兄として?
楽しげな声が聞こえる。
その中に微かに混じり込む、誰かが泣いている声。
今日は、運が良い。
大勢の明るい声に掻き消されてしまった声を、探る。······ああ、見つけた。
目を開いて、傍らに置いていた地図に、声の位置を適当に記した。
そして再び目を閉じ、声を聞きとろうとする。
だが、何を言っているのかは分からない。
······これが、限界かな。
脳から力を抜き、椅子の背に身を預ける。同時に始まる、軽い頭痛。
この程度の集中だと、特定の音を聞き分けられたら良い方か。
早く夏休みが始まってくれたら、もっと実験できるんだけどな。
「綾ちゃん、お疲れ。······僕が隣にいたら、まずかった?」
「ん?別に?」
「良かった~」
そう言って、日向は朗らかに笑う。
この前、日向に、私が音に集中しているところを見たいと言われたのだ。元々学校で実験してみる予定だったし、断る理由もなかったから、承諾したのだが。
意外と面白い事実も知ることができた。
最初は邪魔だった、私や日向の心音も、意識すればシャットアウトは可能だったのだ。シャットアウト、というか、単に他の音に集中するだけなんだけどね。
「むしろ実験に貢献してくれてありがとう」
「実験?」
「軽い頭痛で済ませられる範囲で集中した場合、何ができて、何ができないのか、調べることができた」
「そんなの、調べて意味があるの?」
「意味はあまり気にしていない。ただ、気が向いたからやっただけだし」
「気が向いたからって······」
苦笑する日向。
······そういえば。
「ねえ、夏草庶務。テスト勉強は大丈夫?」
「······その話題には、触れないでくれるかな」
ふい、と日向は目を逸らす。
七月に入り、夏休みが近づいてきたこの頃。······正確に言えば、期末テスト最終日の次の月曜日に答案が返却され、夏休みに入るため、期末テストも迫ってきたこの頃になる。
椿先輩や柳瀬さんや三年生組は、体育祭の前から、受験勉強も兼ねてテスト勉強を始めている。
葵も最近生徒会の仕事を終わらせたら、勉強していることもあるのだが。
日向は、そんな様子を一切見せない。······当然ながら、日向の成績はよろしくない。中間は、クラスで下から四番目だったらしい。
中学生の頃からそうなのだろう。で、その度に副会長あたりからお説教を受けていたのだろう。
この前、ついに副会長がプッツンした。
「たしか菊屋副会長に脅されてたよね?『期末の成績が上がってなかったら、しばらく生徒会室は出禁ですよ』って」
「······うん」
「何で?」
「······出禁になったら、女の子に追いかけられても、逃げ込めないじゃん」
「ああ、なるほど」
「でも勉強はやりたくないし······。勉強嫌い」
「そればっかりは仕方ないねぇ。まぁ、順位を一個上げれば良いんでしょ?大量にやらなくても、今までやらなかったところを、ちょっとやれば、一個ぐらいは上がるよ」
「そうかなぁ······」
「そうだよ。もっとも、その場しのぎの方法だから、二学期の実力テストとかに生かせるかは、また別の話だけど」
「えーっ」
「努力できねぇやつが甘えんな」
「はいぃっすみませんっ」
「······ふふ、ま、大丈夫でしょ」
日向も、多分副会長あたりに見張られながらだったら、ちゃんと勉強するだろう。日向はそういう人だからな。今までほぼ勉強せずにテストを受けてきていたのなら、一時間勉強するだけで、簡単に順位は上がる。
さすがに、学年十位以内に入るとかは······無理だろうけど。
「どうしても勉強できなかったら、菊屋副会長か、私に言ってね。菊屋副会長は受験勉強があるだろうし、できれば私に。あ、桐生会長は駄目だよ。桐生会長は、君を無理矢理には勉強させないだろうから」
「あのー、やなりんは······」
「柳瀬書記は、どうだろうね。もしかしたら、スパルタでやってくれるかも」
「じゃあ、風紀委員長は······迷惑になりそうだなぁ。うぅ······」
「ん?弟くんという選択肢はないんだ?」
「うん」
「何で?」
「いや、う~ん······」
「何?びっくりさせたいの?」
「というより······一応、僕、お兄ちゃんなワケですし。あんまりそういう姿は見せたくないんだよ。恥ずかしいじゃん」
自分で言って、勝手に照れてそっぽを向く日向。
······。
くっだらねぇぇぇぇぇぇぇ!
