教会に捨てられた元聖女、天使に拾われる。
「ノエル、分からないのか。君はもう不要なんだ」
そう言って汚らしいものでも見るように袖を振り払う神官長さまの姿に、私は深く絶望した。
私は元孤児。聖女の適性審査に引っかかったため、私は教会に引き取られた。
なんてことはない。
透明なまあるい玉ーー聖女の涙と呼ばれるそれに手をかざしたら光ったというもの。
それだけが聖女の素質を確かめる唯一の手段。
幼い私は教会に引き取られた。
とはいっても、これら全ては神官たちから聞いた話で、私の記憶ではない。私の一番古い記憶は、昨日の授業を忘れてしまい、神官さまに鞭で叩かれている、というもの。
私の暮らす国では、数年に一度、川の水に海水が混ざり、畑の作物が全て駄目になってしまう。
原因は神様のお怒りだと学んだ。
そのお怒りを鎮め、天災を防ぐために、聖女がいる。聖女はその清らかな身で神に祈り、怒りを鎮めるのだ。
聖女は教会の象徴であり、10年に1人選ばれる。
人々の憧れの存在で、心の支え。
10年間の勤めを終えた聖女は、教会の奥深く、一般人が立ち入れない場所で、静かに余生を過ごすことになる。
聖女は崇高な存在だから、私のような孤児がなることはほとんど無い。たいていは教養のある貴族の女性がなるから、神官さまは私のような出来の悪い聖女候補は、厳しくしないと他の聖女候補と並ぶことができないとおっしゃっていた。
確かに私は他の聖女候補の女の子たちのなかでも一番だめだめだった。みんなが歴史を学んでいる間に言語を学び、みんなが歌を歌っている間に私は発声練習をしていた。
私はいつも他の聖女候補たちに馬鹿にされていたけれど、できないぶん誰よりも努力した。そうすればいつか、みんなも認めてくれると思ってた。
成長するにつれ、聖女候補はひとりまたひとりと減っていった。
定期的に行われる適性検査で、聖女の涙が光らなくなってしまったのだ。
涙を流す子もいれば、清々しい顔で教会を去る子もいた。
誰かから聞いた話。聖女候補に選ばれた女の子は、求婚者がとても多い。聖女になれなくても、聖女候補に選ばれるだけで、将来安泰らしい。
でもそれは貴族の話。
私は孤児だから、教会を追い出されたら行く先がない。外の世界も知らない。怖い。教会は民を公平に扱うから、私のようなしがない孤児を特別扱いすることはできない。私は一人で、生きていかなければならない。
怖い。
怖いから、私は密かに、毎晩、月に同じ願い事をしていた。
「お月様、私の願いを聞いてください。」
「私はひとりになりたくありません」
「どうか死ぬまで私のそばにいてくれる人をお与えください」
不思議と、聖女になりたいと願うことは一度も無かった。
余分なものを全て取り去ったとき、残ったのはこの願いだけだった。
適性検査で聖女候補をやめていく彼女たちを横目に、私は光を放つ聖女の涙を見て、安堵する。
ひとり、ひとりと減っていった。
私が手をかざす聖女の涙は光り続けた。
ある日とうとう、聖女候補は私ひとりとなった。
最後はたった二人きりになって、とうとうもう一人の聖女候補、クリスティーナの聖女の涙の光が消えたのだ。
私は安堵に包まれた。
私はこれで、生きていける。
クリスティーナは私の手元の淡い光を見て、唇を噛み締めていた。
クリスティーナは公爵家の三女で、私は孤児。神官さまたちは私が残るなんて、思いもしなかったと言っていた。
私は少し、誇らしかった。
それから1年後、聖女としてのはじめての仕事、私が聖女になると周囲に公言する聖女の儀が執り行われることとなった。
