脆弱な腕
三人に連れて行かれたのは、少し離れた渡り廊下。今まで何度も連行されたことがあるが、こういう見通しの良い場所は、あまりない。
何をする気なのかなぁ。
ワクワクしながら三人を見遣ると、彼女らは窓際に置いてあった段ボールを、それぞれ一つずつ重たそうに抱え、こちらに向かってくる。
一体どうするのだろう。
「先輩」
「「これ、持ってくださぁ~い」」
「うわ」
腕の上に、乱雑に積まれる段ボール達。腕力がない私に、重いものを持たせるという嫌がらせか?
······何というか。
「つまんね」
腕に多大なる負荷をかけるという物理攻撃だけでなく、腕力のなさを自覚させることにより、コンプレックスを刺激するという精神攻撃。
······大げさに言ってみたけど、やっぱつまらないね。
酷い嫌がらせはできなかったから、こんなのになったんだろうけど、地味すぎるな。精々ここでぶっ倒れて頭打ってドバドバ血ぃ流したら、この子らどんな反応するんだろう、程度で。
副会長との約束があるのに、そんな事やってられない。
大きく溜め息を吐くと、二つ目の段ボールを抱えていた彼女らが、こちらを見た。
「期待してたのに」
彼女らが怪訝そうな顔をしたのを見て、私は手に持っている荷物をまとめて壁の方に投げる。
レディ達が、目を見開いた。彼女らでもこの段ボールを重そうに持ってたから、私が投げられるとは思わなかったんだろうね。
「は······? アンタは、腕力が超弱いって······」
「ああ、やっぱ知ってたうえでコレやったんだ? ふふ、情報を活用したことは褒めてあげる。私だったら、相手の方に、本がぎっしり詰まった本棚倒すとかするけどね?」
逃げられないように、複数の本棚を一気に倒したら、腕力のない相手は本棚を支えられずにそのまま押し潰されてくれるだろう。
「そんなの、相手が大怪我するかもしれないッスよ!?」
「やるんなら、相手の怪我なんて気にしちゃダメでしょ。段ボール持たせるって何? 嫌がらせの内にも入らないじゃない。何をやるか楽しみだったから、暴力使ってまで強引には逃げなかったのに」
そりゃあ、単純に引っ張り返すだけじゃ、三人相手には勝てない。
でもね? 逃げようと思えば、方法はいくらでもある。彼女らを怪我させてもいいならね。
「菊屋副会長との約束を破る程の価値は、なかったね」
「······どうして貴女は、僕との約束よりも、こんな人達を優先したんですかね?」
背後から聞こえた声に、身体が固まった。レディ達の顔が、盛大に引き攣っている。多分、私も似たような顔してるんだろうな。
私はぎこちない動きで振り返り、お美しい笑みを黒いオーラと共に向けてくる副会長に、にっこりと微笑んだ。
「あはは、楽しそうだったので。期待は外れちゃいましたけど」
「こういう面倒なことになるのは、分かってたでしょう?」
「好奇心が勝ちましたー」
「······まったく、貴女という人は······仕方ありませんね。······さて、そこの方々はどうしてこんな事を?」
副会長が、レディ達を冷たく見据える。三人は怯えているようだ。
そのうちの一人が、震えながらも声を出す。
「あ、あああ、あの······」
声が震えすぎて、何を言っているのか分からない。嫌がらせをする現場を見られた?んだから、当然なんだけど。
そうこうしている間に、文化祭の始まりを告げるチャイムが鳴ってしまった。
「菊屋副会長」
「どうしました?」
「早くお店回りに行きませんか? 問い詰めたところで、何をするでもありませんし」
「処分を受けてもらいますけど」
「いや、一応、未遂?ですし。むしろ私段ボール投げちゃいましたし」
「大丈夫です、乙さんは被害者ですから。あと、未遂とかは関係ありませんよ。その子達が貴女の腕を引っ張ってここに連れてきたのは、周りの人が目撃していましたから」
「ええー······。でも、このまま突っ立ってても、話が進むと思えませんし」
「······そういう」
うん?
「そういうところが、腹立つのッ」
中央の子が、ようやくまともにしゃべった。
大きな声ではないものの、人が通ったらまずいなぁ。
「『そういうところ』ってのは?」
「そのいつでも余裕ぶってる態度! 何で取り乱さないんスか!」
奥にいた短髪の子が怒鳴る。
『何で』と言われてもな。荷物持たされた程度で取り乱すとか、よっぽど精神が不安定なんじゃないか?