「本音言っていい?」
「どうぞ」
「何今更兄とか弟とか意識してんの? 君、自分達の年齢分かってる? 高校生だよ? 夏草会計に『しっかりしている自分』を見せる必要ある? 『どうせ無理だろ』って思ってる夏草会計を驚かせたいだけなら、そう言えよ!」
「すみませんッ葵をびっくりさせたいだけですッ」
「よし、OK」
「······あの、綾ちゃん」
「何?」
「お付き合い、願えますか」
「良いよ~」
うん、まぁ、妥当な選択だな。副会長や柳瀬さんは、年上だから頼みづらいだろうし。受験勉強もあるだろうし。
「······逆に、綾ちゃんはテスト勉強大丈夫なの?」
「問題ないよ。この時期は、テストに向けての勉強をしてるから」
「綾ちゃん、テスト好き?」
日向の問いに、首を横に振って答える。私だって、テストは嫌いなのだ。
もちろん成績は良いし、そもそも成績を気にする人がいないから、説教をくらうことはない。
でも、テスト勉強に時間を取られるんだよねー。
そのせいで乙ゲーの攻略は捗らないし、興味のあるものについて調べられないし。
テスト直しとか面倒だから、満点以外取りたくないし。
「復習する良い機会になるから、テストをやるのが悪いとは言わないけど。遊ぶ時間が減っちゃうから、好きではないね」
「うん、そんな気はしてた」
「あはは、私のことを、よく分かってるじゃないか」
冗談交じりに言って、机の引き出しからパソコンを取り出す。
それを見た日向は、不思議そうな顔をした。
「何するの?」
「仕事の前倒し。勉強する時間、確保するんでしょ?あーそうだ、君達、家ではそれぞれの部屋を持ってるの?」
「うん。普段はリビングで一緒にゲームをすることが多いけど、テスト前になると、葵は自分の部屋で勉強してる」
「ふーん。ま、昼休みにちゃんとやってたら、家でやる必要はないかな」
「一応、頑張ってみる」
「頑張れ~。······んー、やっぱ仕事を前倒しで進めるなら、先に藤崎先生巻き込んだ方が早そうだね」
「藤せんせー、協力してくれるかな」
「むしろあの人が断る理由がない」
「たしかに」
「でしょ?」
「でも、いつ藤せんせーに頼むの?」
「五限目藤崎先生の授業があるから、その時に頼んでみる」
「お願いします!」
「今はやる気があるけど、明日になってやる気なくしましたとかは、許さないからね」
「綾ちゃん、怖いです」
「怖くありません。それより、お返事は?」
「分かりました」
やや顔を青ざめさせながら、日向は答えた。
手元にある、一枚の紙。そこには、いつも通りの結果が記されている。
全教科満点。クラスおよび学年一位。
······なんだかんだで、この成績を毎回褒めてくれるのは、椿先輩と藤崎先生と······あと、学園長ぐらいか。
連続で満点を取り続けたならともかく、最初の方は褒めてもらえるかと思ったんだけど、中学生になって初めての定期テストで全教科満点を取った時は、褒められるより前に、カンニングを疑われたんだよねぇ。
無実が分かった後にどれほど褒められようとも、疑われた事実は変わらない。
私に悪意を向けた事実は変わらない。
だからといって、態度を変えたりはしてないよ?普段よく話す先生と会ったら、『今回も満点取れたから、褒めてください!』って小学生みたいに自慢して。『またか』と苦笑されながら、褒めてもらって。その度に、大袈裟なまでに、喜んでる。
そうやっても嬉しいんだけど。
椿先輩とかに褒めてもらった時の嬉しさと、なんか違う。『違う』って言っても、度合いの問題じゃないんだよ。
こう、方向が違うって言うか。
「乙」
「うん?あ、野見山くん、どうだった?上がった?」
「中間よりは、かなり。やっぱテスト直ししたらメッチャ上がるんじゃねぇかな」
「おお、次はトップにくるのかな?」
「いや、時間が足りなさすぎる。解き方分かっても、全問解くには倍の時間がいる」
「時間か~」
「お前は?」
「ふっふっふ、御覧なさいよ、この成績を!」
「······すっげぇ。話は聞いてたし、中間の時も見せてもらったけど。やっぱすげぇわ」
「だろう?もっと褒めてくれてもいいんだよ?」
「もうすげぇとしか言いようがねぇわ」
ドヤ顔をする私に、野見山くんは目を細めて笑った。
「メッチャ頑張ったんだろうな。お疲れ」
······あ、これ。
「ホント、私お疲れ様だよ~。ゲーム出来ないの超辛かった」
椿先輩とかと、一緒のやつだ。
「さて、日向。今日、テスト結果が返ってきたはずですね?」
「······はい」
「結果はどうでしたか?」
「······どうぞ」
「······!これは······っ!」
予想外の結果だったためか、大きく目を見開く副会長。その表情を見て、今まで必死に無表情を貫いていた日向が、ようやく、といったように、満面の笑みを浮かべた。
「クラスで······上から数えた方が早い······!?」
「聖、落ち着け。そこまで驚くのは酷すぎると思うぞ」
「でも、でもですよ!? 尊、よく考えてください! 前の順位から、十八位も上がってるんですよ!? あの、日向が!」
「······副会長、僕、さすがにショックなんだけど」
「あ、すみません」
「日向、いつ勉強してたの? 家じゃ、いつも通り遊んでた日の方が多かったじゃん」
······ん?
「夏草庶務?」
「······あの、帰ってすぐに勉強してから、遊んでたので······」
「成果は出たんだし、別に良いけどさ」
「日向くん、乙さんの、力、借りたの?」
「僕だけじゃ無理だもん······」
「······まぁ、一人でやれとは指定しませんでしたからね。今回は許しましょう」
「今回『は』!?」
「日向」
「はい」
「志望大学は、もう決めていますか?」
「えっと、まだ決定はしてないけど、多分このまま音羽大に行くと思う」
「音羽大ってレベル高いですよ、普通に」
「そ、そうだけど······」
「今からでも勉強の習慣をつけておかないと、まずくないですか? ここの生徒は、たいてい音羽大に進みますから、志望してて行けなかったら、すぐにバレますよ」
「うぅ······」
「聖くん、日向くんいじめはそれぐらいにして、仕事をしましょう?」
「それもそうですね。テスト期間中の仕事も溜まってるでしょうし」
副会長のいじめから解放され、日向が安堵の溜め息を吐く。
せっかく頑張ったのにな、と葵は苦笑していた。
今は時間経過を示すために、三回改行しているんですが······。
もっと、改行の回数増やした方が良いですかね。
適当で申し訳ありませんが、気が向かれましたら、時間経過の表し方について、活動報告か何かで、ご意見お願いします。
話見直してて耐えがたくなったら、勝手に編集していくかもしれませんが(汗




