ぼくと失敗
◇
「端的に言って、警告にきたのじゃ」
来訪の目的を改めて問いただすと、出された茶菓子を口いっぱいに放り込みながら、クローゼ姉さんはそう言った。口の周りには載せに載せたクリームがたっぷりとついている。
「警告?」
ご自身も食後のお茶を飲みながら、お嬢さまは反芻した。
「うむ、警告じゃ」
「警告ってなんのです?」
ぼくは思わず口を挟んでしまった。現在の当家にクローゼ姉さんから警告されることなどないと思ったからだ。
「勘のいいジズのことじゃから、妾とジタンが連絡を取り合っているのは知っていたのじゃろう?」
「ああ、おかげさまでいろいろと助かっている」
「うむ、苦しゅうない。なんなら、おかわりをもらってやってもよいぞ」
まだ食べ足りないのか。口の周りを拭きながら、クローゼ姉さんはそう言った。
「これ以上はだめだよ。食べすぎは体に毒なんだから」
「ジタンはいけずじゃのう……」
「姉さんのことを心配しているからだよ」
「そうかっ! なら、仕方ないのじゃっ!」
ぼくの言葉にクローゼ姉さんがぱあっと顔を上げる。ぼくが心配したからだろうか、姉さんは嬉しそうだ。先ほどまでしゅんとしていたのに、本当にころころと表情がよく変わる人だった。
「警告というのは、もしかして叔父上のことか?」
ぼくらのやりとりを眺めていたお嬢さまはそう唐突に切り出した。
「なんじゃ、気づいておったか。面白くないのう」
「叔父上というと、ヴォルドさまですか?」
ぼくがそう言うと、クローゼ姉さんが犬歯をむき出しにして、つよく反応した。
「あのようなやつに様など不要じゃっ! 薄汚い、ごみのような人間族めっ!
ラルドさまにクローネさまを見殺しにしておいて、あまつさえ領が良くなれば親戚として近づこうとする恥知らずなど、厚顔無恥も甚だしいっ!! 機会さえあれば、あのたるみきった喉笛をかき切ってやるものをっ!!!」
心の底から怒りをあらわにして、クローゼ姉さんが呻り声をあげた。
それだけでクローゼ姉さんが、ヴォルド男爵をどのように思っているかが分かる。
「クローゼ、あなた……」
ぼくらはお嬢さまのご両親に向けられるクローゼ姉さんの気持ちがうれしかった。ミルドさんなんかは、子どもの成長を見たように感動しているようだった。
でも、クローゼ姉さんにはそんな思いは伝わらなかったようだ。
「なんじゃ、みんなして気味の悪い笑顔を浮かべて……。はっ! もう食べたものは返せんのじゃぞっ!! 返せて言われても返せぬからなっ!」
「姉さん……」
そんながっかりなことを言い出す姉さんに、ぼくも思わずため息が出てしまう。
「はあ、ちょっと感動させられたと思ったら、これだからな。クロ坊はどこまで言ってもクロ坊だな」
グラントさんは安心したように、そう言っている。
―――たしかに、クローゼ姉さんらしいけど……。そこで安心するのは違うと思いますよ、グラントさん。
「な、なんじゃ、このがっかりしたような感じはっ! というか、グラントッ!! 妾をいつまでもそのような名で呼ぶなっ! 妾は淑女じゃぞっ!!」
なぜがっかりされたのか理解できないクローゼ姉さんが、声を荒げて抗議する。
「クローゼ」
「なんじゃ、妾は怒られるようなことなどしておらぬぞ」
お嬢さまに名前を呼ばれたクローゼ姉さんが、変わらず勘違いも甚だしい言葉を口にする。そんなクローゼ姉さんに、お嬢さまは優しく微笑んだ。
「ありがとう。きっと、父上も母上も喜んでいるはずだ」
「なっ! ……まあ、当然じゃな。妾に思われるなど、人間族にとってはかなりの名誉であるからな!!」
照れ隠しだろう。クローゼ姉さんはそう言って、そっぽを向いた。尻尾が今までにないくらい振れているので、きっとそういうことだ。
「しかし、ヴォルドか……。たしかに、あの欲深が最近の当家を見逃すはずはねぇよな」
グラントさんが、件のヴォルド男爵を思い出しているのか、思案顔で口にする。
ヴォルド男爵―――ポール・ヴォルドは、お嬢さまの父上ラルドさまの兄にあたる。ラルドさまに政争で負け、お隣のヴォルド領に入り婿というかたちで放逐された人だ。
ぼくがお屋敷に来た時にはもういなかったから、ぼくはそのひととなりをよく知らない。ぼくは幼く、そうしたことを知らされなかった。知っているのは、隣国の少数部族に攻め入られた際、対応にあたったラルドさまたちを見捨てたということだけだ。
