大江山の怪物、伊吹山の怪物 六
「しない——ってそれは一体どういうことだ」
「そのまんまの意味だ。俺は忙しいんでな、チャンバラごっこに付き合っている閑はないて」
チャンバラ!!
こいつ、一体奉納試合を何と心得る——チャンバラとは子供ややくざ者がふざけてする剣術まがいの行為、仮にも神前で行う、慇懃にして、神聖なる奉納試合を酔狂がするような卑しい悪戯と同一視するとは、我が弟ながら、浅ましい考えだと純一郎はぶん殴って雄次郎の盲目を覚ましてやろうという気概も薄れて、至って無、呆れを通り越したその先の先、哀れみすら超越して、感情のすべてがすっかり洗い流されて、俗世の垢まで削ぎ落とされたような中で感得したのは清々しいまでの無。
このふしだらな放蕩息子は一体どこからやってきたのだろう。とても自分の家で同じ鍋を囲んだ家族の一員とは思えない。
昼夜を問わず、絶えず浪人共と交じっては酒肉を貪りと女に遊び明かして、放蕩三昧。金が足りなくなれば、剣術を見世物にし、それで得た泡銭でまた酒と女とともに耽っていく、無限ループ。情けないといえばあまりにも情けないこと、この上ない有様。
かつての雄次郎の気立ての真面目な姿は遠い過去——今では酔っていない姿を見ることの方が稀で、顔には常に酒気が漂い、灼熱を帯びたような顔、衣服には目も眩むような女の色香が執念深く付きまとっている。
このままでは佐々木家の恥さらし、最終的には勘当を言い渡さなければならないとも純一郎はそこまで思いを巡らせ、
「酒と女がそんなに大事か」
「ああ、大事、大事、人間にとって呼吸が生きていく上で重要なように、俺にとって酒と女はそれぐらいの価値がある」
「剣よりもか」
「兄者は堅物すぎるんだ、今時、刀が武士の魂とか剣法を学び精神を養うとか、俺にしちゃ笑い種だぜ」
純一郎の無感動はそこで一転し、死灰復燃ゆといった感じで、一度は沈水しかけた堪え難い怒りの念が引っぱり上げられ、純一郎の眉間に容易ならない色が現れる。
こいつの恥が衆目にさらされ、佐々木家の面目丸潰しといった惨事になる前に斬って捨てておくべきかと純一郎の合理的な一面が顔を出し、いやいや結論を出すのは早計すぎる、不貞であれ、血肉を分かち合った、たったひとりの弟だそれを打ち捨てるような真似はできないといった情が顔を出す。
悩んだ挙げ句、結論は出さず、感情を面に出さず、極限の温情をもって、雄次郎を諌めるように、
「もうあの不良どもと付き合うのはやめておけ……」
「何故だ?」
「分からないのか? 万が一の事があったら、親爺が心配するんだぞ」
「だったら?」
「だったらって……」
雄次郎は物の道理が分からないほどに落ちぶれてしまった——純一郎は一抹の情というものがまだ雄次郎には残っているものだと期待していたが、その期待が全く外れて、純一郎が次の言葉をつがえることができないでいると、
「悪いね、兄者、俺は今が楽しくてたまらないのさ。武芸は人並み以上にできて金には事欠かず、上手いもんは食えて、美人にはちやほやされる、これ以上のパラダイスはない。逆に俺が兄者に聞きたいぐらいだぜ、どうしてそこまでの腕を持ちながら、なお泥臭いところに留まっているのか、不思議でならないね」
「私が武術を志したのは、遊ぶためじゃない……」
「ハッ、そうやっていつまでも真面目くさっていれば良いさ、さーて、そろそろ待ち合わせの時間だから、俺はこれで失礼するぜ、じゃあな兄者、向こうについたら我が同輩達に宜しく伝えといてくれ」
そう言って、雄次郎はおもむろに立ち上がると、壁に立て掛けてあった二メートルほどあると思われる長大なの野太刀を手に取り、着崩れた羽織りを直してから、足取りおぼつかなく、柄を臨時の杖にして、よろめきつつ玄関へと向かい、そこで下駄を突っ掛ける。
「そんな刹那的な生き方はいずれは自他もろとも身を滅ぼすことになるぞ!!」
「へいへい、また後でな」
純一郎が廊下を出た時には、雄次郎の姿はとっくになく、あるのは残響のみ……。