神官長さまをはじめ、神殿の人たちは慌ただしそうにしていた。間に合うだろうか。そんな言葉も聞こえた。
私は真っ白な服を身に着け、白いベールを頭にかぶり、神殿に入る。人々のざわめきが聞こえる。私はうつむきながら、神官長さまの前に歩み寄る。
神官長さまは私の額に濡れた手を当てる。ひんやり、冷たさが心臓を撫でる。
「ノエル。汝を新たな聖女にーー」
「ーー神官長さま、ちょっと待ってください!」
ドアが開く音、大きな声。
私たちは振り向き、入り口に立つ二人の人間を見つめた。
「神官長さま、わたくしこそ本物の聖女です!」
ざわめき、動揺する声。
その中に混じり、神官長さまの静かな声が聞こえた。
「間に合ったか」
そうして、本物の聖女が神殿に姿を表した。
彼女は、クリスティーナは私と全く同じ服を着ていながら、すらりと高い背丈と仕草から、気品がにじみ出ていた。彼女は隣の神官さまが手にもつ聖女の涙に手をかざし、高くかかげた。
瞬間、神官内にまばゆい光が満ちた。
静寂。
「……奇跡だわ」
誰かのため息にも似た声が反響し、それを皮切りに耳が千切れるほどの歓声が溢れた。
私はあ然として彼女を見つめた。
かつて見たことがないほどの光、淡い光を放つ私とは異なり、人々を魅了してやまない閃光。
聖女の適性は、一目瞭然だった。
神官長さまは私の隣を通り過ぎると、彼女に歩み寄った。そして威厳のある声で語る。
「皆のもの、先程の奇跡を見ましたか。彼女こそ、真の聖女である。今この場で私の権限を以て、クリスティーナを新たな聖女に認める!」
人々は歓喜に悲鳴を上げた。拍手が満ちる。
なんて都合の良い、ドラマチックな展開だろう?
「ちょ、ちょっと待ってください!」
私が声を上げると、人々の視線が集まった。
歓喜を遮る者を許さぬようなーー冷たい視線。
「ちょっと、待ってください……そんな突然、真の聖女だなんて、納得がいきません。クリスティーナは一度不適性になりました。それなのに、突然現れて、あんなに光るなんて、怪しいです。それに、神官長さまはさっき、間に合ったってーー」
神官長さまは目を細め、冷徹な視線で私を貫いた。私は気配に圧され、口をつぐむ。
「ーーノエル、分からないのか。君はもう不要なんだ」
袖が振り払われる。
私は神官さまたちに背中を押さえつけられ、新たな聖女の姿を見上げて絶望した。クリスティーナは笑っていた。私を見つめ、見下ろし、笑っていた。
そこでようやく気がつく。
神官長さまたちは、もとから私を聖女にさせるつもりなどなかったのだ。
私は床に震える手を這わせた。
なめらかな床、満月の描かれたそれ。
ぽたり、汗か涙かも分からない液体が、床に跳ねた。
ーーお月様。どうか私を助けてください。
「ひとりになりたくありません。冷たくされたくありません。誰かに必要とされたいんです……」
怖い。これ以上、人の冷たい部分に触れていては、私が壊れてしまう。凍りついてしまう。
助けて、お願いします、助けてください……。
「お前、何をぶつぶつとーー」
「ーーじゃあ、遠慮せず僕がもらっていくね」
鈴の音のような声があたりに響く。一瞬、柔らかな光に目を閉じると、鈍い声が聞こえて私の拘束が解かれた。私を包むぬくもりと浮遊感に目を開けると、深い空色の瞳と目があった。
男の人が、怖いほど見目が整った男の人が私を抱き上げていた。
「……ノエル」
名前を呼ばれる。驚きで身を固くしたまま、男の人の背中に真っ白な羽根が生えているのを見た。
天使だった。絵画で見るような天使が目の前にいた。
「ノエル、もう大丈夫だよ。よく頑張ったね」
