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諸君、狂いたまえ   作者: カイザーソゼ
第3章 アボルダージュ
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3-9-D

 D 第3章 痛快ウキウキ通り


 一隻の蒸気船が瀬戸内海を進んでいた。鎖国時代にこの海を訪れた中国人は、「日本にも立派な川がある」と驚いたという。大陸の川にも負けない、風光明媚な美しい海だった。陽光煌く穏やかな海と、生命力溢れる青い島々を、今、イギリス人達がうっとりした表情で眺めていた。

 蒸気船はイギリス船籍だった。船上にはシルクハットの紳士や、羽帽子の淑女が立っていた。船員もイギリス人で、船内の食事は一ミリだって美味しくないフィッシュ&チップスだった。

 先生は大名家のお姫様風のピンクの振袖を着て、銀髪をリボンカチューシャで飾って、船べりに座り、優しい顔で海を眺めていた。温い風が船上を吹き抜けて、銀色の髪先が小さく揺れた。

 ポニーテールの秋水は若武者らしい袴を履いて、腰に刀を差していた。表情は優れなかった。この海は美しさよりも、懐かしさを感じさせた。今、大陸はどうなっているのだろう。ため息を付くと、隣に立っていた坊やが、彼の頭をポンポンと叩いた。

 蒸気船は神戸港に入港した。外国人は東洋の神秘的な帝国に降り立った。

 チョンマゲにフンドシの小柄な港湾労働者が、テキパキと港で働いていた。背は高くても百六十後半。全身ムキムキで、ふくらはぎはカマキリの卵のようだった。刺青を入れている者が多く、フンドシは白いが、体はカラフルだった。外国人は目を見張った。

 大きい人間は鈍く、小さい人間は力が弱い。人間のサイズ的に、百六十後半がパワーとスピードを両立させられる限界だという。兵隊に仕立てたら、間違いなく強い人種だ。実際、欧州最強のロシア軍は一日二十キロ移動すると恐れられていたが、この国の軍隊は一日二十五キロ移動した。

 港で使役されている馬は小型、獰猛だった。この国の馬を初めて見たドイツ人は、「日本には馬に似た猛獣がいる」と驚いた。ヨーロッパの馬は去勢されているので大人しく、また交配も進んで馬格が向上していた。一方、長年鎖国を続けていたこの国には、去勢技術も交配の歴史もなかった。この国の馬は何にでも噛み付き、腹が立つとすぐに蹴ってきた。労働者も負けずに蹴り返した。外国人は震え上がった。

 港から見える建物は、どれも木と紙で出来ていた。ほとんどが二階建てだった。大きな家を建てるには、大量の木材が必要だ。(平地ばかりで十分な木材を用意出来ない)イギリスでは、成功者はチューダー様式の豪邸を建てる。これは合板ではなく天然の太い木材をふんだんに使い、かつ外から木の柱が見えるようにした建築様式である。アメリカでも、この木材を見せびらかすチューダー様式の豪邸は成功者のシンボルだった。が、(山林だらけの)この国の建物は全部チューダーだった。外国人は目を点にした。

 羽織袴の小柄な侍数名が、港で坊や達を待っていた。侍達は大声で挨拶した。


「島津大隈守(薩摩藩主)家来!猿渡民部と申ーす!御家老、小松帯刀様の指図により、お方々を海軍操練所までご案内いたし申ーす!」

「同じく大隈守家来!伊地知大学と申ーす!」

「同じく大隈守家来!川上弾正と申ーす!」

「肥州浪人!赤池信吾と申ーす!」

「予州浪人!河野国忠と申ーす!」


 伊織は挨拶した後、彼ら薩摩藩士達に頼んだ。


「初めまして。栄岡公爵家の田村秋水と申します。元千代浜海軍総司令官、バリーネビル提督の紹介で、幕府軍艦奉行勝安房守様の知遇を得んと江戸に向かった所、安房守様がこちらにいらっしゃると聞き、こうして改めて参上いたした次第です。早速ですが、安房守様の元に案内していただけますか。今後の事をすぐに相談したいのです」

「じゃっどん!勝先生は××××ごわす!××××××首に×××××××御家老様に後ば託され!××××××江戸××××××ごわす!」……


 何を言っているのか八割分からなかったが、要するに、提督が紹介してくれた幕府の役人とはすれ違いになったらしい。役人はここで海軍学校の校長を務めていたが、生徒が反幕府の内乱に関与したため、学校は閉鎖、役人は江戸で謹慎処分の見通しとなった。役人は友人の大国の大臣に、生徒や三人の事を頼んで江戸に出発した。とりあえず、今は役人の指示があるまで海軍学校に身を寄せて欲しい。そういう話だった。

 三人は侍達に前後左右を護衛されて、神戸の街を歩いた。街中に敵意が充満していた。誰からも睨まれ、無視された。「何しに来たん!?」「外人は出てけや!」と罵倒された。

 ヤクザ者の大集団が前の道を塞いでいた。彼らは何も言わずに、ただニヤニヤと笑っていた。薩摩の侍は全身に殺気をみなぎらせて、「無礼じゃ!どけ!」と怒鳴った。それだけでヤクザ者は圧倒されてしまい、ヘラヘラ笑いながら道を開けた。侍達は全身を刃に変えて、ヤクザの間を通り過ぎた。

