2.ギルバート
私が描く騎士は、イマイチ精悍さに欠けると気付いた、今日この頃。
私には同じ歳の婚約者がいる。
5歳に結ばれた婚約は、8歳で成長を止めてしまった彼女のおかげで、歪な関係へと変化してしまった。
「いやいや、歪ませたのはギルバート様でしょ」
ふと物思いに耽っていると、思考を読んだかのようにツっこんでくるこの男。
ダヤンは、彼女の部下の立ち位置にいる男だ。
彼女は有ろう事か、魔術学院を卒業後に変態揃いの魔術団に入ってしまったのだ。
耀きしシルバーブロンドの髪に、この世の神秘を秘める紫紺の瞳。有りとあらゆる美しさをその身に宿す彼女が、変態の巣窟に入ってしまうとは!
居ても立っても居られず、内部情報を得るために選出したのがこのダヤンだった。
この男、見た目は軽そうにみえるが頭の回転は速く、こちらの意を汲んで先に行動を起こす事ができる。
何よりも。
本当に不愉快ながら、ヤツはシュナの事を気に入っていて、裏切る心配が無い事が選んだ決め手であった。
「何を根拠に………」
ジロリと睨むが、ダヤンは涼しげな表情で気にする様子もない。
「いやいや、ギルバート様が幼い姿のシュナリザー主任に、うっかり手を出さない為に距離を置いているのは知ってますからね」
辛辣な一言に、ぐぬぬっと言葉もない。
初めて顔を合わせたあの時から、私は彼女の虜だった。可憐な彼女に微笑まれると、もはや何をどうして良いかも分からなくなっていた。
あの頃の私は随分と挙動不審だったと思う。
しかし彼女は成長を止め、そして何故か私との距離を取るようになっていた。
それまでは鈴を転がすような可愛らしい声で、『ギルバート様』と呼んでくれていたのに。
ある日から、他人行儀に『サウザリー様』と呼ぶ様になっていた。
勿論何度も、ギルバートと呼んで欲しい、と願った。しかし、彼女は頑なに呼び方を変えようとはしなかった。
『サウザリー様』と呼ばれる度に一抹の寂しさを感じるが、逆に考えるとそう呼ばれる事で、暴走しそうになる気持ちに歯止めがかかっていたとも言える。
「取り敢えず、定期報告は以上です。主任は相変わらず愛らしいし、魔術団の皆んなで力一杯可愛がってますんで、ご心配無用ですよ」
ニヤリと笑い、ダヤンは仕事に戻って行った。
くそっ、いつか殺す。
殺気を抑えきれず、思わず舌打ちをする。
イライラする気持ちを何とか落ち着かせ、そして時計を見ると既に14時となっていた。
今日はシュナの願いで会う約束をしている。
そろそろ仕事を切り上げて、公爵邸にもどらなければ。
移動の馬車に揺られながら、彼女の今後を考える。
幼い姿ながらも輝く様に美しい彼女は、見た目の年齢は変化しないというのに、年々その美しさに磨きがかかっている。
お陰で隠れ変態予備軍が、変態に成長し良からぬ事を企てる回数も増えてきた。
そろそろ本腰を入れて、彼女を公爵家に囲い込む段取りを立てなければ、と頭を悩ませる。
だと言うのに、有ろう事か!婚約解消!!?
お茶会の席で切り出された話に、愕然とした。
こんなにも彼女を愛おしく思い、手放す気など更々ないと言うのに。
君は、私たちの関係を終わらせても良いと言うのか。
喉の奥が焼ける様に熱く、言葉が出ない。
そんな私を、ほんの少し寂しそうに見て、彼女は立ち去って行った。
シュナを見送る事も出来ず固まったままの私だったが、表から聞こえてきた微かな悲鳴にはっと身を震わせた。
っ、シュナ?一体何が……
急ぎ、追跡魔術を展開する。
万が一を考え、シュナには追跡魔術の媒介となる魔石を持たせていたのだ。
東へ移動しているのを知り、公爵家所属の騎士達に指令を出す。
同時に私も馬に乗り、後を追う様に駆け出した。
東に向かう所を見ると、隣国の手の者か……。
そう時を置かずに追跡を開始したにも関わらず、中々追い付けず苛立ちが募る。
隣国で開発された魔道具が搭載された馬車ならば、その異様な速さも納得がいく。
国境を越えられると、事は面倒になる。
何としてでも、国内で取り押さえたい。
急く気持ちを何とか抑えつつ、馬を駆けた。
漸く馬車の姿を掴み、攻撃魔術を放つ。勿論、中にシュナが居るのだから、馬車本体が転倒しない様に加減は忘れない。
ドゴン!と爆音をとどろかせ、車輪部分を破壊する。
走行不能となった馬車に近付くと、中で男が叫んでいるのが聞こえた。
煩い。
ドアを引き千切り、ミシリと踏み台を軋ませて中に踏み入る。
「人の婚約者を攫っておいて、どうしたとは何事だ」
見ると、シュナは片隅で小さくなり震えていた。その美しい瞳は涙で潤んでいる。
その瞬間、全ての思考が焼き切れた様に消え去り、私は男を掴み上げていた。
「私の婚約者を、ああも怖がらせるとは万死に値する。速やかに死ね」
安らかに死ねると思うなよ……。
明確な殺意を持って、男を外へ投げ出す。剣を抜こうとした、その時。
「ギル!ギルバート!ちょっと待てーーーっ!」
愛らしい声が、私の名を呼んだ。
嘘だろう?彼女が。彼女が名を呼んでくれた?
