第一話 微睡みから目覚めたら
『遠藤拳太』と言う人物を、見たまま、感じたままに答えるとするならば、『不良』の一言に尽きるだろう。
染めたと一発でわかるくすんだどこか小汚い金髪、不機嫌そうな目つきにボタンも締めずに学ランを羽織っている姿は典型的すぎて逆に珍しい。
しかも今、彼がいる学校は都心でも有数の超がつくエリート校、貴族のような白い制服がトレードマークの『聖桜田丘学園』なのだから黒の学ランはなおさら目立つ。
「…………」
しかし、そんな『俺を見てくれ!』と言わんばかりの格好をしているにも関わらず、彼は誰にも見られていない。
授業中であることもそうだが、今までそうなるように拳太自身振舞ってきたのだから当然と言える。
(まぁ、そうしなくてもこんなやつと進んで関わろうなんてヤツは滅多に居ねーだろうがな)
カツカツと鳴るチョークをBGM替わりに拳太はロクに授業も聞かないで懐から取り出した一枚の写真を見続ける、写真の端は丸くなっており、すっかり色褪せてしまった古い写真だ。
(……これでいいんだ、これがオレの望んだ日常)
写真を見るたびに、思い出、感傷、そして戒め、様々なモノが胸の内に溢れかえってくる。
それに身を任せて目を瞑り、拳太はしばらくついつい緩みそうになる自分の心をキツく締め付けようと、忌々しい過去を復唱する。
だからこそ、気付けなかったのだろうか
「…………?」
過去に聞いた音声だけが拳太の耳に入る中、不意に微かな耳鳴りが拳太の鼓膜を響かせてくる、最初は気づきすらしなかったが、次第に大きくなってくるそれに拭いきれない不快感に苛まれた拳太は周囲の状況を確認しようと目を開いた。
「なッ!?」
顔を下に向けていたため、目を開けた拳太には何が起こっていたのか、教室の中の誰よりも早く気づくことができた。
教室の床、灰色のタイルの中に曲線の白がひとりでに動き、混じっている、それも幾多もの夥しい数が引かれており、ひとつの円形――魔法陣を描いていた。
「なんだ、これは!?」
拳太はその唐突な光景に思わず大声を出して立ち上がり、彼の様子に怪訝な顔をしたクラスメイトたちだが、次に魔法陣が光り始めたことによって異常事態を察知する
「な、なんだこれ!?」
「ど、どうなってんだ!?」
「とにかく外へ!」
「だめだ、開かねぇ!」
地震でも火事でもない、未知の出来事に教室はパニック同然の様子を醸し、狼狽える者、呆然とする者、遮二無二にあれこれ行動する者に分かれており
「開かねーなら……」
拳太もまた、動き出すものの一人であった。
「ブチ抜くッ……!?」
窓ガラスに向かって助走をかけた渾身の拳をお見舞いする、通常であれば、これが何時も通りの日常であったのなら、窓ガラスは間違いなく砕け散っただろう
しかし、この時は何もかもが異常であり、それは窓ガラスも例外ではなかった。
「壁が、揺れて……ッ!?」
拳太が殴った瞬間、音もなく教室の壁全体が波紋を広げて行き、拳太の拳は生き物のようになった壁に飲まれ、慌てて引き抜こうと腕を引っ張るが、拳太の腕の形に固定されてしまったのか、びくともしない
「うぐあっ!?」
そして端から帰ってきた波紋に弾かれて拳太の体は呆気なく飛んでいき机やイスを巻き込んで床に激突する
「ぐ、ぐ…………」
教室を満たす光がどんどん強くなっていく中、拳太の意識は四肢の痺れと共に無へと落ち込んでいった――――。
◇
「……い、てて……」
どのくらいの間意識が落ちていたのだろうか、鈍痛と僅かな喧騒が意識に入り込み、拳太の意識は次第に浮上していく、まぶたの向こう側から差し込んでくる光に催促されて、拳太はその目を開いた。
「うう……ぐ……」
まるで長い眠りから覚めたかのように体は重く、視界がぼやけてあらゆる造形が上手く認識できない、吐き気はするが、それをどう処理すればいいのかもよく分からない、ともすれば今、動かしているこの体もまるで自分のものではないかのような錯覚さえする
そんな感覚が消え去り、自分の靴の形をはっきりと知覚するまでに、じつに数分間もの時間を体感した。
そこからさらに暫く、気分が収まるまで待ってそこで拳太は自分の周囲を見渡す。
「……どこだ、ここ」
拳太が倒れていた場所は、どうやら道端の影になっている裏路地のようなところだった。
レンガ造りの建物が所狭しと並び立ち、その壁を水道のパイプが伝っている、道の先の大通りに目を向けると、質素な服装に身を包み、野菜の入った籠を背負う青年、ボールを蹴って遊ぶ男の子、母親に手を引かれて歩く女の子、皆が皆、現代の日本では先ず見ないような格好をして歩いている
「まさに中世のヨーロッパって感じの場所だが……なんでこんなとこにいんだ? オレは」
返って来ないのを分かって、それでも出さずにいられなかった疑念
心当たりは、あの奇妙な魔方陣くらいしか思いつかなかったが、拳太は魔法使いでもなければ、その手のオカルトに特別人より詳しいわけではない、結局拳太の内の疑問が晴れやかになることは無かった。
「……とにかく、ずっとここにいても仕方ねー、どこか移動するか」
そこまで自問自答した後、拳太の背後から定期的に砂を擦る音――誰かの足音が迫る
拳太が振り返ってみると、そこには大通りの子供とは明らかに違う、一枚の布を繋ぎ合わせ、それをボロボロにした衣服を着た少女が両手にお椀を持って来ていた。
「あ……」
「な……!?」
その少女の姿に、拳太は思わず驚愕する、別に貧乏そうな格好をした少女にショックを受けたのではなく、もっと別で、単純明快な理由があったのだ。
齢10歳あたりだと思われる少女の頭頂部には、とても長い兎の耳が付いていた。
拳太の姿を見てピンと立てたことから、カチューシャなどの作り物では当然ない、動きも滑らかで機械による挙動でもないだろう
しばらく呆然と少女を見ていた拳太だったが、その少女は唐突に目に涙を浮かべると、一目散に拳太の元から走り去っていく
成人男性でも出せるかどうかの速度で颯爽と走り去る少女に、拳太は声を掛けることすら出来なかった。
「……まったく、ファンタジーまであるのか」
次々と移り変わる展開を前に、拳太が言えることなんてそれだけだった。