 この街だけでなく、社会全体が荒んでいた。ついこの間、古くからの都で大きな内乱があったばかりだった。

 一般的に、独自の軍事権、徴税権を持つ行政組織は国と見なされる。この島国は大小三百近い国に分かれており、しかも彼らを統治する皇帝も東西に二人いた。欧米の植民地艦隊が目と鼻の先に迫っているにも関わらず、諸国は東の新しい皇帝を支持するグループと、西の古い皇帝を支持するグループに分かれて、激しい政治闘争を繰り広げていた。

 正直、不愉快な通りだった。しかし侍達はこの通りを行ったり来たりした。最初、道を間違えたのかと思った。それから、そういう意地悪をされているのかとも思った。しかし最後は、やっぱり道を間違えたのだと確信した。侍達は焦った表情で、「あれ?」「こっちじゃっど」「あれれ?」「伊地知さぁ、こっちじゃなかとよー」と言い合っていた。秋水が「道間違えました?」と尋ねると、侍達は逆切れして否定した。


「ほー!田村氏はおいが道案内一つ果たせんボンクラじゃと!そげんこつ仰るとですか!薩摩武士も甘う見られたもんじゃのう!」

「御家老様のお役目叶わぬ時は、我らいつでも腹切るつもりでごわす!どうぞ田村氏、我らを介錯してたもんせ!」

「見事に腹十文字掻っ捌いて、あっぱれもののふ薩摩の誇りよと、後世まで語り継がせましょうぞ!」


 日本最強と呼ばれる薩人マシーン軍団は、絶対にミスを認めなかった。秋水は心の中で呟いた。(もうヤダ薩摩面倒臭い……)

 先生は列から離れて、町人に道を聞きに行こうとした。侍が怒鳴った。


「あ、こら!そこのけしからん女子!勝手に列を離れるな!」

「そんな事言っても、このままじゃ永遠に着かないじゃない。何で人間の男って、人に道聞くの嫌がるかな」


 と言っても、先生が近寄ってくると、町人は警戒してサッといなくなってしまった。先生は辺りを見回した。

 商家の軒先で、もじゃもじゃ髪の青年が子供二人とチャンバラごっこしていた。子供に合わせて屈んでいるが、身長は百八十を越えていた。汚い袴姿で、刀も差していないが、この国の人間には珍しくブーツを履いていた。

 新撰組に成りきった子供達は、木の枝を振るってもじゃもじゃ男を攻撃した。


「新撰組局長、近藤勇である!不埒な浪士め!成敗成敗!」

「局長、こやつはこの沖田がやっつけ申す!食らえ!天然理心流奥義!三段突きー!」


 二人の必死の攻撃を、もじゃもじゃ男は木の枝二刀流で簡単に受け流した。微笑ましい光景だったが、青年の足捌き、体捌きは明らかに剣豪の動きだった。二人は大声を上げて同時に突進した。もじゃもじゃ男は二人を両脇に抱え込んで、メリーゴーランドのように回転した。子供達は放せ、放せと小さな手足をジタバタさせた。

 先生は彼らに近付いた。商家から母親が出てきて、「佐吉!元太!中にお入り!」と子供の手を引っ張って、中に引き入れようとした。子供が「もっと遊びたいー!」とせがんでも、母親は「いいから!」と頭ごなしに怒鳴るだけだった。子供は「母ちゃんが怒るからまたな!兄ちゃん!」「またなー!」と手を振って帰っていった。もじゃもじゃ男も大きな手を振って見送った。

 先生はもじゃもじゃ男に道を尋ねた。


「ねえ!私達、海軍操練所に行きたいの。あなた道分かる?」

「操練所なら、ワシもちっくと用事があるがです。ほなら、一緒に行くゆうのはどうですろうか?」


 そう言って、もじゃもじゃ男は先生達の方を向いた。不思議な感覚の青年だった。身なりは汚いのに美しく、品はないのに上品で、初めて会ったのに懐かしく、海のように優しく見えて、心中には猛々しい龍を宿していた。

 坊やは頷いた。が、護衛の侍達はもじゃもじゃ男を怪しんで怒鳴った。


「道案内なんていらん!大体何じゃお前!名ぁ名乗れ!どこの家中のもんじゃ!」

「浪人じゃろ!?どこの国のもんじゃ!長州だったら承知せんぞ!名乗れい!」


 恐ろしい侍達に詰め寄られても、青年は臆せず堂々と名乗った。


「坂本です!日本人、坂本龍馬です!」


 侍達は、たった一人の丸腰の日本人に気圧された。

 この国の伝説的名将は、「蟠龍起萬天」の文字を旗印に使っていた。大地にうずくまっていた龍が天空へと舞い上がる、というほどの意味だろうか。

 未だ地を這う龍との出会いが、少年を新たな戦場へと駆り立てていく事になる。が、それはまた別のお話、である。

(終わり)

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