左手
昨日と同じように、生徒会室でパソコンと向かい合う。とはいえ普段の仕事も、半ば趣味の、ファンクラブメンバーやらのリストアップも、既に終わっている。
······出し物でもみてまわるかな。
「乙さん、どうしたの」
パソコンを閉じると、柳瀬さんが顔をあげてこちらを見た。
「言われた仕事ほとんど片付いて暇なんで、外回ってこようかと」
「······俺も一緒に、行っていい? 俺も仕事、大体終わっちゃった、から」
「じゃあ一緒に行きましょー。桐生会長、ちょっと遊びに行ってきまーす」
「お、おう······」
「え、ちょっと待って! 僕も行きたい!」
「おい日向、お前生徒会室に来てから仕事ろくにやってねぇだろ! 昨日みたいにサボったら今日こそ聖に殺されるぞ!?」
「でもやなりんばっかずるいよ、昨日も綾ちゃんと行ってたし!」
「諒はちゃんと仕事してるだろうが!」
会長と日向の言い合いを背に、外に出る。
日向は昨日、これまで溜めに溜めた仕事から逃げ出し、今朝副会長からお説教をくらっていた。ついでに会長も怒られていた。
私が生徒会室に行った頃には既に始まってたから、どれだけ長いこと説教されていたのかは分からないが、とりあえず副会長、物凄い形相だった。あれは怖い。
「乙さん、どこか行きたいところ、ある?」
「んー、暇だから外に出ましたけど、見たいところは昨日全部回ったので」
「俺も。······じゃあ、適当にぶらぶらしようか」
行こう、と彼は言うと、右手をこちらに少し動かした後、一瞬躊躇ってから戻した。そして私から目を逸らす。
何がしたかったのだろう。聞こうかと思ったけれど、面倒だからやめた。
······好きな人のことは何でも知りたいとよくいうが、私はあまりそう思わない。いや、滅茶苦茶気になるときもあるけども。こう、誕生日だとか、好きな食べ物だとかは、『情報』として手に入れることはあっても、別に相手が好きだから、なんて理由ではないし。
さっきも言ったように、面倒だからね。知ったところで、その情報を覚えるつもりもないし。
何というか、本当に私は、人に好かれるような性格じゃないよねぇ。良く言えばドライ、悪く言えば無関心。たとえ好きな人であったとしても、結局のところそこまで関心がない。
こんなの言ってたら駄目なんだろうけどね。
「······そういえば、今日、椿が、元気なかった」
「え、椿先輩に会ったんですか?」
「うん、教室出るときに、たまたま。凄く、どんより、してた。······椿のこと、探してたの?」
「あーいえ、そういうワケでは。今朝会ってちょっと話したんですけど、その途中で、私、何かまずいこと言っちゃったらしく······」
それで察したのか、何を話してたの、と聞かれる。
「その、恋人ができた、みたいなことを」
答えると同時に、一瞬だけ思い出した。私は彼の、どこが好きなのかという疑問。
必要のない事だから、すぐに忘れたけれど。
「それで、椿が……?」
「椿先輩、そんなに私がリア充になったのが嫌だったんでしょうか……」
「違うと、思う。椿の性格的に」
「ですよねぇ」
「それに椿は、片想いしてる子が、いるって、言ってた気がする」
「えっ」
柳瀬さんの口から出てきた衝撃発言に、私は勢いよく彼を見た。それに反して彼はあまり興味がない様子で、気がする程度だけど、と付け足した。……あれ、この人意外と他人に無関心……いや、この話題がどうでもいいのかな。色恋沙汰は興味ない、みたいな。
しかしまぁ、椿先輩に好きな人がいたのか。まるで気付かなかった。私他人の感情にひどく疎いから、当然のことなんだけどさ。ファンクラブの纏め役からも情報は来てないし、気付かなかったのか?