「……シュナ?君、名前を………」
振り返り、そう言いかけて。目を見張る。
「え?」
そこに、女神がいた。
絹のように輝く、長いシルバーブロンドの髪を華奢な身体に纏わせ。
白く滑らかな肌を晒す姿は、一糸纏わぬ状態でありながら神々しくすらあった。
「え?」
まだ状態を理解できていないシュナは、キョトンと私を見上げる。
まだ潤んだままの瞳で見上げられ、理性の糸が切れるかと思った。
しかし。
「……成長、してる……?」
現状を把握したシュナは、真っ赤になって悲鳴をあげ、私は慌てて理性の欠片を掻き集め彼女をマントで包んだのだった。
そんなこんなの騒ぎの後、無事に彼女を侯爵家へ送り届け、私は父に面会を求めた。
勿論、シュナとの婚約継続を願うためだ。
問題だった彼女の成長は本日成された訳で、もう解消する理由はない。
寧ろ、お互い結婚適齢期なのだから、このまま婚姻の準備に進んでも良いのではなかろうか?
「それで?」
父であるサウザリー公爵は、執務用の机に両肘をつき私に声をかけてきた。
「シュナリザーは、本日無事に成長致しました。これを機に、婚姻の話を進めたいと思っています」
「そうか」
私の、シュナに対する執着を薄々感じ取っている父は、小さく嘆息した。
「まぁ、何だ。良かったな」
「侯爵殿から婚約解消のお話があったと思いますが、断りの返事をお願いします」
「伝えよう。だがギルバート」
父はちらりと私を見る。
「暴走するなよ」
「……分かっています」
釘を刺され、苦く笑う。
だが、漸くシュナを手に入れる算段がつくのだ。我慢も出来ると言うものだ。
父との面会を終え、侯爵家へ明日伺う旨の手紙を届けさせる。
さて、どうやってシュナを攻略するか。
これからの攻防を思い、攻略方法を模索しつつその夜は更けていった。
翌日、侯爵家へ赴く。出迎えてくれたシュナを見て、軽く目眩がした。
鮮やかなブルーの、シンプルだが質の良いドレスを纏う姿は、控えめに言っても天使だし、このままでは天上へ帰りかねない。
すっかり大人の身体になったシュナだが、ふと微笑む姿に幼女の頃の微笑みが重なり、愛おしさに胸が苦しくなった。
「サウザリー様、お待ちしておりました」
はにかむように、ゆっくりと声をかけてくる。
「もう、ギルバートとは呼んでくれないのか?」
何を言うより先にそう耳元で囁くと、彼女は真っ赤になりながら慌てて私から距離を取ろうとする。
しかし、そこは予想がつく行動だから、がっちり彼女の腰に腕を回して微笑んでみせた。
「婚約者なのだから、そう離れなくても良いだろう?」
「し………しかし!いくら婚約者と言えども、少し距離が近過ぎるかと……」
慌てふためく彼女を十分に堪能して、そのまま客間に脚を向ける。
客間には、カルレイ家の主治医と神官長が先客として通されていた。
「遅れて申し訳ない」
先客に声をかけ、真っ赤なままのシュナと共にソファに座ると、早速本題に入った。
「先ずはシュナリザー様、この度はご無事に成長なされた事をお喜び申し上げます」
にっこりと笑い、神官長が挨拶をする。
「あ……ありがとうございます」
視線を泳がせつつ礼を述べる。
「シュナリザー様は、そのお力の影響で、著しく成長に支障を生じていましたな」
主治医の声に、神官長も私も頷く。
「神官長殿とも話しておりましたが、そもそも8歳から成長が止まっていた、あの状態が異常だったと考えております」
「圧縮された魔力は成長に影響を及ぼしますが、全く成長しない訳ではないのです。通常より遅くはなりますが、成長は望める筈でした」
主治医の言葉の後に、神官長が話を続けた。
「しかしシュナリザー様の成長は止まってしまった。
大きすぎる力から身体を守る為の防御反応か、若しくは精神面に何らかのストレスが掛かりストッパーがかかったか、この2つが考えられるのです」
「昨日、シュナリザー様は一気に大人の身体になられた。この事から考えるに、ストレス説が有力と思われます」
