エピローグ。~柳瀬 諒視点~
風紀へのおつかいも済ませて、そろそろ会議も終わっているだろう生徒会室へ向かう。
会議なんていっても、結構最近に行われ始めた、生徒会と風紀、ファンクラブのまとめ役との顔合わせみたいなものだけど。
生徒会からは会長と副会長、それから仲介役?として乙さん。風紀からは椿が出るはずだけど、見事に風邪をひいて参加できなかったから、会議を開きましたよっていうプリントを、ついさっき届けに行ってきた。
生徒会室が見えてきたところで、入り口のドアが開いた。そこから、乙さんよりも少し身長が高そうな女の子が出てきた。彼女は俺の姿を認めると、軽く頭を下げる。
「こんにちは」
好意も敵意も感じさせない、無機質な声。真顔とはまた違う、まるで生気のない彼女の表情が崩れるのを、俺はほとんど見たことがない。他の人達とは違って俺を前にしても何の反応一つ見せない彼女は、本当に俺のファンクラブのまとめ役なのだろうか、と顔を合わせる度に不思議に思う。
「······こんにちは。会議、終わったの」
「ええ、まぁ。御影先輩は、もうお帰りになりましたし。他の方々はまだ話していらっしゃるようですが、一応は終わっています」
「御影先輩?」
「椿さんのファンクラブのまとめ役の方です。自由な方ですから、『眠い』とおっしゃって。······あ、私、邪魔でしたか?」
「ううん、別に」
礼儀正しい性格なのか、それとも俺とは親しくない故か。クラスメイトだというのに、彼女は俺に敬語を使う。ただ、それは俺だけではなく、クラスは違うものの、同じ学年である椿にも敬語であることを考えると、恐らく彼女の性格が大きいのだろう。
俺の返答を聞くと、彼女は何かを確認するように周囲をゆっくりと見回した。そして再びこちらを向いて、何の感情も読み取れない声で言った。
「······お付き合い、おめでとうございます」
「······は?」
「柳瀬さんが綾様に好意を向けていらしたのは知っておりましたが······まさか、綾様もそうだったとは」
「ちょっと、待って。何で、知ってるの」
年下である乙さんに対しての『綾様』という呼び名に違和感を感じつつ、俺は聞き返した。
乙さんは『友人達』以外には教えていないと言っていたはず······俺もそんな、わざわざ教える相手がいないから、教えてないし。
「以前、綾様の魅力を理解できない愚かな男が、綾様を貶した時、貴方が珍しく怒鳴っていらっしゃいましたから。その時、柳瀬さんが綾様に想いを寄せているのだと気付きました」
綾様ばかり見ていて、綾様に群がる他の方々を全く見ていなかったから、気付かなかったのでしょうね。
平然とそう続ける彼女に、俺と同じだ、なんて感じながらも、他の気付いた原因を喋り続ける彼女を遮る。
「そっちじゃ、なくて。俺と、乙さんが······付き合ってる、こと」
「ああ······柳瀬さんが、綾様を見る目が変わったので」
「え」
「欲しそうな目から、愛おしそうな目に変わりました。綾様の方に、あまり変化は見られませんが······とりあえず、お付き合いできたのでしたら、おめでとうございます、と言った方が良いと思いまして」
言葉とは裏腹に、冷たい声と、変わらない表情。その意図を読むことができず、俺は自分より少し身長の高い彼女に、黙って目を向けた。それに何を思ったのか、彼女はこちらを馬鹿にするように口角を片側だけ、微かに上げる。
「ご安心ください、いじめだとかは、致しませんよ。綾様にも、貴方にも」
「······俺?」
いつの間にかまた無表情になっていた彼女は、先程周囲を見回した時と同じように、ゆっくりと頷きながら答えた。
「ええ。私や、一部の方は、貴方達ではなく······」
友情とは違う、きっと、口に出すべきではないのであろう想いを、一対の瞳に宿らせる。それ以上を語るつもりはないようで、彼女は続きを言う事はなく、ほんの少しだけ顔を歪めて、言った。
「······私は、貴方が羨ましい」
あまりにも唐突な言葉に、俺は目を見開いた。それを見てか、さらに彼女は顔を歪ませる。彼女は決して俺を好いていないのだと、顕著に分かるほどに。