まぁ椿先輩、女性には優しいからなぁ。ファンクラブにさえ、優しいし。色んな人と仲良くしてるんだろうな。
「……椿のこと、気にしてるの」
「気にしてる、といいますか。そんな重要な情報を、私が手にしていなかったのか、と」
どこか不満そうな目で、柳瀬さんがこちらを見た。それに気付かずに首を傾げて答えると、彼は少し、目を見開いて。
「……ふふ、何それ」
表情を、和らげた。安堵が混じる、声。
「? どうしたんですか」
「ううん……乙さんが、椿の好きな人に、反応した、から」
それから先は言いづらそうにして、彼は前を向いた。その頬は、僅かに朱く染まっている。
「……嫉妬した、だけ」
ひどく小さな、掠れ気味の声。
彼の言葉を理解するために、数瞬要してから、私も彼のように顔を朱くした。誤魔化すために、両手をぎゅっと握りしめる。
初恋というものをした頃から、元よりスキンシップが好きだからか、それとも愛の重さが突き抜けているせいか。私はときめくというものがほとんどなかった。嬉しいという感情はあっても、こんな風に、身体が反応することはほとんどなかった。だからきっと、私の想いが彼にバレることは、なかった。
それなのに、今。少しとはいえ、顔が、熱い。
空達が似たような感情を向けてくれた時とは違う感覚。あんな、溶けた金属を心臓に流すような、どこか苦しささえ覚えるような、仄暗い悦びじゃなくて。
ただ、ただ、心臓が煩い。
「嬉しいですねぇ」
まるで動揺していないような声を出す。ちゃんと、嬉しいという感情は乗せて。
頬に集まる熱はどうしようもないが、声や目、口元なら。それなりに繕える自分に感謝する。まぁ顔赤いから、見られたらバレるけれど。
隣を歩く彼に目を向けると、恥ずかしさが抜けきっていないのか、私から目を背けていた。
バレなくて良かった、なんて思いながら、ふと、彼がすぐそこにいることに気付く。
特別、何かを思ったわけじゃない。その行動は、相手がある程度親しい人であれば、性別すら問わずすることだったから。
強く握りしめたからか、いつもと違って微かに熱の灯る左手の先を、彼の方へと伸ばす。その光景が、さっきの彼の行動と、重なった。僅かにこちらに動かされた、彼の右手。
柳瀬さんも、手を繋ごうとしてくれたのだろうか、なんて思って、一瞬また心臓が煩くなったけれど。すぐ元に戻したのを思い出した。……まぁつまりは、そういうことなんだろう。
さっき伸ばした指を、緩く握りしめる。
いつものように、少し冷えていた。
他愛無い話をしながら、ゆっくりと歩く。私も柳瀬さんも出店には興味がないからか、自然と、出店のない、静かな方へと進んでいた。
「裏庭にも、結構人がいますねぇ」
窓裏庭を見下ろしながら言うと、彼は前に動かそうとしていた足を止め、窓の外に目を遣った。
普段は人気のない裏庭も、文化祭は園芸部の出し物として植物達が華やかに飾られ、ところどころに人がいる。大人数で会話を楽しんでいるというよりは、二人や三人程度で、雰囲気を楽しんでいるという感じだ。ちらほら恋人らしき男女もいる。
「裏庭、毎年綺麗だよね。……行く?」
「柳瀬書記が行きたければ。私はどちらでも」
「俺もどっちでも、良い」
「ん~、だったら、やめときましょう。私はもっと、柳瀬書記と二人でいたいです。裏庭はほら、こうやって上から見られる可能性がありますし。第一、周りに人がいますからねぇ」
からからと笑いながら本心を伝えると、彼は驚いたように目を見開いて、フイと目線を逸らした。
「……どうして、そんなこと、落ち着いて言えるの」
「ふふ、誤魔化すのが得意なだけですよ。……まぁ、言わないと伝わりませんし」
彼は裏庭に行っても行かなくても、どちらでも良いと言ったし。それ以前に、特別行きたいところはないと言っていたし。
だったら、ちょっとぐらい我儘を言ったって、問題ないと思ったんだ。
柳瀬書記はどうですか、と特段表情を崩すことなく尋ねる。
彼はしばらく黙りこくった後、絞り出すような声で、俺も、と言った。
「……俺も、乙さんと、いたい」
そこで、会話が途切れた。少しして、おそらく彼の方がどこかに座ろうと言ったから、近くの教室に勝手に入って、入り口から少し離れた椅子に座る。彼がドアの鍵をかけた時、カチャリという金属音が、掃除されて生活感のない教室に、柔らかく響いた。カーテン越しの日の光が彼の茶色い癖っ毛にあたって、普段よりも明るく、淡い色に見える。
「どうしたの」
「柳瀬書記の髪が、きらきらしてるなぁって」
「瞳じゃ、ないんだ」
「私だってそんな、目の色だけを見てるワケじゃあありませんよ~」
「ふふ……乙さんの髪も、凄く、きらきらしてて、綺麗。髪だけじゃなくて、瞳も」
野性的で、それでいて穏やかなその琥珀色の瞳を細めて、彼は優しく微笑んだ。まるで、愛しいものを見るかのように。ひどく、優しく。
再び会話は途切れたけれど、気まずさはなくて、むしろ心地良い。
こうやって彼と何も喋らずにいるときは、色々な……今ならば、彼の気持ちはいつまで続くかとか、私は彼に相応しいかとか。そういう嫌なことを、考えないでいられる。珍しい色の瞳を眺めているときのように、ただひたすらに、幸福を感じて、それに浸っていられる。
……この状況だって、私には充分すぎるもの。こんな私には勿体ない、素晴らしいもの。
無意識に、冷えた左手を握りしめる。
もっと彼に触れたいとは思う。元から、人と触れ合うのは好きだから。でも、彼がそれを望まないのなら、好きじゃあないのなら。彼の嫌うことを、してはいけない。こうやって隣にいて、たまに言葉を交わすだけで、きっとこれ以上望んじゃいけないぐらい、幸せなことなんだから。
左手から力を抜いて、深く考えるのを、やめた。
自分が好かれているという考えがすっぽ抜けてる乙ちゃんと、ある意味椿先輩と同じで乙ちゃん以外興味がない故に、気付かない諒くん。
しかしこの乙ちゃんを欺くとは……椿先輩の演技力ェ……
何だかんだ乙ちゃんは好きな人に尽くすタイプなのかなー。




