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ぼくと姉さんと夜の森

 「のう、ジタン。のうのう、ジタン」

 

 うっそうと茂る木々の間から、木漏れ日が落ちてくる。 

 

 「……なに、姉さん?」

 ぼくは姉さんの方を振り向くこともせずに、そう聞いた。

 声は幾分疲れ気味だ。でも、それも仕方ないと思う。

 

 「べつになんでもないのじゃ! 呼んだだけなのじゃ」

 ぼくの沈む思いとは裏腹に、陽気な声で姉さんはそう言った。

 

 ―――これでもう何度目だろう。

 

 お屋敷を出てからこっち、姉さんはぼくのことを頻繁に呼んでいた。

 

 ―――まあ、その理由ははっきりしているんだけど……。

 

 「うれしいのう。まさかジタンと二人で旅をする機会が再びやってこようとはっ!」

 そうなのだ。

 ぼくと姉さんはいま、二人だけで旅をしている。

 旅というには大げさな一週間程度の小旅行だ。すでに出発して二日目になる。


 「これはジズに感謝すべきなのじゃろうなぁ」

 

 しみじみとそんなことを姉さんは言っていた。ちなみにこの台詞ももう何度も聞いた。

 

 「姉さん。もう少し静かにしないと……。せっかく街道を外れてきてるんだから、少しでも見つからないようにしないと」

 と、ぼくは遠回しに黙ってほしいと訴える。

 姉さんの気分に水を差すようで申し訳ないのだが、正直、姉さんほどに身体能力の高くないぼくは姉さんのペースについていくので精一杯なのだ。

 ただでさえ足場の悪い山道なのだ。これからのことも考えるとできるだけ、体力は温存しておきたかった。


 「分かっておる。ヴォルドとハイドに見つかるなどマヌケな真似はせぬよ」


 引き締まった顔でそう言う姉さんの尻尾はぶんぶんと振られていた。嬉しいけれど、非常に心配な気分にぼくはなっていた。

 ぼくらの目的を果たすためには、決してヴォルドとハイドの人たちに悟られるわけにはいかないのだ。

 

 「ところで、ジタン。妾たちはいったいどこに向かっておるのじゃ?」

 「ね、姉さん……。お嬢さまのお話をきいてなかったの?」


 ぼくは急に痛み出したこめかみを押さえながら、なんとかそれだけを口にした。

 

 「聞いてはおったが、ジズの奴は話が下手じゃからな。何を言っていたのか、一向分からんかったわ」

 

 ―――それはお嬢さまの話が下手なのではなくて、姉さんが理解しようとしなかったからでは?

 そうは思ったが、口に出すことはしなかった。

 

 代わりに

 「そろそろ野営の準備でもしようか」

 と言うにとどまった。

 クラウゼヴィッツ男爵領、つまりお嬢さまの領土から西へ行くとひとつの山脈がある。ダーロウと呼ばれるその山脈は、西の少数の部族が豊かな土地を求めてアクト王国へと侵攻することを防ぐ天然の砦だ。

 ぼくと姉さんはいまそのうちのひとつアズ山の中腹あたりにいる。岩ばかりのダーロウ山脈のなかでは、もっとも豊かな植生を誇るアズ山を越えた先にぼくらの探している一族がいるらしいのだ。

 

 「おーい、ジタン。いま帰ったのじゃ」

 

 自分よりも一回りは大きい猪の魔物――ボアを抱えて、姉さんが戻って来る。

 

 「おかえり、姉さん」 

 

 血抜きをしたボアを姉さんから受け取り、代わりに歩きながら集めて置いたクコの実を渡す。

 クコの実は水分の多い果物だ。旅の最中では、水分を得られるものとして重宝されている。しゃくしゃくとクコの実を食べ終えると、

 

 「妾疲れたからちょっと横になるのじゃ」

 

 言って、姉さんは焚火の近くで丸くなった。

 

