空っぽにした箱
「んー······消すよ」
しばらく悩んで、答えを出した。
大丈夫か、と尋ねてくる友人達に、笑って返す。
「大丈夫だよ。やったこと、あるんだし。死にはしないさ。ああでも、消すのはチカの家に行ってからでいいかな? 最後に楽しませてよ」
「急かしたあたしらが言うのもアレだけど······消した翌日に人に会うのが辛かったら、明日でも構わねぇんだぞ?」
「大丈夫だってば。虚しくなるだけで、鬱になるワケじゃないんだから」
「······そうか。じゃあ、チカの家で待ってるから」
「うん、またね」
もう文化祭も、終わりが近い。できるだけ、早く会いたいな。
扉を閉める。
私は小さく息を吐いた。
多分、問題ない。今までどんな風に接してたか、しっかり覚えた。明日も、同じように話せる。前に消した時だって、誰も不審に思わなかったんだ。
「······やあ、乙くん。お疲れ様」
「あ、学園長。こんにちは」
声をかけられて顔を上げた。
······そういえば、学園長と結構親しいよな。仕事だけの付き合いってワケでもない。
「学園長。私達って友達ですか?」
「そうだね。立場を考えなければ、充分友達としての条件を満たしていると思うよ」
「ですよねぇ」
「急にどうしたんだい?」
「いやぁ、私、学園長に色々話してるよなぁと思いまして。ほら、友人達とか、『友達』の条件とか」
「たしかに、君も私のことを色々知っているね」
「そういうのって、友人達以外には、学園長だけなんですよ。昔からの付き合いだからですかね」
「おそらく、そうだろうね。そうだ、乙くんは、三日目に何か予定はあるかい?」
「三日目? パートナー適当に探して踊りまくる以外には、特に何もありません」
「なら、私と踊らないか?」
「え、学園長、体力あるんですか」
「これでも鍛えているからね。数曲なら付き合えると思うよ」
「本当ですか? そうと知ってたら、去年とか誘ってたのに······!」
去年に限らず、毎年毎年パートナーが足りなくて困っていたのだ。私は毎年、長い時間連続で踊ることが多いのだが、いまだ私と最初から最後まで踊れた人はいない。
だからパートナーをコロコロ変えるのだけど、そもそもパートナーになってくれそうな人がいなくて、結局満足できないまま教室に戻る、ということになるのだ。
「教師ならともかく、普段生徒と接する機会の少ない学園長が、生徒と踊ってたら目立つからね」
「ん? じゃあ、なんで今年は参加するんですか?」
「君が、普段よりも疲れているようだからね。気分を盛り上げてもらおうと思って」
「えーっ、別に大きい仕事はしてないんですけどねぇ」
特別疲れてはないのだけれど、と首を傾げる。
そんな私に、学園長は苦笑した。
「そういう意味ではないよ。君は、私や友人達と話すとき、騙すための演技をしないだろう? だから、分かるんだよ。疲れているという表現は相応しくないかもしれないが、君が辛そうなのは確かだ」
「辛そうですか」
「うん、なんとなく、泣きそうな顔をしているよ。いつもと変わってる部分は見つからないが、全体を見ると、何故か泣きそうに見える」
「本当ですか⁉ 恥ずかしい······」
「まぁ、大抵の人は気付けないだろうから、元気をだしてくれ。······それから、もう一つ。今の君には、あまり聞かせたくない話だが、久遠さん達が、君の従妹さんを連れて帰ってくれなかったようでね」
「ん~、学園長、あいつらの対処法ありませんか?」
「弱みを握るのが楽じゃないかな」
「諦めないでくださいよ~」
「はは、脅迫は君の得意分野だろう? じゃあ、私は執務室に戻るよ。まだ仕事が残っているんだ。君も、そろそろ教室に戻りなさい」
「はーい。さよなら~」
「さようなら」
軽く礼をして、教室へと向かった。
二日目があるから、物は片付けなくていいけど、掃除はしなきゃいけないんだよね。
さっさと掃除終わらせて、チカの家行って。で、この気持ちを消して、三人に慰めてもらおう!
ずっと昔に味わった感覚への恐怖を誤魔化すために、私は無理矢理笑みを浮かべた。
「チカ、ごめん、薄暗いとこはある?」
シャワーを借りた後、化粧道具を選んでいたチカに尋ねる。
何をするのか予想がついたようで、チカは和室に連れて行ってくれた。
「リモコンで明るさ調整できるから、好きな明るさにしてな」
「ありがとう」
「どんぐらい時間かかるん?」
「長くても二分あれば終わるよ」
「······終わったら、すぐ部屋来てな?」
「うん」
私が答えると、チカは私の髪を一束掬って口付けた後、部屋を出て行った。
彼女が扉を閉めると、瞬く間に室内は暗くなる。窓にかけられた簾から、僅かに光が漏れて、ものを見ることはできるぐらいだ。
薄暗い場所は、前世で義母に閉じ込められた時のことを思い出す。だから、嫌いだ。
でも、薄暗い場所はある意味、安心できる場所でもあった。
絶対に、誰も入ってこなかったから。
義母が私を閉じ込めたのは、私に『躾』をするため。『躾』の間は、義母は勿論、姉も、父も入ってこなかった。それを分かっていたから、私が前に感情を無理に消したのは、義母が私に『躾』を行っている間だった。
「······消えて、消えて、消えて、消えて、消えて······」
座り込んで、耳に手をあてて、外の音を拒絶する。そして、昔やった時のように、ひたすら同じ言葉を紡いだ。
言葉に、特に意味はない。ただ、心の中の、あの人への『想い』が入った箱から、『想い』を取り出すイメージを持てたら、それでいい。
箱の中に手を入れて、底を押す。体が冷えてきた気がする。
軽快な音をたてて、底が抜けた。目元だけが、異様に熱い。
中身がドバドバと出ていく。涙が零れた。
やがて、箱は空になった。
声を出すのをやめ、壁に凭れかかる。耳に手はあてたまま、目を閉じた。
終わった。
自覚した途端に、強い虚無感が襲ってきた。
なんだろうね、心臓を氷水につけているみたいとでも言いますか。それとも、心臓を表面だけ残して中をスッカスカにしたあと、冷風を入れる感じ? どっちでもいいや。
とにかく寒い。
寒さを紛らわすために、自分の体を抱きしめる。ここを出ればいいのかもしれないけど、それすら億劫だ。
今日はどのゲームをしようとか、誰に会おうかとかを考えることに、夢中になれたのに。今は、楽しいといえば楽しいのだけれど、満足できない。心が癒されない。
「······」
さっきまで、想いを寄せていた相手の顔を思い浮かべる。
おかしいな。恋愛感情を消しただけだから、理論上は、あの人を好きになる前の状態に戻るだけのはず。なのに、友情すら感じない。感情を消したあとは、一時的にこういう状態になるのかな。
「······大好き」
虚しくて虚しくて、少しでも紛らわせないだろうかと思って呟く。だけど、その言葉が形だけなのは、相変わらず空っぽの箱が示している。
あまりの虚しさに吐き気を覚えて、体を抱く力を強めた。
分かっている。こうなるのは想像できていたのに、誰かを好きになった私が悪い。それは、分かっている。そんなことは、嫌になるほど理解している。
だから、どうか。早くなくなってくれ。
ひどく寒くて、仕方がないんだ。
──────NORMAL END「当然の結末」
ノーマルエンド回収! 学園長こんだけ出しゃばってるのに、名前がないことに気付いた。「紹介」にも載ってないし。
まぁいっか。いつか載せるかもしれません。