元から静かだった廊下が、一層静かに感じる。外のせいで薄暗い廊下の中、生徒会室の灯りに照らされて、珍しく感情の表れた彼女の表情が、よく見える。
「瞳の色が稀というだけで興味を持ってもらえる貴方が、ひどく羨ましい。興味どころか、好意まで持たれた貴方が、どうしようもなく羨ましい。私は綾様と親しくなるために、綾様に近付くために、必死に動いて、利用価値があることを示して······そうしてようやく、今の場所を手に入れたのに」
ずるい。
そう訴えかける彼女の目は、黒とも茶ともいえる、ありふれた色で。······ずっと昔の俺が、羨んだ色で。
俺が彼女に何かを返す前に、彼女の後ろの扉が開いた。
「わ、びっくりした~」
女の子にしては低めで落ち着いた、けれどそれとはまた違うところで浮世離れした美しさを感じさせる、不思議な声。瞳と同じで一度聞けば忘れられないその声は、姿を見ずとも、誰のものか一瞬で分かる。
「あ、柳瀬書記。お帰りなさい。······お話の邪魔しちゃいましたか?」
こちらに気付いたらしい乙さんは、いつものように微笑んだ後、不安そうに、軽く首を傾げた。
「ううん、大丈夫」
「丁度終わったところですから」
「良かった~」
「······会議、終わったなら、一緒に帰ろ」
「良いですねぇ、柳瀬書記は、もうお仕事全部終わってますか」
「うん、藤崎先生にも、風紀に届けたら、帰っていいって、言われてる」
「じゃあ、鞄取りに行きましょ」
乙さんは部屋の中に向かってさようなら、と言ってこちらに来る。そして乙さんが、無表情で立っている彼女にもさようなら、と言うと、彼女は乙さんに向かって、静かな、優しい声で言った。
「······綾様、お慕い申し上げております」
彼女の想いの全てが込められた言葉。元より他人の感情に疎いと言っていた乙さんが、その真意に気付くことはなく。
「ふふ、私も大好きです!」
それでも、乙さんの言葉に、彼女はぎこちない、けれど嬉しそうな笑みを返した。
想いが通じなくても、笑いかけてもらえるだけで幸せだというように。
心臓のあたりで、一瞬、嫌な何かが生まれる。
同じ『乙さんを好きな人』でも、今乙さんの恋人である俺よりも、好かれるべく努力して、実力で乙さんの近くにいる彼女の方が、『相応しい』気がして。
行こう、と俺は乙さんを急かした。
一緒に歩いていると、乙さんの知名度?に、いつも驚かされる。
こんな時間だから人とはあまりすれ違わないけど、すれ違う人のほとんどが、乙さんを見て、何かしらの反応を示す。声を掛けようとした人もいたけれど、乙さんはまるで気付いていなかったし、隣に俺がいたからか、わざわざ声を掛けてくる人はいなかった。
先に乙さんの教室に行って彼女の鞄を取ってから、俺の教室に向かう。俺が教室に入ってぽつぽつと机の上に置かれている鞄の中から、自分の鞄を取った時、廊下から彼女の声が聞こえてきた。
「あ、野見山くん」
廊下は静かだからか、彼女の声も、それに応える男の声も、はっきりと聞こえる。仲が良いようで、彼女の声は明るい。顔は広くても、決して仲が良い人が多いのではない彼女にしては珍しい······といったら語弊があるけど。
まとめ役の彼女と別れる直前のような、嫌な感情が湧きあがって、ぐるぐると渦巻く。
俺はドアを開けて、乙さんに声をかけた。
乙さんの目の前に立つ、黒縁の眼鏡をかけて、左耳にイヤリングをつけた男と、目が合った。男は少し目を見開いた後、俺のことを知っていたのか、軽く頭を下げて、じゃあ、と去っていった。
乙さんは「また明日」と手をひらひらさせる。
クラスメイト、なのかな。
たかだかクラスメイトに嫉妬するなんて、馬鹿みたいだし、普段ならここまで過剰に反応はしないんだけど。
······さっきのことで、気が立っていたのかもしれない。
「わっ」
俺はやや強引に彼女の手を掴んで、教室の中に引っ張り込み、そのまま逃げられないように、彼女の両手首を壁に押し付ける。······乙さんなら、逃げようと思えば簡単に逃げられるんだけど。彼女は軽く目を見開いただけで、特に抵抗したり、逃げようとしたりする様子はない。
