な臭い。肉が焼けた臭いに混じって……」
「でもウチらが野宿する時は、猪の肉を焼いて食べることもあったじゃん」
「うっ。吐きそ……」
「ごめんごめん! 怒んないで、ユイちゃんっ」
「血の臭いは……嫌」
私は床に転がる八つの死体をすり抜けて、第三の試練に続く扉へと向かった。
「いよいよ最後の試練だねぇ。って言っても、もう何度目かもわかんないけど」
「次で七度目、かな」
「ユイちゃん、ファイトッ! 次も突破して、今度こそ祠宝ゲットだよ!」
「ええ。今度こそ、ね」
私は高鳴る胸を落ち着かせてから、扉のハンドルを回した。
不安を煽る機械音の後に、重い石の扉が動き始める。
「今度こそ、ダンジョンをクリアしてみせるわ……!!」
新たなフロアへの道が開かれるのを待って、私は足を踏み出した。




