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翌日午後、船は蓮沼近くの小島に到着した。空はすっかり晴れ上がっていた。
船は島影に身を隠して、作戦開始時刻を待った。その間、複数の漁船、貿易船に姿を見られた。彼らから連絡が行けば、奇襲は失敗してしまう。
船上に、武装した老人達が集結していた。武器は棒とサーベルと火炎瓶のみ。銃や大砲はなく、飛ばせる物は入れ歯しかなかった。
坊や、秋水、提督も甲板にいた。また、一隻の船が近くを通り過ぎていった。
「トップには、正しい情報も間違った情報も沢山集まってくる。現場が幾ら情報を上げても、上が正しく判断しなければ意味はない。お前も上に立つならよく覚えとけ。組織はトップ次第で強くも弱くもなる。無能な上司はいても、無能な部下はいないぞ」
秋水は懐中時計を取り出した。時間は午後四時ジャストを指していた。
「敵のミスを待つだけでは不確実です。こちらからもミスを誘発させる手を打っていきます。桶狭間作戦、発動です!」
王国艦隊は蓮沼湾内に錨泊していた。商業用の(深の浅い)港なので、軽い船は埠頭に接岸出来るが、(底の深い)大型軍艦は湾の入り口に待機しなければいけなかった。
水兵の過半数は街に上陸して、昼間から酒を飲み、バクチに興じていた。遊ぶ所ばかりの楽しい街だった。街の中心部には歓楽街、郊外には競馬場、少し足を伸ばせば温泉街もあった。街の至る所で、セーラー服の水兵が目に付いた。酔っ払って立小便したり、我が物顔でのし歩く彼らを見て、心ある市民は眉を顰めた。
歓楽街の一角に、艦隊司令官と若いスタッフ数名がやってきた。立派な軍服を着ているので、一目で偉い軍人と分かった。
スタッフの一人が、「ここです!」とある店を元気に指差した。
―「ご褒美メイド喫茶 はい、よろこんで!」
赤レンガ造りの店である。右隣が「素人OLの店 ノーパン商事たまらん課」、左隣が「どすこいキャバクラ 紅ふんどしの豚」なので、この通りではごくごく普通だった。
「……本当かよ?」
「まあ騙されたと思ってさ!すげー面白いぜ、ここ!」
「お前そんな事言って、こないだもさ~」
店の前で、スタッフはああでもない、こうでもないと盛り上がった。しかし司令だけは乗り気でなかった。
一行は何だかんだ楽しみにして店に入った。中はダイニングキッチン風のメイド喫茶になっていた。案内役のメイドが、腕組みして入り口の壁にもたれかかっていた。彼女は嫌そうな顔で挨拶した。
「ウッザ……奴隷の分際で何しに来たの?」
「な?な?」
「ええ……」
「しょうがないからシステム説明してあげる。ここは女王様メイドがお前らにご褒美を上げる店。酔っ払いは入店禁止。乱暴な言葉や暴力を振るったらすぐ出ていってもらうから。きちんと約束出来る?」
「はい!喜んで!」一人が元気よく答えた。周りのスタッフが笑った。
「ハァ?豚が何調子乗ってるの?用が済んだらさっさと視界から消えなさい」
一行は金を払った後、空いた席に座った。
「ありよりのありだなー」
「ねえわ。ムカつくから代わりにお前殴っていい?」
スタッフは男同士でまた盛り上がった。しかし司令はその輪に入ろうとしなかった。スタッフの一人が気を使って話しかけてきた。
「最近はこういうのが流行りなんですよ。僕ら叱られないで育ったから、可愛い子に叱られるとキュンてなる。ああ、この子は僕の事をちゃんと見てくれてるんだなあ、って」
「叱る、ね。女王様が豚を叱るかな?豚はね君、ブヒィとしか鳴かないものですよ?」
「は、はあ……」
スタッフのテーブルに、鳥山明先生のようなガスマスク装備のフルアーマー接客メイドがやってきて、メニューを置いた。
「早く決めて。喋んないでよ、ばい菌が移っちゃう」
「ワハハ。すげーメニュー。『駄犬の喜び(オレンジ味)』って。何にする?」
「せっかくだから一番高い奴。『豚に作らせてやる調教ハンバーグ』オネシャッス!」
「チッ(舌打ちする)。着いてきて。入る前にちゃんと手洗ってエプロン付けるのよ」
「女王様優しい」
「女王様可愛い」
「調子に乗るなよオス犬。営業許可取り消されたくないから言ってるの」
一行は特別キッチンに案内された。小さめの家庭科実習室のような場所である。調理メイドのアシュリーと先生が彼らを出迎えた。
「よくいらっしゃいましたね、この、変しつ者ども!しょうがないから一緒にはんばーぐを作ってあげます!」
アシュリーはマニュアルを棒読みした。店では変化球の和ロリメイド姿。ふわふわの髪をツインテールにして、ミニのゴスロリ着物にエプロンを合わせていた。
「下手くそだけどかぁいいからどうでもいいや」
「ハンバーーーグ!」
スタッフはJKメイドの周りに集まった。彼女は初めての事で戸惑っている。
