閑話 最期の、すべて。~???視点~
「反省するまでそこにいなさい」
荒々しく、ドアを閉められる。すぐに鍵が掛けられる音も聞こえてきた。
「はぁい、月岡お義母さん」
ドアの隙間から、光が漏れる。暗い中に明るい筋が入って、周囲が薄暗くなった。
耳に届いていた音も消え、頭の中に『退屈』という単語が浮かぶ。
「······何で?」
今日は、何をしちゃったのかな。お義姉ちゃんには、一度も近づいていない。お父さんにも。お義母さんだって、彼女の気に障るようなことは、特にした覚えがない。
······まぁいっか。どうせ今逃げても、お義母さんに怒られて、また閉じ込められる。
寝よう。とっとと寝てしまおう。
朝が来たら、逃げ出しても怒られない。目が覚めたとき、まだドアが開いていなかったら、ぶち破って出たらいい。
寝てしまえば、退屈なんて、認識しようにも、出来ない。
目を開ける。あたりが薄暗くて、顔を顰めた。
薄暗いところは、嫌い。
······今は、何時?
ポケットの中から、手探りで時計を見つけて、取り出す。
昔、お母さんがくれたもの。直してくれる職人さんも、お母さんが紹介してくれた。
時計の裏側にあるボタンを押せば、時間を教えてくれる。
音量は1。お義母さん達は、聞きとれないらしい。
『5時27分』
ちょうどいいぐらいの時間。まだ誰も起きてない。
木製のドアを蹴って、壊す。後でお父さんに怒られるだろうけど、どうでもいいや。
お風呂も学校の準備も、昨日のうちに済ませてある。服だってそうだ。お義母さんは、いつも理不尽だもん。
『学校の準備は、帰ったらすぐにしなさい』
ランドセルの中を前日のままにして学校に行ったら、先生にそう言われた。
だから、いつお義母さんに閉じ込められてもいいように、帰ったらすぐに、全部済ませる。
先生に怒られることは、少なくなった。
今日は持ってき忘れてたけど、閉じ込められてる時にゲームをするのもいい。退屈なのを、紛らわすことが出来る。
ただ、学校で見つかったら没収されちゃうから、どこかに隠す必要がある。
「今日は気にしなくていいけど」
私は、ところどころ色の違うランドセルを引っ掴んだ。
「澪、ちょっといいかな?」
ランドセルを背負って、完全に帰宅モードの私に声をかけてきたのは、元友達の女の子だった。
「何?」
振り返って彼女に問う。
「えっ」
昨日までと違いすぎる反応に驚いたのか、彼女は短く声を発した。
たしかに、昨日まで彼女は私の友達だった。彼女が私に好意的だったから、私も彼女に尽くし、執着し、大切にした。
でも、彼女は私に悪意を向け始めた。だから私も、態度を変えた。
私に好意を向け続ける限り、私も相手を大切にする。
至極当たり前の話。
「······私のランドセル、貴女の文字もあった」
「わ、私が書くわけないじゃん!」
「筆跡でわかった。貴女のものは、ちゃんと見てたもん。丸っこい字、何度言っても直らない、『嫌い』の書き間違い。左は『ひと』じゃなくて、『おんな』だよ」
この前、私のランドセルに色々な文字が書かれていた。『死ね』は定石かの如く中央に。その周囲を飾るように、『うざい』だの『嫌い』だの。
私もランドセルに字を書いてみれば、案外書き心地?が良くて。
つい、塗り潰してしまった。
雑に塗ったから、塗り残しも多いけど。
「今から後悔しても遅いけど······。塗り潰す前に、写真でも撮っておけば良かったかな?」
彼女に目を合わせたまま、首を傾げる。
すると、彼女の背後から、二人の女の子が現れた。
「月岡、こっち来なさい」
「やだ。家帰ってゲームしたい」
「はあ!?」
「気が向かないんだもん」
適当に答えて、降ろしかけていたランドセルを、再び背負いなおした。
「ぅ、この、ビビり!」
「うん、私は臆病者だよ~」
「このっ······!来なさいよ!」
「あ~れ~」
ずるずる、ずるずる。三人に引きずられて、ランドセルの留め金が、廊下に傷をつくる。
どこへ行くのか、興味があった。
どうされるのか、知りたかった。
軽いいじめはあっても、私物を汚されたり壊されたりするのは今回が初めてで、体験したいことが、たくさんあった。
彼女らは、私に何を教えてくれるのだろう。
無理矢理?連れて行かれたのは、去年新しくなったお手洗い。全体的に清潔感が漂ってるけど、奥の方の個室まで明かりが届いてない。
ボーっと彼女らにされるがままになっていると、最奥の個室に入れられ、よく分からないもので両手を縛られた。慣れない感触。お義母さんが使うのとは、違うものらしい。
「明日になれば、だれか来るんじゃない?」
ゲラゲラと笑って去る二人の間から、いくらか申し訳なさそうな顔をした彼女が、目を伏せ、口を動かす。
だが、それ以外これといった行動をとることもなく、彼女は先に出て行った二人の後を追っていなくなった。
静かだ。
明日ここにいる、もしくは教師によって見つけられた私に対して、彼女らはどんな反応をするのか楽しみだからな。逃げるつもりはない。
でも······やることがなくて、つまらない。何も変化がない、変化を起こすことが出来ないというのは、苦痛だ。
せいぜい暇潰しに考えられることといえば、先ほど聞こえた気がした、彼女の声。
『澪』
本当に声を聞き取ったのか、ただ唇の動きを読み取ったのか。
彼女は何かを伝えたかったのか、意味もなく口にしたのか。
······分からない。
私は、首を傾げた。
ぎり、と手を動かす。まぁ、動かないだろう。さっき縛られたんだし。
消臭剤のフローラルな香りがする。
どんな香りだよ、と自分で自分にツッコミながら、ゆるゆると目を閉じる。
目を開けた時、何かが変わっていることを期待して。
私は眠りについた。
短い眠りに。
ふと、気付く。
肌がベタベタしてるような、妙な不快感。
頭が働いていないためか、視界どころか、脳自体に靄がかかっているような気分だ。
靄の上に被さるように見える、見覚えのない、ちぢれた髪。
状況など整理する気もなく、後ろにもたれる。
頭がくらくらしてきた。目が覚めきっていないからだろう。
瞼が、落ちてくる。
──────刹那、脳は、たしかにそれを認識した。
今まで、知らなかったもの。それに対する情報があまりにも少ない故に、説明が出来ないもの。
ただ、本で読み、『文章』としては知っていた、僅かな知識で、判断する。
「ひ」
これは、私が知るはずのない『色』。『鮮やか』というべき、光景なのだ。
記憶として残らずとも、私はその時、たしかに。
認識した。
同時に、恐怖の対象としても。
でも、結局、私はそれらを忘れた。
認識した直後に、半強制的に目を閉じてしまったから。
私は、再び眠りについた。
長い眠りに。
「······きて。起きてよ。起ーきーてー!」
近くで聞こえた大声に眉をしかめながら目を開ける。
「起きた?」
「······え」
誰?という言葉を発する前に目を見開く。
周りには、凄く鮮やかで美しい景色が広がっていた。