二人で向かい合った状態で、無言で見つめ合う。俺から何か言うべきなのだろうけれど、何と言えばいいのかが、分からない。しばらくして、先に口を開いたのは彼女の方だった。
「······やっぱり、綺麗」
吐息と共に小さな声で彼女は呟いた。何を、と思ったが、彼女の目線で察する。
「乙さん、この状況で、瞳の事、考えてるの」
「あら」
声に出したつもりはなかったようで、彼女はちょっと驚いたように声を漏らした。それに呆れると同時に、ふと、不安になる。
乙さんは本当に、俺を好きなのだろうか。彼女が好きなのは、俺の瞳だけではないのだろうか。
『私は、貴方が羨ましい』
あの人の言葉が、甦る。
『瞳の色が稀というだけで興味を持ってもらえる貴方が、ひどく羨ましい』
普段なら、とても嬉しいこと。ずっと昔は大嫌いだったこの瞳は、彼女と関わる機会をくれる。
でも、あの言葉のせいで、今は喜べない。
たまたま、この辺りでは見かけない色だっただけ。それが理由で乙さんは、俺に興味を持ってくれた。
あの人は、逆だ。たまたま、この辺りでよく見かける色だったから、乙さんに、無条件で興味を持ってもらえなかったのだろう。
もしも俺の瞳が、アンバーじゃなければ、乙さんは興味を失ってしまうのではないだろうか。
「······ねぇ、乙さん」
「はい」
「もし俺が、アンバーの瞳じゃ、なかったら······」
そこまで聞いて理解したのか、彼女は不服そうな顔をした。何を思ったのか、右の手を大きく動かすことなく俺の手から外して、こちらにその手をのばす。
彼女の動きをただ目で追っていると、少し冷たい彼女の右手が、頬に添えられた。細長い指が、俺の目尻を、ついっとなぞる。
「······昔からそうだったら、出会いから何からが変わりますから、さすがに断定はできませんけど。今貴方の瞳がありふれた色になったところで、貴方のことが好きなのは変わりませんよ、絶対に」
ふわり、と彼女は微笑んだ。彼女の目が、優しく細められる。それは彼女が『友人達』に向ける、計算など一切混じっていない笑みで。
さっきまで心の中で渦巻いてた嫌な感情も不安も、嘘みたいに消えて、ただただ彼女への愛しさが残る。
彼女の左手首を押さえていた手を上にずらして、指を絡める。きゅ、と軽く力を込めると、彼女は数秒俺をじっと見つめた後、くすくすと笑って、目を閉じた。
「好き」
一言だけ呟いて、数秒間唇を重ねてから、離れた。彼女が瞼を上げるのに合わせて、どこまでも飲み込まれてしまいそうな、澄んだ深緑の瞳が徐々に現れ、俺だけを映す。
いつもなら真っ直ぐにこちらを見るその瞳が、一瞬ゆらりと揺れた。
「今日、何かあったんですか」
不思議そうに言った彼女に、隠すべきかと思ったけれど。
何となく、話したい気分だった。
「······乙さんを、好きな人が、いて。いや、その人だけ、じゃなくて、君を好きな人が、いっぱいいるのは、知ってた、けど。······その人に、言われたんだ」
生まれ持った瞳の色が珍しいというだけで、興味を持ってもらえるなんて、ずるいと。
「実際その人は、君に好かれようと、動いてて。······ほら、俺なんて、今年乙さんが、生徒会に入ったから、話せたんだし。俺よりも、努力した人は、他にいっぱい、いるだろうから······怖く、なったんだ」
ゆっくりと話す俺を、乙さんは急かすことなく、じっと聞いてくれる。だから俺も、時折言葉につっかえながらも、話し終えた。
乙さんはいまいち実感が湧かないのか、んー、と短く唸って。
「······まぁ、どれだけの人が私を好いてくれたとしても、私が好きなのは諒くんだけですから、何とも、ね。うん、関係のない話ですよ」
そう、すっぱりと言い切った。
······好きなのは俺だけとか、急な名前呼びとか、もう、色々と嬉しすぎる。
彼女の手を引いて強く抱きしめると、彼女は楽しそうにからからと笑った。
「あのね、諒くん。私、諒くんみたいに、好きなところをぱっとたくさん挙げ連ねることは、できないけれど、好きって気持ちは、諒くんにも負けませんからね」
子供のように無邪気な声で言うのもまた、愛しくて。
俺はまた、彼女の唇にキスを落とした。