先生は足を組んでキッチンに座り、つまらなそうに銀の髪先を弄っていた。店では危険球のヘソ出しフレンチメイド姿。知的な眼鏡をかけて、胸元が大きく開いたマイクロミニの痴的なメイド服を着ていた。司令は口半開きでエロメイドを凝視した。
店に情報士官が駆け込んできた。案内役のメイドが「ウッザ」と言い終わる前に、彼は「これで」と乱暴に金を渡して黙らせた。彼は司令に駆け寄って、小声で急用を伝えた。
「千代浜海軍の旧式フリゲート艦一隻が富島に現れました。直ちにお戻りください」
「あ、そうなの?でも、これからメイドさんとハンバーグをだね」
「そんな事言ってる場合じゃ!」
先生とアシュリーは互いに目を合わせた。アシュリーは強引に調理開始を宣言した。
「さ、さー!このお小さい皆さん!まずはタマネギを切りなさい。少しでも泣いたらこのフライパンの柄の部分で突きますからね!お返事は!?」
「はーい」とスタッフは園児のように両手を大きく上げた。司令も軽く上げた。「司令!」と士官は苛立った。「こういう時は根も葉もない噂が飛び交う。裏を取ったらまた来なさい」と司令。士官は怒って出て行った。
スタッフは作業に取り掛かった。まずはタマネギのみじん切り。そのタマネギはガラスの瓶に入っていた。蓋は思ったより固く、開けるのに一苦労した。
「これカッチカチだよ!みみっちい嫌がらせしやがんなあ!」
「早く開けなさい、こっ、この無能豚!」
スタッフは何とか蓋を開けて、タマネギを切り始めた。アシュリーは最初にマニュアルを棒読みしただけで、その後は一言も喋らなかった。スタッフは無言で作業を続けた。
不意に、スタッフの一人が「好きな子いる?」と尋ねてきた。アシュリーは素に戻って、「そんな事……」と頬を赤くした。「キャラ守ろうよ」と別の一人が突っ込んだ。彼女は「申し訳ありません。何分初めてで、分からない事ばかりで」と丁重に頭を下げた。「うん、まあいいよ、かぁいいから」とスタッフ。
作業はひき肉を捏ねる工程に入った。女王様はポンコツだが、料理自体は楽しいもので、スタッフは愉快に作業を続けた。その間、司令は何度も先生を見た。先生は離れた所に座ったままで、作業に加わろうとしなかった。
タネが出来上がった。後は焼くだけという所で、また士官が飛び込んできた。「ウッザ」と言い終わる前に、士官は金を払わず素通りした。
「お金払ってください!警察呼びますよ!」案内役のメイドが叫んだ。その剣幕に、他のメイドや客が怯えた。「時間ないんだよ!」と士官も叫び返した。案内役は大声で怒鳴った。
「お金払ってください!こっちだってプロなんで!タダでご褒美上げらんないんで!」
「……プロ?」司令の表情が一変した。
「自分でも理解してないマニュアルを棒読みする。営業許可なんて現実に引き戻されるワードを平気で使う。それでもプロかね?違うんだよなあああああああああああ!」
メイドは涙目になった。客は震え上がり、スタッフは青ざめた。司令は近くのメイドに菜箸を渡して、自分の目を突かせようとした。
「人間には二種類います!傘の先っぽで目玉を突ける人間と突けない人間です!君はプロなんでしょ!?突きなさいほら、僕の目を突きなさぁぁぁぁぁい!」
「無理です、無理です」とメイドは泣きじゃくった。
「SはサービスのSではありませんぞ!サンキューのSです!ありがとうございますの感謝の気持ちがよおおおおおお!足んねえんだよなああああああああああ!」
メイドは泣き出した。司令は「泣きたいのはこっちですよ女王様あああ!ご褒美まだでございますかねええ!」といきり立った。店内は地獄のような空気になった。
「ご褒美ないんですね!?じゃあ僕帰ります!期待外れのクソ店でした!」
先生はタネが入ったボウルを窓に投げた。窓ガラスがガシャンと割れて、ボウルは外に飛んでいった。全員が先生を見た。狼の皮を被った羊の中に、ティラノサウルスが一匹だけ混じっていた。
人の目玉を躊躇なく突ける美少女は、その氷のような瞳で司令を見据えた。
「取ってきなさい」
サンキュー司令は歓喜で全身を震わせた。
「……はいぃっ!よろこんでぇぇぇぇ!」
「キッモ……」
「あああああ!そうでした!この豚めが何を人間の振りをしていたのでしょう!元の姿に戻らせてもらってもよろしいでしょうか!」
先生は無視して顔を背けた。
「ありがとうございます!ありがとうございます!」
司令はいそいそと服を脱ぎ始めた。メイドは悲鳴を上げた。彼は腹の出た体をロープで亀甲縛りにしていた。司令はブヒブヒ鳴きながら、四つんばいになって出て行った。
客とスタッフは腰を抜かして動けなくなった。士官は頭を抱えた。メイドはまだ泣きじゃくっていた。涙を拭うアシュリーに、先生は優しくウィンクした。アシュリーは泣きながら微笑んで、それから時計を見た。
時間は夕方六時。窓から差し込む日が、いつの間にかオレンジ色に変わっていた。




