大江山の怪物、伊吹山の怪物 参
「スイはやっぱり嫌、純には試合には出てほしくない。もし万が一にも純に間違いがあれば、お腹の子はどうするの——」
純一郎の空いた手を握ったスイの手には純一郎を思い留まらせようとする強い力が加わる。
面を見れば、目の端は微かに濡れ、下唇をキュッと噛みしめている——スイには悲しい時や悔しい時、特に心配に堪えられぬ時には、本人は全くの無自覚のようだが、下唇を噛む癖がある。
純一郎はスイのその癖を見て、妻の相当な憂いを気取った。確かにスイの言葉にも一理はないことはない、今は妻の腹に宿るまだ見ぬ子供、そして妻の体を案じ、何よりも優先されるべきであることは重々承知である。しかし、この次にいつあるとも分からない奉納試合を見過ごす気にもなれないのも、やはり剣を扱う身分柄、骨髄まで徹底して剣術を叩き込んだ、一人の武士として偽りのない本音。
どちらを取るか——常人であるなら、この選択には行きつ戻りつして迷ったかもしれない、また剣に覚えがない者であれば、この選択に焦がれるような葛藤を呼び起こしたに違いない。
しかし、佐々木純一郎は一切の迷いも起こさず、即答してみせたのである。つまり、
「私は行くよ」
純一郎は何も根拠なしの根無し草で物を言う男ではない。そこには絶対普遍の自負の念があって、つまり剣の腕では自分の右に出る者はいない——という、一種の傲慢、慢心、傲岸さから来る自信十二分に溢れる解答なのである。
このちょっと鼻をへし折ってやりたくなる純一郎の言葉だが、実際、彼の剣術振りは見る者を圧倒させ、向かう者の肝を潰してしまうほどの威力がある。
少しここいらで佐々木純一郎の来歴について触れておこうかと思う。その上で、彼の純一郎の剣術の成す業を少しでも理解してもらえればと浅慮の致す次第である。
佐々木純一郎——かつては虚弱で前途に暗影が差していたが、これを根性で治し、数え十五の頃、直心影の剣術を承るべく、父の惣一郎の紹介で、その正殿が置かれる鹿島の道場にて、長沼氏の教導のもとで、五年修業し、覇気にて敵をひたすら斬り伏せんとする「烈火奮迅の構え」を編み出し、あの武神の権化のような存在である銀三郎も到達し得なかった二千回にも及ぶ立ち切り修行を終え、その後、針ケ谷氏のもとで無住真剣を修めた。
これには純一郎は約八年の歳月を要した。無住真剣の何にも迷うことなく徹底した無心で敵を討つべしという教えは、例え相手が夜を共にした妻であれ、腹を見せ合った同輩であれ、向かい立つならば、無心の一刀のもとに打ち捨てるといえばあまりにも無惨で聞こえは良くないが、そういった観念を一切捨て去るといった気概で相手に向かい、常に尋常の剣術を振るうという性質で、隙を全く見せず、特に初見にはとても有効なのである。
このように生きてきた半分以上の時間を一切の隙間なく、剣の道で敷き詰めたような人生——唯一彼が見せた隙というのは、スイという妻を迎えたことぐらいだろう——まあ、こればっかりは佐々木家の長男であるからよんどころないところではあるが、それを除いても、なんと徹底した二心なき人生であろうか。
これでは純一郎に少しの慢心が生まれることは当然といえば当然、妥当といえば妥当である。