「どんでけ先輩の事調べても、弱味らしいもんは腕力のこと以外全然出てこない! 完璧すぎて、嫌になるんスよ!」
「それに、菊屋様の、こ、恋人だからって! ヘラヘラしながら、菊屋様の横にいないでください! 菊屋様が汚れるじゃないですか!」
え、恋人? ヘラヘラ······は事実だな。いや、だからって『汚れる』は、お姉さん傷付くぞー?
「······そんな理由ですか」
横から声が聞こえる。私はそちらに目を遣った。
「くだらない。彼女が隣にいるからといって、僕が汚れるワケがないでしょう」
「でも! そうだったとしても、そいつは調子に乗り過ぎなんスよ! 恋人ってだけで、菊屋様の時間を奪おうだなんて」
「いい加減にしなさい。誘ったのは僕の方です。それから、僕達は恋人ではありません。······乙さん、行きましょう。理由は聞きだしましたし、後で椿さんに連絡しましょう。人に見られたくありませんし」
「あはは、それもそうですね。······あ、そうだ。さっきさぁ、君、私を『完璧』って言ってたよね?」
間違いを正しておこうと、短髪の少女に満面の笑みを向ける。
「あれは違うよ。私は欠点だらけだ。専門的なことはまだ知らないことばかりだし、性格に関してはもう何も言えないぐらい酷いよ。今度私について調べるときは、その辺について聞きまわってみると、わんさか出てくるんじゃないかな」
まぁ調べられたところで、大したダメージにはならないけどね。
悔しそうな彼女らに手を振って、私は背を向けた。
遠くが騒がしい。
副会長にそれを告げて、少し足を止めてもらう。すぐさま音に集中して、場所を探る。
「後ろから。若干パニック? さっき通ったばっかのとこみたいです。あっちも私達を探してます。急いで戻りましょう」
「あ······はい」
微妙な反応。放心状態という程ではないけれど、なんというか、別の事を気にしている、みたいな。
朝にあのレディ達と別れてから、ずっとこんな感じだ。体調不良ではなさそうだし、私の言葉にちゃんと返すから、ぼーっとしてるワケでもない。
んー、今更、外に出たら視線が視線が集まるっての、思い出したのかな。それとも、私と動くのが嫌になったか? 後者じゃないと良いなー。私のガラスハートが、傷付いてしまう。
だから『どうしたんですか』とは聞かず、「大丈夫ですか」と言うだけだ。当然「大丈夫ですよ」なんて無難な答えしか返ってこない。
······そうやって、答える時は、ちゃんとこっちを見るのになぁ。
「あ、副会長、庶務さん! 良かった、探してたんだ!」
「何があったんですかー?」
「窓から猫が入ってきて······とりあえず、中に入れば分かるから!」
彼に急かされて、教室に入る。入ってきた猫は、一匹だけじゃないのかな。結構悲惨なことになってる。
「猫がやったのは、そこのテーブルクロスだけなんだけど、猫に驚いた人達が、色々やらかしちゃって」
ほとんど人が原因かよ。
「んー、いったん営業止めるしかないですね。客払いは住んでるみたいですし、その辺の紙に休業すること書いて、外に貼り付けておきましょう。ここは······喫茶店ですか。品物は大丈夫ですか?」
「あ、そっちに被害は出てないよ。箱の中に入ってる」
喫茶店とはいえ、何かを作って販売しているワケじゃない。衛生管理が面倒だからな。やってるのは、コンビニとかで売ってるものの転売。商品に傷がついてなければ、売るのは全く問題ない。
教室を見る限り、主な被害はテーブルクロスと椅子だね。雰囲気づくりのためか、椅子は折り畳み式のパイプ椅子を使っているようだ。布?部分が、悲しいことになっている。
「菊屋副会長、どうします? 商品は無事みたいですし、掃除したら午後の部からまた営業できそうな気もしますけど」
「そうですね。被害を受けたものは、家庭科室や体育館から借りられるものですし。ただ、猫アレルギーの人が来ても大丈夫なように、しっかり掃除する必要がありますが······」
「このまま最後まで店閉めたままってのもね。これから掃除して、午後の部から再開で構いませんか?」
「ねぇ、一回休業するのに、届け出とかはいらないの? 午後の部が始まる前にチェックとか······」
