覗いた執着心
テレビという大画面で、イケメンが頬を赤らめている。
はにかんで笑う彼から吐き出されるのは、二次元だからこそ許されるキザであっまあまな言葉の数々。
それらにキャーキャー騒ぎながら画面を見つめていたら、ふいに隣からどさっと物が倒れる音がした。そちらに目を遣れば、死んだ目をした日向がハードを抱えて仰向けに倒れていた。
実は以前日向もゲームをやると言っていたのを思い出して、最近よく私の家に誘ってこうして一緒にゲームをしている。はじめは妙に緊張していた日向も、家での振る舞いを私は特に気にしないと理解したらしい。今では結構くつろいでいるようだ。
普段は格闘ゲームやらシューティングゲームやらで対戦・協力と割合一般的な遊び方をしているのだけど、今日は日向側から乙女ゲームをやってみたいとの願望があって、こうしてハードをケーブルでテレビに繋げて遊んでいた。
ドSやら見た目天使中身腹黒やらの中で一番マシそうだから、と選んだ攻略対象を現在進行形で攻略しているわけだが、彼の放つ甘い言葉で精神を削られていたらしい。
日向は倒れ込んだまま、ぶつぶつと呪いのようにツッコミを呟き始める。
「こいつ……こいつホントに何なの……涙が砂糖の味したら絶対ダメじゃん……好きな子だからって塩分打ち消すレベルの糖分感じるのは絶対危ないやつだよ……」
「そこはね、あくまで例えだから。まぁ涙が砂糖の味はこのゲームで初めて聞いたけど」
「例えでも酷いよ……世の中の女の子って、本当にこういうこと言われて嬉しいものなの?」
「画面の向こうでイケメンが言う分には、私は非常に嬉しい。現実で言われたら微塵も嬉しくないし興奮もしないけど」
三次元の時点でイケメンに興味が無いし。z軸ある男の人って、萌えないんだよね。
「えーっ、じゃあ、綾ちゃんはどんな言葉が嬉しいの?」
「それ聞いてどうするの」
「毎日言うよ!」
「わかった絶対答えない。……第一、既に君から毎日聞いてるよ。私が言われて嬉しい言葉というものは」
「えっ、どれ!? どの言葉!?」
がばっと起き上がって尋ねてくるのを放置して、さりげなく彼から奪った本体で会話を進める。
自分が言われて本当に嬉しい言葉なんて、そうひとに言えるもんじゃない。まして日向にだなんて、恥ずかしくて絶対に言えない。
「……はぁ、本当にかっこいい……」
「涙が砂糖の味でも?」
「うん、味覚障害患っててもかっこいい。というかアレだよ、この人は涙の味という特殊な形で現れただけで、好きな人の匂いは好きとか、その逆も結構よくある話らしいし」
「……あー、確かに。それはわかるかも」
納得したようにそう言ったかと思うと、急に後ろから日向に抱きすくめられた。驚いて肩を震わせた私を気にすることなく、日向は私の首筋に顔をうずめる。
「綾ちゃんは良い匂いがする。すっごく好き」
そうしてうっとりとした声で“その言葉”を言う。
あの日以来、日向は宣言通り毎日、その日初めて私に会った時に挨拶のようにそれを言っていた。当然、周囲に他の誰もいないことが条件ではあるけれど。案外日向はそういうのが得意なようで、今のところ他の人にバレている様子はない。今日も朝会った時に言われた。
でもそれだけじゃなくて、ふとした時に日向はこうやって、私に聞かせるためのものではない“好き”を零す。何かを望んで言葉を吐くのでなく、ただ感情を吐露するだけの、打算の一切ない綺麗な言葉。
前面に押し出された好意を嬉しいだなんて言って喜べるほど、私は素直な性格じゃない。せめてもう少し抑えてほしいと伝えようと身をよじって体を離したけれど、すぐに向けられた日向の目を見て、何も言えなくなった。
私自身への執着に、じわりと欲を滲ませた目。日向から時折向けられるその目は、持った熱を抑え込もうといつも微かな苦しさを含んでいる。
互いに言葉を発さずに見つめ合っていると、日向がほとんど吐息に近いような小さな声で、私の名前を呼んだ。寄せた眉根に苦しげな色を残したままゆっくりと目を閉じて、私の頬に静かに口付ける。数秒して名残惜し気に離れると、日向は肺から全ての空気を押し出すように長く息を吐いて、向かい合ったままの私を抱きしめた。
「……ねぇ、他の奴にこんなことさせないでよ」
「こんなこと?」
「こうやって綾ちゃんの家に入らせるとか、綾ちゃんに触れさせるとか」
「後者は実現がだいぶ難しいと思うよ」
「あー、じゃあせめて家には入れないで」
「どうして?」
「襲われるかもしれないでしょ!」
ちょっと怒った様子の日向に、思わず苦笑する。
ありがたいけど、さすがに心配しすぎじゃあないかな。