 「うん、分かった」

 

 ―――ああ、懐かしいな。

 

 答えながら、そんなことを思った。

 幼いころは、これが日常だった。幼いぼくのために姉さんが食料を集め、ぼくがそれを調理する。

 幼いころのことでよく思い出すのは、姉さんの背中だ。ぼくは弱くて泣き虫で、いつも姉さんの後ろをちょこちょことついていくしかできなかった。

 姉さんだって、悲しく、寂しかったはずなのだ。でも、姉さんはぼくの前では決して弱音を吐くことはなかった。

 世界で二人だけだった。昔の話だ。

 姉さんはそのころからぼくを励まし続けてくれた。幼いぼくが人間を恨まずに済んだのは、お嬢さまのお陰もあるけれど、姉さんのお陰でもあるのだ。

 

 「ありがとう。姉さん」

 

 聞こえただろうぼくの言葉に、姉さんは答えなかった。

 ただ尾が一度だけ大きく地面を叩いただけだった。

 「――――っ」

 「姉さん?」

 「声がするのじゃ」

 

 ボアの肉を食べてから、ぐっすり寝ていた姉さんは起き上がるなりそう言った。

 耳を澄ませば、確かに人の声が聞こえた。数人の男の声と少女の悲鳴だ。

 

 「こっちじゃ」

 

 言って、姉さんが声のする方へと駆けだした。

 

 「ちょっ、まって。姉さん」

 

 呼びかけるけれど、もう遅い。姉さんの白い影が夜の森へと消えた。

 焚火へ急いで砂をかけ、荷物を持って姉さんを追った。

 夜の森を疾走する。

 姉さんの匂いは覚えているから、迷うことなどありはしない。

 ただ、姉さんが抑えきれないで最悪の事態になってしまうことだけが恐ろしかった。

 

 「くそっ! なんだお前はっ!!」

 「下郎に名乗る名などないわっ!」

 

 すこし開けた場所で、三人の男を前に姉さんが啖呵を切っていた。

 姉さんの後ろには一人の少女が小さくなっていて、三人の男の内の一人は姉さんにやられたのだろう。鳩尾あたりを抑えてうずくまっていた。

 

 ―――ああ、間に合わなかった……。

 

 「姉さんっ!」

 「おおっ、ジタン。遅かったのう。先にやっておるぞ」

 「遅かったじゃないよ……。どうするのさ? ぼくらは見つかってはいけなかったんだよ……」

 『また増えやがった』、『くそっ』

 

 なんて言い合う男たちをしり目に、ぼくは姉さんの方へと向かう。

 

 「そうじゃった……。どうしようジタン?」

 

 ぼくらの今回の目的は、ヴォルドやハイドに見つからずに山を越えることだ。

 だから、たとえ誰でもあっても見つかることは好ましくない。

 でも、と思う。

 姉さんの後ろで震えている少女を見れば、乱暴寸前だったのだろう。衣服のところどころは破れ、土なんかでも汚れている。

 いくら目的のためとはいえ、襲われている人を見捨てるなど、決してお嬢さまは許さないだろう。それに、ぼくもそういうのは嫌だった。

 綺麗言だと人は言うだろう。甘いということも分かっている。

 でも、ぼくはお嬢さまの従者だ。だから、ぼくがあの高潔なお嬢さまを汚すことなど許されない。

 だから、これでいいのだ。

 

 「大丈夫。姉さんは間違っていないよ」

 

 ぼくが言うと、姉さんはあからさまに安堵したようだ。

 でも、お嬢さまはこうも言っていた。

 

 『敵には容赦をするな』

 

 「逃がすと大変だから、絶対に逃がさないでね、姉さん」

 「了解なのじゃ」

 

 ぼくの言う意味が分かっただろう。にんまりと姉さんはうなづいた。

 姉さんの相手をする三人がすこし気の毒だった。

 

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