「届け出は私が出しときます。チェックはどうしますか?」
「藤崎先生にでも頼みましょう。あの人、暇でしょうしね」
「じゃあ、そういう事で。また何かあったら、生徒会室まで来てくださいね~」
「うん、ありがとう。ごめんね、お二人の邪魔しちゃって」
「いえ、これが僕達の仕事ですから。それでは」
そう言って、副会長が入り口のドアに手を掛ける。
「あ」
やめた方が良い、と告げる前に、副会長はドアを開けてしまった。完全に開けてから、こちらを見る。
でも、今見るべきはこっちじゃない。
「うお!?」
ちょうど向こうからドアを開けようとしていた人が、驚いて前のめりになった。彼の腕に山のように積まれているのは、借りてきたばかりらしいパイプ椅子。
それらが音をたててこちらに倒れてくるのを支えようとして、手を伸ばす。伸ばした手に負荷がかかって、ようやく気付いた。
私には無理だ。
今まで重いものでも、先に準備してたら持てたから、すっかり忘れてた。忘れてたというか、『私は腕力がない』と認識はしていたけど、こんな唐突な場面で利用することはほとんどなかったから、感覚が抜けてた。
昔みたいに、重いものを持つことはできない。昔の体より、この体で生きてきた時間の方が長いクセして、昔の感覚が残ってた。
とりあえず壁に手をついて、バランスをとる。腕力の代わりにか、脚力は昔とは比べ物にならないほど強い。そのおかげで、こけはしなかった。
「大丈夫ですか?」
「ごめん! どこか怪我してない?」
副会長と椅子を運んでた人、二人に同時に心配されて、激しい自己嫌悪に陥る。が、まぁ終わってしまったことだと割り切るしかない。
「大丈夫です。すみません、椅子、抑えきれませんでした」
「いえ。乙さんって、本当に腕力がないんですね」
グッサァァッ。
「うん、意外と力弱いねー。何でもできるんだと思ってたよ」
グサグサグサッ。
「······ははっ、そんな完璧だなんて。むしろ欠点だらけですよ」
ズタボロにされた心を抱きしめながら、ほんの少し引き攣った笑みを返す。散らばったままだったパイプ椅子を渡して、教室を出た。どうやらシフト外の人も集めているようで、私達の後に、何人かが教室に入っていった。
教室を離れてから、隣を歩く彼を見遣る。
「さっき、どこを打ったんですか?」
「え? 別に、どこも······」
動揺したのか、副会長が肩を震わせた。その拍子に柔らかそうな髪が揺れる。
「うわー、目のすぐ横ですか。危なかったですねぇ」
副会長の抵抗を無視して、強引にそこを外に晒した。左目の横あたりが少し赤くなってるんだけど、まぁ注意して見ないと気付かないレベルだし、問題ないかな。
私がパイプ椅子の件で······焦ってた時に、副会長の呻き声が聞こえた気がしたから、気になってたんだよねー。
「痛みますー?」
「いっ、いえ、もう痛くありません! 乙さんのおかげで、顔面直撃コースは免れましたし······」
「あはは、こっちにもっと腕力あったら、完全回避できたんですけどね~」
今朝レディ達に言われたような、ヘラヘラした笑みを浮かべる。今まで空やチカが腕力の無さを補ってくれてたけど······んー、やっぱり、弱点はないに越したことはない。また鍛えてみるかなぁ。理論上は、ちゃんと鍛えられるワケだし。
「あの」
「どうしましたー?」
「えっと······乙さんは、充分完璧な人だと、思います」
「······ん!?」
あまりにも唐突な話に、私は何事かと目を見開いた。副会長はそんな私に気付かない様子で、とつとつと話し出す。
······周囲の好奇の目に晒されることは、副会長も望まないだろう。こういうお祭りの最中は、割と人の動きは分かりやすい。店や通路の位置関係から、人通りの少ない場所は必ず出てくる。とりあえず、そこに誘導していこう。
「乙さんは、頭も良いですし、運動能力も高いですし、美人ですし、仕事も早いですし」
「あはは、そう言われるの、あまり好きじゃないんですよねぇ」
早速並べ立てられた言葉を遮る。
私の嫌悪感を伴った言葉に、照れ隠しではないと分かったようだ。