「ふふ、そういうことなら大丈夫だよ。一定以上信頼できる相手しか、家には呼ばないから」
「それでも危ないよ! もしかしたら猫被ってるだけかもしれないよ!」
「……夏草庶務」
目を合わせるためにまた少し体を離して上を向き、彼にもこちらを向かせる。
「心配は嬉しいけれど、大丈夫だよ。私は他人の感情には疎いが、執着心だけはわかる。友人達や君のように私自身に執着する人間が、私を殺そうとするはずないでしょう」
だから心配はいらない、と言ったのだけれど。
「……違う! そうじゃない! そういう意味の襲うじゃないよ!」
「え?」
「もう本当に! 本当に、綾ちゃんはどうしてそっち方面に極端に疎いの!?」
「えぇ……?」
「綾ちゃんは今まで誰かに押し倒されたこととかないの!? 壁に追い詰められて身動き取れない状態にされたりとか!」
「あるよ。大抵何かされそうになったから蹴り飛ばした」
特にそういった気配がない時は蹴ってない。身の自由を幾らか奪われた程度で無差別に相手を攻撃なんて、私はしないからね! ……気分にもよるけれど。
私の返答を聞いた日向は、あーだのうーだの言いながら複雑そうな表情を浮かべている。私の答えを、どう評するべきか考えているらしい、が。
「……相手を蹴り飛ばす時は、手加減してあげてください」
「既にしてるよ。仕事相手に使うのと同じものは食らわせてない」
「うん、絶対その方が良い」
そう言ってまた溜め息を吐いた。何でだ。
ふいに思い出して時計を見遣れば、日向が私の家に来てからかなりの時間が経っている。親御さんとかが気にするのではないだろうか。葵とかも心配しだしそう。
「夏草庶務、時間大丈夫?」
「……うわぁ、もうこんな時間?」
「まぁ乙女ゲームで個別ルートも終盤ってぐらいまで進めればねぇ。続きはまた今度にしよう」
「あ、続きはやる前提なんだ」
「当たり前だよ! 是非ともエンディングのスチルを見てほしい! かっこいいから!」
「えー……まぁするけど。……何で綾ちゃんも上着着てるの?」
「何でって、外は寒いじゃないか。さすがに家まで送る気はないが、ある程度までは送ろう」
「えっいいよ!? というか綾ちゃんがここまで一人で戻るの危ないからやめてほしいんだけど!?」
「そんなこと言ったって、愛しい人といる時間は、少しでも伸ばしたいものでしょう」
君が私といるのが嫌ならば玄関先で別れるけれど、と言えば、日向はぶんぶんと首を横に振った。人の嫌がることはする気ないし嫌ならやめようと思ったが、特に問題はなさそうだ。
忘れ物があってもまた学校で渡すなり次来た時に回収するなりすればいい、と簡単に確認するだけに留めて、日向と共に階段を降りる。降りきったところでたまたま扉が開いていたのか、ある部屋の奥にある物を見て、日向は、あ、と小さく声を上げる。
「綾ちゃん、ピアノ習ってるの?」
そう言って彼が指すのは、いくら丁寧に扱っているとはいえ、年月によりかつての艶を失った黒のグランドピアノ。周囲に横笛や箏、ハープなどの姿もあるその部屋は、昨日新しく譜面台を幾つか運び入れるために入り口を解放して、そのままだったのだろう。ピアノの手前には運ぶだけ運んで、まだ一度も使用していない譜面台たちが並んでいる。
見られて不愉快な部屋ではないけど、わざわざああも開け放っておいておくような部屋でもない。とりあえず片付けはまた今度として、扉を閉める。
「習ってはないね。個人で気が向いた時に触る程度さ」
「そうなの? 前に弾いてくれた時凄い上手だったから、習ってたのかと思った」
「前? あー……。まぁ他人に下手だと思われない程度には練習しているからね」
「好きだから?」
「まさか」
玄関で靴を履きながら、答える。
「より人に好かれる点を増やすためさ」
嫌々やっているワケじゃない、あの子達に触れていて楽しいと思う時は勿論ある。あの子達は私が手に入れたものだし、調律や手入れも自分でしている。あの子達を私にできうる最高の状態で保つために、ちゃんと方法も学んだ。そこまですれば、愛着か何かが湧く。
でも、あれは趣味じゃない。ピアノを代表として楽器類は、究めずともある一定程度上手いと言われるぐらいになれば、充分に人を惹きつけるものとなる。プロ並みではないとはいえ何種類もの楽器を弾けるとなれば、それだけで羨望の眼差しを向けてくる人もいる。
全ては、私に価値を作るために。
「……綾ちゃんはそういうことしなくても、人気だと思うけどなぁ」
「そうだと良いのだけどね」
そう話しながら家を出て、歩き出そうとした時だった。
