プロローグ1
「暇だな………………」
「主よ、それは先程聞きました」
そこには男と女がいた。
男は、柔らかそうなイスに腰かけていた。顔の上半分を覆い尽くす長い髪の隙間から、鋭い眼光が覗く。
女は、そのイスの横に微動だにせずに直立していた。その端整な顔の表情をひとつも動かすことなく、喋る際、ただ口だけを動かしていた。
「いや、しかしなぁ。お前が世界を創り、神を創り、それを見るということを今まで何度やった?」
「生まれたときからですね。」
「私は回数を聞いているのだが」
「覚えているわけないでしょう」
男と女は、俗にいう『神』であった。
男は『無』を司る神であった。『何もない』という概念自体を司り、生物にとっての『死』の神。死神である。
女は『有』を司る神であった。『存在する』という概念自体を司り、全てにとっての『創造』の女神。創造神である。
「……だろうな。そもそもの話、私がいつ発生したのかもわからん…………」
まず、何もない空間に男神が生まれたのか、男神がいたから何もない空間が生まれたのかも定かではないのだ。そして、何もない空間に、男神が『存在』することで、女神が生まれた。
つまり、男神が先に存在し、女神はそのあとに発生したのは確定事項なのだが、その空間と男神がどちらが先かは、未だ分からないのであった。
そして、男神が発生した瞬間、因果がねじまがる。神は、『過去にも未来にも必ずいる』と決定付けられたのだ。それがなんなのかはいまでもわからないが、ともかく、この制約のおかげで、『発生するより前にもう発生している』という謎の事実が出来上がり、『未来にいることが確定している』ので、今現在、『神』と定義されているものは、格の大きさに関わらず死ねなくなっている。
(『死』を司るものが死ねないとはどういうことなのだろうか?)
つまり、『神』という存在は年齢がなく、現在進行形でn歳(n→∞)なのである。
「主よ。そんな考えても無駄なことは考えずに、もっと生産的なことを考えてはどうでしょうか」
「『無』を司る私が、何故に生産性のある事を考えねばならんのだ。いや…………」
「たとえば、今度はどんな世界を創ろうとか、そういうことを…………主?」
男神は女神の言葉を聞いていなかった。
そして、男神はいきなり立ち上がる。
「よし、決めた。しばらくここを頼む。」
「主よ。何を為さるつもりで………?」
男神は、なにかを目の前で触りながら、こう返答する。
「いやなに。少し堕ちてみようかと思ってな」
「なっ………っ!?」
女神はここで初めて表情を崩した。
『堕ちる』=下界に落ちる。つまり、女神が創った世界に転移、もしくは転生するということである。
いままで、男神の口からそんな言葉が出てきたことが一度もなかったので、女神は予想もしていなかった答えに困惑していた。
「い、いけませんっ!主よ!主の身に何かあったらどうするのですっ!」
「すまんが、もう決めたことだ。」
「し、しかし………」
「なに、人間の寿命などたった百年程度だ。すぐ戻ってくる。」
男神は、先程まで使っていたイスを消した。
「では、行ってくる」
「も、もうですか!?」
女は、先程までの態度が嘘だったかのように、表情をコロコロと変えている。
「うむ。一応伝えておくが、転生先はあまり危険の少ない地球の日本とやらにしておいた。まあ、人間の生とやらを楽しんでみるとする。では、ここは頼んだぞ。」
「あ………」
男神は、女神が何かをいう前に目の前から存在を消した。『天界』の何処にも気配はしないので、本当に堕ちたのだろう。
「あぁー………主本当に行っちゃったー………寂しいよぉ……………」
男神が存在をそこから消した後。
その空間には、男神がいなくなって、口調まで変わっている女神が残されていた。
「まあ、でも。日本なら大丈夫かな…………。よしっ。」
とりあえず女神は、任された天界を守りつつ、主である男神のことを上から見守ろうと決意した。
暇があれば主の様子を見守ろう、と。断じて覗きなどではない。これは、主を守るためだ、と。
そう言い訳をしながら。