「いやまぁ、そう思われるように努力したのは確かですけどね。時々いるんですよ、勝手に期待して、勝手に失望して、なのに私が悪いみたいな視線を寄越してくる人が。それでこっちを嫌いになって離れていくのは、やめてほしいんですよねぇ」
別に私の能力を凄いと思うこと自体は構わない。『私=仕事が早い人』とか、そういう風には見てほしくないんだ。そんなもので好かれたくないし、嫌われたくもない。
「そんな人達なんかに嫌われたって、無視すればいいじゃないですか!」
「ふふ、どうでもいい人なら、構いませんよ。腹は立ちますけど。でも、どうでもよくない人が離れていくのは、無視できませんから。『色んなことができる人』じゃなくて、『変人』って思われてたら、期待されることも、失望されることもないでしょう?」
あのローブ、そういう意味もあったんですよ。
両手をひらひらさせながら言うと、副会長は呆れたような顔をした。
別に狐が好きなだけなら、わざわざあんなもの作らなくても、ストラップか何か付けりゃあ良いのさ。私はただ、説明しやすい理由が欲しかっただけ。
『能力より見た目の方を印象付ける』以外にもあれを着てた理由はあるけど、教える必要はない。
「そこまで私が気を回してるのに、近付いてくるのはいらない人ばっかりなんですよねぇ」
「『いらない』?」
「ええ。私でもすぐ仲良くなれるけど、私が『使える』ことに気付くと、徐々に期待し始めて失望する、もしくは」
言い切る直前で切って、角を曲がる。今朝例のレディ達に連れて来られたばかりのこの場所は、個人的にはあまり来たくなかった。でもまぁ、ここが一番近かったのだ。
「······もしくは?」
「もしくは、私がほんのちょっと本性を出したら離れていくような人。結局、私の屑さ加減を知りながら、損得勘定なしに仲良くしてくれるのは、初等部から一緒の人達ぐらいです」
初等部、それも低学年の頃は、隠すつもりがなかった。隠さなくても仲良くしてくれる子は多かったし。さすがに高学年になってからは隠したけど。
その頃から仲良くしてる人は、私の中身を受け入れてくれてはいる。だから、私が屑モードを発動しても、それで離れていくことはない。私は自分に好意的な人達には、被害を出さないようにするからね。
「いくら性格が悪いとはいえ、少しくらい私の性格を好いてくれる人がいても、おかしくないと思うんですけどねぇ」
ヘラヘラと笑って言うと、副会長は視線を彷徨わせた後、躊躇いつつ口を開く。
「あの、僕は、乙さんの性格が、好きです」
「······あはは、屑なところも?」
冗談っぽく言いながらも、自分で分かるほど冷たい声で返した。彼が最後に言った『好き』という言葉が、あまり軽いものに聞こえなかったから。
「はい、それも含めて」
すぐに答えが返ってきて、私は軽く目を見開いた。
ピュアが転じて若干ヘタレが入ってきてる副会長のことだから、言葉に詰まるだろうと思っていたのに。
「確かに乙さんは自分が楽しむために他人を迷わず犠牲にしますけど、大切な人には絶対被害が及ばないようにします。乙さんは、とても優しいです」
「それ、ギャップか何かでそう感じてるだけでしょう」
「中途半端に他人に親切にしている人よりも、一部の人にだけでも全力で思いやる人の方が、僕は優しいと思います」
「そんなに大事にしてる人でも、自分に好意を向けなくなったらすぐに優しくするのをやめますよー?」
「······ええ、乙さんは、残酷なところもありますよね」
「残酷じゃなくて、我儘とか理不尽とかの方が正しいですよー」
「いいえ、先に離れたのは相手の方ですから。貴女は強い人だから、離れていった相手に執着しなくていい、それだけです」
彼が真っ直ぐに私を見る。
「僕は、乙さんのそういうところが、好きです」
きっと副会長に、そんなつもりはなかっんだろう。でも、分かるんだ。彼の目の中にある好意が、どちらであるのか。はっきりと、分かってしまった。
心臓の周りが、一気に熱を持つ。ドキドキするなんて、可愛いものじゃない。
せっかく純粋で、真っ白で、綺麗なのに。私みたいな屑を好きになるなんて、本当に。
「······可哀想な人」
え、と副会長が聞き返してきたのを誤魔化すように、私は微笑んでみせた。
「ねぇ、菊屋副会長」