2人からの説明に、シュナはぱちくりと瞬いた。
よく分かっていないらしい。
「要するに、8歳のシュナは何かしらの不安を持ち、自ら成長を止めたと言う事ですか?」
「正しく、その通りかと」
神官長は頷く。
「この様な場合、無意識に設定したキーワードが、成長を促す切っ掛けとなり得ます。何かお心当たりはありますかな?」
「…………」
形容し難い表情になったシュナは、口を噤んでしまう。
これは何か心当たりがあるな。
しかしシュナは意外に頑固だ。皆んなの前で口を割ることはないだろう。
「シュナも直ぐには思い当たらないでしょう。後ほどゆっくり話をしてみます」
「そうですね。何より無事に成長できた今、過程は些細な事です。お2人のこれからに幸多き事をお祈り致しましょう」
祝辞を述べて、主治医と神官長は一足先に帰って行った。
「さて。シュナ?」
2人を見送りそう声をかけると、シュナはビクリと肩を揺らした。
「これでこの場には2人だけだね。さぁ、話して貰おうか」
「え……ええっと?」
「私にも何となく分かっている事は、キーワードが私の名前だったということだ。
では、シュナが抱えていた不安は、私に関する事で間違いないのかな?」
「…………」
ウロウロと視線を彷徨わせるシュナの頬に、そっと手を当てた。
「シュナ、答えて?
何がそんなに君を不安にしたの?」
ぼんっ!と火を吹きそうなほど赤くなったシュナは、暫く言い淀んだあと恨めしげに私を睨んだ。
「ギルバート様、性格変わってませんか?」
「そう?前からこんな感じだけれど。知らなかった?」
「知りませんっ!」
むむむっと令嬢らしからぬ膨れっ面に、そっと笑いを漏らた。
「シュナ、誤魔化さないで」
「〜〜〜〜っっ!!」
ぷるぷる震え、涙目で睨まれる。
何だこれ、可愛い過ぎるだろう。
逃げられないと判断したのか、シュナは渋々話し始めた。
「8歳のあの時、成長が遅くなると聞いて怖くなったんです」
「怖い?」
「はい。大人になるのに、どれ程の時間を要するか分かりませんでしたし。
余りに遅い成長だと、その……婚約を解消されるだろう、と思って……」
俯いてしまった彼女に、そういえば…と思う。
「確かあの頃だね。私の名を呼ばなくなったのは」
コクリと頷く。
「薄々は感じていたんです。私の成長速度では、ギルバート様の伴侶にはなり得ないって。
だから、自分の気持ちを守るために、お名前を呼ぶのを止めたんです」
「気持ち?」
「………好きだったんです、ギルバート様が。
でも婚約は続かないって思って。だから、それ以上好きにならない様に、気持ちを制御するつもりで……」
思わぬ告白に、目を見張る。
シュナも私を想っていてくれた?
歓喜が湧き上がってくる。
しかし、ぽつりと流れ落ちるシュナの涙を見て、その歓喜も形を潜めた。
シュナは、私が想像する以上に成長しない自分に苦しんだのだろう。
それなのに私は彼女に寄り添う事もせず、自分の保身に走っていたのか。
自分の不甲斐なさに腹が立ってくる。
しかし今押さえるべきは、2人の将来だ。私はシュナを手放す気はないし、彼女以外の妻を娶る気もない。
「君の苦しみに気付けなくて悪かった」
そっと額にキスを落とす。びっくりした顔でシュナが私を見つめてきた。
「私は言葉が足りなかったようだ。どんな姿であっても、私はシュナが好きだよ。大切なんだ。
これからの人生を、是非一緒に歩んで欲しい」
真偽を判断するかの様に、その紫紺の瞳を私に向ける。その幼くも見える姿に、笑みが溢れた。
「返事が欲しい。シュナ?」
「……宜しくお願いします」
薄らと頬を染め、承諾の意を示す彼女。
羽化できないままでも、大切に守り愛でるつもりだったが。
美しき羽根を広げた蝶のような、魅惑的で且つ可憐な乙女を、この時漸く私は手に入れる事ができたのだった。
読んで頂きありがとうございます。
次話のモブ視点で最終となります。