もっとも、これも聞きかじりなので、ぼくには真偽のほどは分からない。でも、たったひとつだけわかっていることがある。それはお嬢さまがそのヴォルド男爵のために泣かされたということだ。
「具体的にはどうなのだ? 私に入ってきているのは関心という程度の話なのだが」
「そうじゃのう。いまは様子見といったところじゃろうのう。カラカンは来るときに見たが、食の品質や衛生観念なども向上し、大地も幸いに満ちていて、妾がいたころから比べると各段に生活が上がっておるのじゃ。あやつは、それを不思議に思っておる。その秘密を探って、あわよくば、小金を得るか、余分に上がった穀物や木材などの利権に一枚嚙ませろと準備しておるくらいかのう」
「なんだ、まだその程度か……。それならしばらくは大丈夫か」
グラントさんもミルドさんも、クローゼ姉さんの話に安心したようだ。
ぼくも安心した。様子見程度なら、まだいくらでも対応することはできるからだ。
でも、お嬢さまは違ったようだ。
「いや、まずいな」
「まずいですか?」
「ああ。でなければ、このタイミングでクローゼが来るわけがない。だろう?」
「そこまで気がついておると、なんだか苦労してきた意味がなさそうじゃのう」
緊迫した空気のなか、クローゼ姉さんはのんきにそんなことを言った。
「一体、どういうことだよ、お嬢」
「簡単だ。要はタイミングの問題だ」
タイミング。その言葉を聞いて、ぼくにも理解できた。
「あっ。……砂糖に、お酒ですか」
「そうだ。これから大々的に売ろうとしている砂糖と酒を、外へ出すためにはヴォルド男爵領かハイド男爵領を通らねばならない」
そうなのだ。お嬢さまの領地、クロウゼヴィッツ男爵領は、西側を少数民族の多く住む未開の土地に、東と南はそれぞれヴォルド男爵領とハイド男爵領に接している。これから砂糖と酒をどこに売りに出るにしても、どちらかの領を通らねばならないのだった。
「ヴォルドとハイドは姻戚関係にあるからのう。金を得るための手段はいろいろあるじゃろうが、おそらく」
「でも、断ることはできるのではっ」
「いや、無理だ。あの男だぞ? 断れば最後、ばか高い関税をかけ、その上で我が領の出荷物に粗悪品を混ぜたり、粗悪品を出荷して市場を混乱させるくらいはやるだろう。いや、もっと直接的に街道の封鎖などもやりそうだな」
焦って口を出すぼくを見て、お嬢さまは首を左右にふり、ぼくにとって最悪に近い予想を口にした。ぼくの予想以上に、ヴォルド男爵という人間は悪辣なようだった。
「そんな……」
「まあ、やるじゃろうな。あやつはそういう男じゃ」
ぼくの嘆きをよそに、お嬢さまの言葉はクローゼ姉さんによって肯定される。見れば、ミルドさんもグラントさんも姉さんの意見に賛成のようだった。
「忌々しいな。それでは利益どころではない」
「幸いなのは、広める前に気づけたことか……。しかし、八方ふさがりだね、こりゃ」
「いくら希少であろうと売れなければ意味はないはありませんからね。それに先行投資も結構しましたし、このままでも大変なことになってしまいます」
先行投資。ミルドさんの言ったその言葉を聞いて、ぼくは思わず息が詰まりそうだった。なにしろ、その多少無茶な先行投資をお嬢さまにさせたのは、ほかならないこのぼくなのだ。
領地のためと信じて進めたことが、いまは領地に新しい危機をもたらそうとしている。ぼくはどうしようもない焦りを覚えた。
「いや……」
そんなぼくの心情を知ってか知らずか、ためようにお嬢さまは口にする。
「お嬢さま?」
「おそらく、やつは気づいている。そうだろう?」
それは最悪の見立てだ。
ヴォルド男爵が、当家で行なおうとしている事業の内容を知っている等、最悪以外に言葉はない。
「えっ」
思わず、ぼくは驚愕の声をあげてしまった。
「残念ながら、気づいておるじゃろうな。金の匂いには敏感なハイエナ野郎じゃからな」
「そうか。まあ、私もうかつだった。苗に器具など、さまざま入れたからな。やつが気づかないと思うのは、あまりに楽観的にすぎたか」
お嬢さまも、クローゼ姉さんもぼくを横目に見ながら、そう口にする。それはヴォルド男爵が知っているということは確定的な事項として扱う口ぶりだ。