抱きしめられて、頭を撫でられる。手があたたかくて、訳も分からず、私はだらだらと涙を溢れさせた。天使は少し笑って私の目尻をおさえた。
静寂の中、私の嗚咽だけが響く。少ししてその静寂を異様に思ってあたりを見回すと、聖女の儀にきていた人々のほとんどがその場で、倒れて気を失っていた。クリスティーナも顔面を蒼白にさせ、倒れていた。
しかし一部の神官さまと神官長さまはその場で尻もちをついているものの、意識はあるようだった。
天使は私を抱きかかえたまま神官長さまに近寄ると、無邪気に聞いた。
「僕は天使のメセチナ」
神官長さまは口を開いたり閉じたりしているけれど、声が出ないようだった。メセチナ。それは私たちが大切にしている聖典に登場する、大天使の名前だった。
「君はノエルを不要と言ったね? その言葉を、天使としてよく心に刻んでおくよ。僕の敬虔な信者を、君たちは不要と言ったんだ。それ相応の結果を覚悟しておいたほうが良いだろうね」
神官長さまは目を見開いた。顔がだんだんと血色を失う。バタバタと音をたてて、神官長さま以外の神官さまが倒れていった。
「精霊は行為ではなく、精神に宿る」
メセチナさまは、静かな声で神官長に言った。
「空洞化した君たちの信仰は、今やなんの意味も持たない」
再び光が満ちて、私は目を閉じた。
再び目を開けたとき、そこは神殿ではなく、淡い光のさしこむ、天界のメセチナさまの家だった。
後々、メセチナさまから教わった。
聖女の儀のとき、人々は身体を動かすことはできなかったものの、意識はあったから、すべてを聞いていたこと。
聖女になったクリスティーナは、手品を用いて聖女の涙を光らせていたこと。
神官長さまは貴族と癒着しており、クリスティーナを聖女に選ぶ代わりに、多額のお金を得る予定だったこと。
そもそも神さまは人の祈りなんて聞かないこと。
聖女の涙が光ることは何の意味もないこと。
川の水に海水が混ざるのは、川上にある隣国のしわざであること……。
「僕の家は月に近いから、君の祈りがよく聞こえていたんだ」
メセチナさまは、私に触れるのを好む。ベッドの上で私を抱きしめながら、そんなふうにつぶやいた。
「今どき天使すら居ない月に祈るなんて古風だなぁって思いながら、毎日ノエルの祈りを聞いてた。何回か聞くうちに、どうしてこんなに素朴な祈りをするんだろうかと気になった。だから僕はこっそりノエルの様子を見に行ったりしたんだよ」
メセチナさまが私の髪を長い指で梳く。
「見に行ったら、人に囲まれているのに、ひとりぼっちの君を見つけた。悪意に囲まれて、それでも必死に生き抜こうとする君を、僕は愛おしく思ったんだ。だから、聖女の儀のとき、あんまりにもはち切れそうな声で君が泣くから、僕はたまらなかったよ! すぐに飛んでいって、普段は人に姿なんて見せないんだけど、見せちゃった」
メセチナさまはへらへら笑った。そして再び滲み出した私の涙をぺろりとなめた。
「ありがとう、ございます」
私がメセチナさまの胸に頬を寄せると、ゆっくりと頭を撫でられた。
「良いんだよ、ノエル。君の願い通り、君が死ぬまで僕が一緒に居てあげる」
ーーそう簡単に、君を死なせはしないけどね。
「……?」
「ううん、なんでもない。そんなことより、ノエルをひとりにさせないために、僕の仕事先にも連れて行こうと思っているんだ。だから明日は、可愛い服を仕立ててもらおうね」
私は申し訳なくて、でもそれ以上にかわいがってもらえることが嬉しくて。
「かわいいかわいい僕のノエル。僕だけのノエルだよ」
メセチナさまは再び私を抱き寄せると、首筋にゆるく噛み付いた。