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大河の河口付近に、今治城に似た美しい水城が建っていた。海水が引き込まれた三重の堀には、エイやサメが泳いでいた。本丸御殿の大広間に、亘理公爵以下、千代浜政府の主だった面々が集結していた。
煌びやかな五十畳の大部屋だった。一段高い上座に、亘理伯爵が衣冠束帯姿で座っていた。部屋の左側に、主だった参与が黒のモーニング姿で座っていた。バリィさん似のゆるパパもこちらにいた。右側に譜代家臣が裃姿で、軍首脳部が軍服姿で座っていた。服も考えもバラバラな集団だった。
譜代筆頭が、ご執政と呼ばれる桶谷である。小柄でシワシワの猿顔老人で、チンパンジーのミイラみたいな男だった。伯爵はお飾りの「そうせい侯」に過ぎないため、このチンパンミイラが実質的に千代浜を仕切っていた。
軍幹部の中にもう一人の娘、テリーアーバインが座っていた。
日本人形のような清楚な美女だった。嫉妬と陰謀の城の中にいても透明感を失わない、清廉な容姿。男社会で一人孤独に戦う、清潔感のあるストレートボブの黒髪。周りからの愛を拒絶して生き続ける、長身でスレンダーな身体。ナポレオンジャケットの赤い軍服を着ている。美人は美人だが、女性らしい色気や潤いのない、鉱物のような美人JDだった。
廊下を歩く音が聞こえてきた。一同は頭を下げて使者を出迎えた。
立派な紫袈裟を着た大竹が入ってきた。彼は伯爵の対面に座り、それから書状を読み上げた。一同は頭を下げたままそれを聞いた。
「摂政殿下(王子)からの要求をお伝えします。
一つ。千代浜伯爵位、並びに千代浜伯爵領の返還。一つ。千代浜分国法(憲法)の廃止。一つ。千代浜議会、伯爵軍の解体。一つ。府県制の施行。
回答期限は二日。蓮沼の艦隊司令部に、伯爵自らが出向いて回答する事。四つの内一つでも拒否した場合、あるいは二日以内に回答がない場合、瑞亀十三年九月九日午前〇時を以って、千代浜市内に対する無差別艦砲射撃を開始する。以上です」
一同は顔を上げた。王子の艦隊が千代浜を守るためでなく、滅ぼすために来たなんて。彼らの顔は恐怖で青くなったり、怒りで赤くなったりしていた。
茶坊主が恭しく三方(木の台)を運んできて、大竹と伯爵の間に置いた。黒い液体入りの一升瓶が載っていた。
「これは私的なお願いです。先王陛下をご生害し奉った謀反人の子が千代浜に向かっています。奴が逃げ込んで来たら、速やかに逮捕して引き渡していただきたい。もし殺した場合は、本人と証明出来るものを付けて、塩漬けの首と共に送っていただきたい」
執政は大竹に尋ねた。
「忠義を示せば、結城から我々を守ってくださるのですね?申し訳ありませんが、その旨、書面に残していただきたい」
「桃太郎が鬼ヶ島の鬼を保護しますか?あの野郎は雉に目玉突かせるわ、滅茶苦茶やりよりますよ。窮鼠猫を噛むと言いますが、奴も恐ろしい鬼の力を使います。討伐隊にはこの神酒を飲ませてください。追い詰められたドブ鼠を訳なく殺処分出来るでしょう」
ゆるパパが話に入ってきた。
「お怒りはごもっともです。我々はこの期に及んでなお陰謀を弄び、事態を更に悪化させ続けている。速やかに排除すべし。殿下がそうお考えになるのは当然の事」
「そこまでは言いませんよ。心の中ではそう思っていますが。何だその恰好、政府の中バラバラじゃねーか、とか」
「我々はどうなっても構いません。ですが市民の保護。これだけは確約していただきたいのです。それとも市民まで排除なさいますか?」
城外から大きな声がした。城に押し寄せた独立派の市民数千人が、大竹に対して一斉に怒りの声を上げた。
「バカ息子の手下は千代浜から出て行け!」
「余所者はさっさと西陽(王都)に帰れー!」
「千代浜の事は千代浜人が決める!いつまでも主人ヅラしてんじゃねえぞ!」
熱狂的な「帰れ」「帰れ」コールが大広間まで聞こえてきた。ゆるパパは遠回しに取引を申し出た。
「これが千代浜市民です。腐敗した議会の抜本的な改革は必要でしょう。ですが廃止にまで及べば、この荒れ狂う力を誰も止められなくなります」
「良い返事を待っています」と大竹は交渉を一方的に切り上げて立ち上がった。出て行く彼を、ゆるパパは「話だけでも聞いていただけませんか?それともお逃げになりますか」と呼び止めた。市民の帰れコールを聞きながら、大竹はゆっくりと振り返った。
「皆さんお金持ちで、野良仕事した事ないから知らないでしょう。昔、敵の死体をバラバラにして、肥溜めに捨てた事があります。春になって畑に撒いたら何も育ちませんでした。呪いじゃないですよ。栄養が良すぎたんですね。
これ以上逆らうなら、お前ら全員の死体とクソばらまいて、ここを百年何も生えない土地にしてやるからな?」
大竹が去ると、大広間で喧々諤々の議論が始まった。議会と譜代は互いに「家柄だけの無能」「金だけの成り上がり」と罵り合い、「こうなったのは誰それのせい」と責任を擦り付け合った。大の大人が髪を引っ張り、胸倉を掴み合う大喧嘩を繰り広げる中、こうさせた張本人のゆるパパは、一人でこっそり大広間を出て行った。
「上院参与」と後ろから女性が呼びかけた。ゆるパパはビクリとして振り返った。娘のテリーだった。「何だお前か~」とパパは胸を撫で下ろした。
「どこに行かれるのです?」
「うん、ちょっとね。お客様を待たせているんだよ」
「そうですか。なら私も行きます」
「いや駄目駄目駄目!何いきなり!パパ離れしようよ!」
「この城内でまだ余裕の表情を見せているのは上院参与だけです。最高の交渉カードを隠し持っているという顔。ドブ鼠を匿っていますね?」
テリーは睨み、ゆるパパは顔を反らした。「今すぐ差し出します」とテリー。
「待って待って待って!ああ確かに匿ってるよ!でも~、もう出て行ったんじゃないかな~?人が大勢いる所にはいないね、うん。郊外の納屋とか?水車小屋とか?そういう所にいるんじゃないかなあ?」
「分かりました。三休橋筋の綿業会館ですね」
「違うってええええええええええええええ!」




