大江山の怪物、伊吹山の怪物 弐
麗らかな夏の日差しが灼けるように眩しい日、天下、いと泰平なるがごとくのどかなさえずりは人の心を休ませ、どこからともなくやって来たキジバトは石垣の上で「ほうほう」と平和を唱える。
一陣の爽やかな風が吹けば、それに呼応して風鈴が鳴る、一度、優しい風鈴の音が鳴れば、他の音はすっかり排してしまって、場はことごとく清涼なる空気と風鈴の余韻が満ちる——それと同じように、場にいるだけで人に清涼な感を与える風鈴のような男が、風鈴の下、縁側に腰掛け、沓脱ぎの上の草履を無邪気にも足で弄んでいる。
歳の頃は顔を見れば、若いとも老けているとも言えず、三十前半あたりに見える。
夜も青白く浮かび上がりそうなほど白い肌は冴え冴えしく、鼻筋は眉間からくっきりと顕著で、鼻先は矢尻のように鋭く、キッと引き結んだ口が厳格な感を人に与える一方で、ぱっちりと開かれた二重まぶたの目は上記の近寄り難さを打ち消し、人懐っこい印象を与えている。
そして、この男が体から放つオーラとでも言うべき雰囲気は先にも述べてある通りである。
この男は一体誰であろう——この男こそ、佐々木銀三郎の義理の兄の一人であり、佐々木惣一郎が長男の、佐々木純一郎その人である。
二藍に染め抜いた着流しに、兵児帯を締め、腰には海老鞘の大小の刀を差し、今は悠々閑々として、片手に特別にハッカを煎じた水煙管をプカプカと吹かしながら、庭先の石垣に留まったキジバトを無心に見入っている。
「まーた朝から煙草を吸ってる」
この声は誰だろう——縁側にひょっこり現れて、純一郎の持つ水煙管を見るや否や、呆れ顔を作って、純一郎を見下ろした女はスイという純一郎の妻である。
軒下の陰になった薄暗がりでも分かる赤みがかった茶髪をサイドの朱色のリボンでツインテールのように結い、京紫の行灯袴を穿いた町娘のような格好。
「ハッハハ、これはミントだから体に良いんだよ。胃腸病や肺にも効くらしいから、君もやるかい」
純一郎は今し方、口に差していた煙管の吸い口をスイの方へ差し向けると、スイはツンと顔を背け、
「スイはそのミント特有のすーすーした感じが苦手だからいらない、それに別にどこにも悪い所なんてないし」
「ハハ、断られた」
「そんなことより、さっき雄二郎から純宛に書簡を預かったよ」
雄二郎とは佐々木雄二郎のことで、純一郎の弟に当たる——が、これがまた純一郎と似ても似つかない程のだらしなさで、いつもフラリとどこかへ出て行くと、帰りは必ず酔って帰ってくる。
今朝も帰ってきたに違いないが、すぐまたどこかへフラリフラリと出て行ったに違いない。
「ナニ、あいつのことだ、またどうせ下らない内容だろう」
「それがそうでもなくって……、奉書のようだから一応見ておいたら」
「ナニ、奉書……、それなら仕方ない、持ってきてくれ、あ、ついでにほうじ茶も頼みたい、冷えた奴で、ミントを吸った後の冷たい茶は格別にスースーして気持ちがいい」
「はいはい」
しばらくして、純一郎の手には冷たいほうじ茶とえらく長い奉書が渡った。
「ハァー、スースーして気持ちいい」
「それでその奉書には何が書いてるの?」
「うむ、待たれよ、今から見てみる」
純一郎はスルスルと奉書を解き、早速その旨を読み取る。
「ははあ、近々、鹿島で剣術大会が催されるようだ」
「鹿島というと、えっと、茨城県だっけ」
「そうだ、私が幼い頃に剣術を学んだ流派が直心影という鹿島に本流を置く日本でもかなり大きな流派じゃ、これによれば、今大会は同門同士の力試し、えーっとなになに、かつて同門であった猛者達も相当に集まって、かなり大きな規模で試合を行うらしい」
「純も行っちゃうの」
スイはやや不安げである。試合に出るとなれば、当然、無傷で済まされるはずはない、それどころか、最悪死なないとも限らない。妻としては純一郎のことを気遣って当たり前である。
「うむ、久しぶりに仲間達の顔を見てみたい、それに久しぶりの試合、今の自分がどこまで通用するのか、試してみたいところではあった」
しかし、妻の心配を他所に、純一郎はもうすっかりやる気である。今からでも、かつての同輩達の迸るような強さを思い出して、ブルリと筋肉が震える、今からでも武者震いが止まらない。