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佑民の本拠地栄岡は、堀とコンクリ壁に守られた、五稜郭似の城塞都市だった。城外は肥沃な穀倉地帯だったが、作物は全て収穫されていた。
星型の壁は厚く高く、武器食料は十年分蓄えられていた。街路樹は火に強い樫、建物は無骨なコンクリ造りだった。街の中心部には江戸城のような巨城が鎮座していた。しかし守備兵は五百人程度。市民は難を恐れて家に篭もっていた。
偽江戸城本丸御殿の一室に、佑民と家臣団が籠っていた。コンクリ打ち放しの室内に、安いテーブルを並べただけの殺風景な部屋だったが、最新式の電信設備が備えられていた。
部屋の壁に、公爵領の地図が張り出されていた。地図上で、味方は白、敵は赤に色分けされていた。味方は北の一部だけ、敵はそれ以外の全てだった。佑民は怒りの表情で報復を指示した。
「鈴木の両親兄弟は蛇責め。鈴木の子供は犬に食わせ、その犬を妻に食わせろ。家は燃やし、墓は暴き、田畑には塩を撒け。一族は全資産を没収して鬼怒川に沈めろ」
家臣団は恐れるばかりで一切反論しなかった。頼みの秋水は蟄居処分を受けてこの場にいなかった。
伝令兵が駆け込んできて、佑民に手紙を渡した。佑民は中身も見ずに、「謀反人に味方する狂人は国内にはいないようだな」と手紙を机に叩き付けた。家臣団はその音でビクリと震えた。
「今夜中に栄岡を放棄して虎御前城に篭もる。現地補給出来ないように、市内の物資は全て持ち出す。バカ息子はこの戦をさっさと終わらせたいだろう。外国と同盟を結んで、泥沼の長期戦に引きずり込んでやる」
佑民軍は市内を回って食料を買い上げた。支払いには子供銀行券のようなチープな藩札、「栄岡通宝」が使われた。持てるだけの食料、弾薬、貴金属が列車に運び込まれた。
夜、佑民は田村家の菩提寺「白蓮寺」を訪ねた。杮葺の簡素なお寺だった。墓場に二代俊春から祖父佑豊の代までの供養塔が築かれていて、その近くに、秋水が蟄居する草庵風のお堂が建っていた。お堂の門や戸は閉ざされていた。
佑民はお堂の庭の沓脱石に腰かけて、夜空に浮かぶ月を眺めた。
「父は外国を嫌っていた。仕事があるから外では洋服だったが、家では着物で。そういう父を奴は憎んでたんだな。心から欧米を崇める男でなければ許さなかったんだ」
列車で運び切れない物資は駅前広場に集められて、そこで燃やされた。食料や貨幣の山が瞬く間に燃え上がり、夜空を赤く染めた。
遠く離れた寺からも、広場の巨大な炎は確認出来た。
「今夜栄岡を発つ。父がお前をどこぞで拾って来てから、俺はお前を弟として扱ってきた。お前も俺達を家族と見ていると思っていたが。お前が仇討ちに反対した事を残念に思う」
秋水はお堂の暗い廊下に正座していた。色白の彼は白無地の浴衣を着て、長い黒髪を下ろしていた。声変わり前の少年特有の、まだ男でも女でもない、硬い蕾のような体だった。秋水はお堂の中から答えた。
「今戦っても、市民を無駄に苦しませるだけです。降伏してください」
「栄岡の人間なら、父のため喜んで苦しむだろう」
「頭を下げる事は恥ではありません。領民を守る事は領主の最大の喜び。人々のため、親の仇に頭を下げる。その姿勢はきっと多くの仲間を生むでしょう。これは将来確実に仇を討つための策です。今はどうか耐えてください」
「お前は冷静だな。冷たいな。こんな時にも未来を見据えている。俺は駄目だよ。もう家族の事しか思えない」
「僕だって、家族に死んで欲しくないから止めてるんです」
「俺の後はお前が家を継げ。何があっても家を守って、いつか俺達の無念を晴らせ」