「ぼくのせいだったんでしょうか。もっとぼくが早くからそのことに気づいて、販路を切り開くことを優先していれば……」
いたたまれない思いで、ぼくは口にする。
―――なんて、愚かだったのだろう。
珍しい事柄は、人の注目を浴びやすい。そのことをもっと考えておくべきだったのだ。
「ジタンのせいではない」
「そうじゃ! ジタンが悪いわけではないのじゃっ!」
お嬢さまも、姉さんもそう言って、ぼくを慰めてくれた。
でも、ぼくには分かっている。
「でも、ぼくがもうすこし慎重であれば」
―――これは、ぼくの失敗だ。
「いずれは同じことになったはずだ。遅いか早いのか違いではある。それに、それを防ぐためにクローゼは戻ってきた。だろう?」
「そ、そうじゃ! そうじゃぞ、ジタン。姉さまに任せておくのじゃ。姉さまはそのために戻ってきたのじゃからなっ!!」
それでも、お嬢さまも姉さんも、ぼくの失敗ではないと言ってくれる。ぼくが見るからに落ち込んでいるからだろう。
「お嬢さま、クローゼ姉さま……」
―――ありがたい。
素直にぼくはそう思った。
そして、同時に情けないとも思った。お嬢さまの従者であるはずのぼくが、お嬢さまの役に立てず、あまつさえ慰められるなど、本当に情けない話だ。
だから、これは貸しだと思う。絶対に返さないといけない貸しだ。
「ありがとうございます」
ぼくは謝った。さっきまでの情けない態度ではない。
次は失敗しないという思いを込めて、ぼくは感謝の言葉を口にして謝ったのだ。
「ほれ、ジズ。はようこれを読むのじゃ」
ぼくの思いが二人にも伝わったのだろう。一度ぼくを見て笑った姉さんは、お嬢さまにそう言って一通の手紙を差し出した。
「手紙か。一体だれからだ……」
受け取り、宛名を見て、お嬢さまが絶句した。
「驚いたかの?」
してやったりという顔で、クローゼ姉さんがお嬢さまに言う。
お嬢さまがクローゼ姉さんに驚かされるなんて、珍しい光景だ。
興味をひかれたのだろう。
「どなたからのお手紙ですか?」
興味深そうにミルドさんが尋ねた。
「ジャッカス・ラッシュフォード男爵。ジルコールの神童からだ」
「おいおい、マジかよ、お嬢」
お嬢さまの出した名前にグラントさんが驚きを口にする。言葉にはできなかったが、ぼくも、そしてミルドさんも同様に驚いていた。
「噂に聞く神童の考えがどのようなものか……。興味深いな」
言って、封を空け、お嬢さまが手紙を読む。
中からは二枚の便せんが出てきただけだが、お嬢さまは無言で食い入るようにそれを読んでいた。ぼくらもつられて、そんなお嬢さまの様子を無言で凝視する。
「で、どうなんだよ、お嬢」
たっぷり五分ほど待って、焦れたグラントさんが尋ねる。だが、それに応えることなく、お嬢さまは一度天を仰いでから、クローゼ姉さんに声をかけた。
「クローゼ、ひとつ聞きたい」
「なんじゃ?」
「これを本当にジルコールの神童が考えたというのか?」
「そうじゃ。妾の知る限り、あやつ以外にそういうことを考える奴はおらんからな」
お嬢さまの質問の意図が分からなかったのだろう。若干疑問形でクローゼ姉さんは答えた。
――― 一体、何が書かれているというのだろう。
「そうか……。神童というより、化物の類だな。私は恐ろしいよ」
息を吐いて、重々しくお嬢さまが口にする。それは誉めているというよりも、純粋に恐怖を覚えているような感じだった。
「一体、なにが書いてあったって言うんだ?」
そんな様子のお嬢さまを見たことがないからだろう。そう疑問するグラントさんの言葉にも、どこか恐れているような色があった。
聞きたいが、聞くのが少し恐ろしい。そういう感覚だ。
その感覚はグラントさんだけではなく、ぼくにも、ミルドさんにもあった。
「お嬢さま」
「……すまないが、少し時間をくれ。実行に移すにせよ、移さないにせよ、考える時間が必要だ。三日の内には返答をしよう。それまでは、自由に滞在していてくれ」
ぼくの呼びかけに答えて、お嬢さまはそう言った。
その横顔は変わらず凛々しかったけれど、なにかを恐れている。そんな雰囲気だった。
―――それだけの内容だったのだろうか。
ぼくは思った。けれど、聞くことはできなかった。
「うむ、わかったのじゃ」
お嬢さまの言葉を受けて、クローゼ姉さんが首肯する。
その様子を、ぼくたちは黙って見ていた。見ていることしかできなかった。