第一話 3
予約表をちらりと見る。
この後の予定は六時まで入っていない。時計を見ればまだ一時だ。
「時間空いちまったなぁ・・・」
ふあぁ、と背伸びをし、よし、と勢いよく立ち上がった。
「町ブラでもしてくるかぁー。」
と、パーカーを羽織りながら呟いた。
外に出れば、すこしばかり暑さを孕んだ春風が頬を撫でる。もうすぐ梅雨かぁ、などと思いながら昼ご飯を探しに商店街へ向かった。
ここは東京の区内の端っこ、穏やかな雰囲気の小さな町だった。
この雰囲気を気に入り、五年前に開業し、今ようやく軌道に乗れてきている。
まあ、仕事に熱が入りすぎてプライベートをおろそかにしたせいで、恋人は三年前に別れたっきりだ。
「まあ、俺は仕事一筋だし? 自炊も出来るし、別に嫁さんなんかいらねーからさぁ。」
などと一人で呟いてみたが虚しさが余計に胸を刺す。
いや、だめだ。思考を変えよう。今は昼飯だ。そうだ、一番嬉しい時間じゃないか。
そう自分に言い聞かせ、昼時で活気が溢れている中をきょろきょろと歩く。
昼は何にしよう。そば、うどん、ラーメン、カレー、牛丼、弁当、ちょっとオシャレにサブ〇ェイなんかもいいな。いや、新しく出来た沖縄料理店に行くのもいいな。ソーキそば・・・いいな!
さきほどまでの嫌な気持ちもどこかへ、頭の中にソーキそばを思い浮かべながらるんるんと歩く。時折出会う患者さんに挨拶を返し、裏道に入って右に曲がって小道を曲がれば、小さなお店が立ち並ぶとこに出て――――
「・・・あ?」
右に曲がれば、小道なはず。
なのに、道が無い。
「・・・間違えた?」
もう一度戻り、確認する。確かにここの裏道であっているはずだ。
「・・・あれぇ?」
首をひねりながらまた裏道に入る。ここまでは記憶と同じだ。そこで右に曲がれば――――
やっぱり、道が無い。
「おっかしいなぁー・・・」
道があるはずのそこは、突き当りになっていた。
そしてその突き当りに、小さな店が立っていた。
「・・・こんなとこに店あったかなぁ?」
首をひねりながら、歩み寄ってみる。
どうみても、綺麗とは言い難い古びた店だ。
近くにある、六十年やってることが売りの駄菓子屋もぼろぼろだが、それにしたってここまで古くない。
まるで何百年もうち棄てられたかのようだ。
店先にプレートがかかっているのを見つけ、目を凝らした。
とにかく古すぎて読み辛い。集中しなければ読めないこれは、看板の意味を成しているのだろうか。
「おと・・・き・・・はこ?」
『音木箱』とかかれたプレートから目を離し、店を見上げた。
「何の店かくらい書いてくれよ・・・怪しすぎて普通入らないだろ、これ。」
はは、と苦笑しながら踵を返した。
とりあえず別の道から沖縄料理店に行こうと考え、歩き出した、その直後。
ぎいぃ・・・
古い木が軋むような、不気味な音を立てて、『音木箱』の扉が開いた。
ぎょっとして振り返り、動きを止めた。
恐ろしかったが、どんな客が出てくるのかも見たかった。好奇心が勝ってしまった。
早くなる鼓動を抑え、じっと扉を見つめる。
だが、しばらく経っても誰も出てこない。
どころか、店の中から話し声や歩く音すら聞こえない。
「・・・これ、ホラーだとやばいやつじゃ・・・」
ごく、と喉を鳴らす。
だが、何故だか離れがたい魅力も感じていた。
中に入ってみたい。
どんな店か知りたい。
もう一度、唾を飲み込み、岳人は歩き出した。
「好奇心は猫を殺す・・・ってイギリスの言葉だっけか?」
そっと古びたドアに手をかけた。不吉な音とともにドアがさらに開いていく。
「・・・あ、あのー・・・すいません。」
奥が真っ暗で何も見えない。
ああ、こりゃ踏み込んだ途端にゾンビに食われるモブみたいなシーンだ、と心で苦笑しながら足を踏み入れた。
「あ、あのー。」
すいません、ともう一度言おうとした瞬間だった。
カランカラン、と涼やかなベルの音が鳴った。
「うわわっ!」
思わず声を上げてしまった。慌ててドアを見ると、上の方に大きな鈴が二つぶら下がっていた。
ほっと息をつく。
なんだ、鈴だった――――
待てよ、と岳人は眉根を寄せた。
なら、何故ドアが開いた瞬間に鳴らなかったんだ?
あれだけ静かな裏道なのだ、聞き逃すはずがない。
しかも、ドアが開いた時じゃなくて、岳人が一歩踏み込んだ瞬間に鳴った。
「・・・センサー?」
ずいぶん変わったセンサーだな、と思った瞬間だった。
「~~~~~っ!?」
声にならない悲鳴が喉から溢れた。
足に、何かが張り付いた。
しかも、両足だ。
大きい。太ももまである。
まるで中型犬が抱き着いたかのようだ。
けれど、先ほどまでなんの音もしなかったのだ。
犬がいるわけがない。
頭から背中にかけて冷たいものが走る。
ぞわぞわと鳥肌が立った。
見てはいけない。
けれど、確認したくてしょうがない。
暴れまわっている鼓動が耳に響く。
意を決して、岳人は自分の足元に目を向けた。
そこで、四つの何かと目があった。