何故か見事に三人揃っている友人達に遭遇したのは。
「……は?」
空とキャシーは驚いて目を見開く。そしてチカは、単純な驚きとは違う意味で目を見開いた。家から出てきた私達を見てどう判断したか、チカは一瞬で持っていた鞄から何かを取り出し、構える。
チカ御手製の鞘にしまわれているせいですぐには分からなかったが、それは包丁だ。サイズ感、形状からして肉を断つのに使えそうなやつ。今は鞘のおかげで即刻アウトではないけれど、充分銃刀法違反で連れて行かれそうなやつ。
「主、隣におる人は、誰?」
チカは、言葉通り日向の名前だの何だのを聞きたいのではないだろう。実際、夏祭りの時に会っている。通常の人なら忘れる期間だったとしても、チカの記憶力ならば、ただの有象無象ではなく私が知っている人、それもゲームでは攻略対象だった日向を忘れるはずがない。
おそらくチカが知りたいのは、私が家に招き入れる程の人物との関係性、私の中での日向の立ち位置だ。
「それは主にとって、どれぐらい大事な人なん?」
普段のテンションの高く弾んだ声とは違う、鋭く低い声。チカの左手はいつでも抜けるようにと鞘に添えられており、こちらを見る目は、自分が持つそれをただの冗談で出したわけではないのだと告げていた。
「あぁ、大丈夫やで主。今こっちには正当な理由がある」
「……どんな理由?」
「こっちは今包丁屋に行った帰りや。家を出た時間は勿論、買うた時間も店出た時間も覚えとるし何よりレシートをまだ捨ててへん」
「確かにそれを持ち歩くには正当な理由だね、でも決してその子を人に向けていい理由じゃないよそれ。見られて面倒なことになる前に一度しまいなさいな」
「……主が言うんなら」
私を見て幾らかは柔らかい目になって、素直に包丁を鞄にしまう。これが空あたりなら不満そうな顔をしただろうが、チカにそういった様子はない。……いや、空もこんな感じか? 友人達はよほどのことがない限り私の意思を最優先してくれるからなぁ。
それでも私の指示に従うという面では、チカは一番素直にというか、当然のように動く。その呼び方からも窺えるように、チカにとって私は主人だ。それも、チカが望んで仕える相手。
誰かに仕え、尽くすことは前世でチカに刷り込まれた行為で、その主従関係を壊されないように守ることもチカにとっては大事なことなのだ。
「夏草庶務のことは今話すと長いから、今度また説明しよう。……ただ、今までもこれからも、君達以上に大切にする人は作らないし、作れないよ」
その言葉で、安心したらしい。チカはさっきの、私への執着を顕にした目が嘘だったように、にまっと笑う。
「そっか、よかった!」
「本当に急にガチになるのはやめろ、あたしもひやっとしたから」
「でもウチらに何も言わんと家に呼んどるし、ある意味浮気現場見る以上のショック受けた」
「……綾ちゃん、僕は許されたの……?」
「あー、うん」
震えた声の日向は、ほんの少しだが顔を青くさせている。あくまで執着される側の日向は、奪われたくないものを奪おうとする者への敵意というものを、受けたことがなかったのだろう。ましてチカは……もしかすれば私達は、そのためならば“排除”も厭わない。
未知の敵意は、彼を恐怖させたらしかった。
「でも綾が家に呼ぶぐらいだろ? だったら……その人が綾を好きなことを知ってて、信じてるんだよな? なのに、『恋人』じゃあねぇのか?」
「うん」
「……ま、まだ! まだだから! 卒業式の日に恋人になります!」
「えっ、あぁ、そうなのか?」
「はい!」
「……キャシー、何か結構な拗らせ方してへん?」
「……あややが純粋に信じるとは思えへんから、何かしら歪んだ形にはなると思ったけど、想像以上に変なことになってる」
「やんなぁ」
チカとキャシーが小声で会話している内容が、地味に心に刺さる。そりゃあ簡単には信じられませんでしたとも。だいぶおかしい形に帰着しましたとも。
とりあえず日向に三人を紹介し直す。チカが落ち着いたとはいえ、このまますぐに帰してもらえる様子ではない。いや、三人には説明する予定だったよ? だから明後日彼女らと会う約束をしていて、その時に言おうとしていた。……即伝えずに一ヵ月以上過ごしたことは反省している。一ヵ月以上どころか、もう二ヵ月超えた気がしなくもない。
でも、伝えてすぐに日向が私に飽きたら、と思ったら、まるで気が向かなかったのだ。
うん、だから仕方ない。
「とりあえずあーちゃんは、何で真っ先に説明してくれんかったんか、明後日ちゃんと教えてな」
チカはそう言って、にっこりと笑う。
あぁ~これは長いやつだぁ。




