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第7章 鉄と炎の湖
十九世紀に入ると、欧米で絹の需要が高まった。貴族御用達のブランド品だった絹は、経済成長を背景に、一般市民の手にも入るようになった。女性用の絹の下着やストッキングが飛ぶように売れた。この絹バブルに乗ったのが幕末日本であり、そして北部王国だった。
西海岸の北部には、手付かずの原生林が広がっていた。絹バブルが起こると、北部王国の人々は密林じみた土地の開拓を始めた。男達は朝から晩まで木を切って根や岩を掘り出し、子供達は枝を拾い、女達は炊事洗濯を請け負った。脱走者は斬首された。人々は伐採した木で家を作り、掘り出した岩で墓を建てた。開けた土地に桑を植え、三階建ての養蚕室を建てた。彼らは「パンツ売り」と馬鹿にされようと、絹を作り、欧米に売った。その金で鉄道を敷き、病院や学校や警察を作った。西海岸で最も貧しかった北部王国は、数十年で大陸屈指の大陸軍国となった。
北部兵を満載した列車が、新しい開拓地を通って南へ向かっていた。
列車の中で、灰色の軍服を着た兵士達が、国歌を歌っていた。体は若く健康で、頭はスキンヘッドの五厘頭だった。革靴はよく手入れされてあった。
軍の強さは足元に現れる。靴先が光り輝くまで磨き込まれていたなら、その軍隊は確実に強い。北部兵の足元は鏡のようだった。
列車の中ほどに、貴賓車が連結されてあった。内装には金革唐紙が用いられていて、家具はドイツ製のビーダーマイヤーで統一されてあった。貴賓車のソファで、北部王がくつろいでいた。切れ長の目の塩顔イケメンで、徳川綱吉に似ていた。
列車は国境の駅で止まった。辺りには絶え間なく銃声が響いていた。灰色軍服の兵士達は歌いながら降りてきて、駅前で武器を手渡されて、ミュージカルのように敵陣地へ突撃していった。
戦いは既に始まっていた。鉄条網を張り巡らした草原には、敵味方の死体が散乱していた。灰色軍服が北部軍で、赤い軍服が王国軍だった。赤軍服は少数だが、塹壕に篭もって粘り強く戦っていた。
灰色軍服の北部軍は波状攻撃を仕掛けた。彼らは歌いながら突撃した。前や隣が倒れても前進し続けた。やがて彼らは敵の攻撃を押し切って、塹壕内に雪崩れ込んでいった。敵は足に鎖を巻いていた。




