表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/103

厄介な子

 走りながら、振り返って後ろを見る。遠く離れたところから私を追いかけてきてるのは、おっかない顔をした花咲さんだ。

 全力疾走ではないが、長く走っていれば、さすがに疲れが出てくる。


「実に、厄介だねっ······?」


 昨日の放課後に追いかけられた時は、裏庭に降りて逃げた。

 だが、今は朝。この時間帯は、ちらほらとだが人がいる。裏庭は、各号館へ移動する際の、近道になっているのだ。

 しかも、ココ四階だから、昨日みたいに身一つで飛び降りられないし。

 なんだかんだ言って、一番の問題は花咲さんのあの表情を、攻略対象が見ることによってドン引きされる······という悲劇が起こらないよう気を配らなければいけない事だ。

 周りの音を意識しながら走るって、肉体的にも精神的にもキツい。

 ······なのに、空気を読まずに震えるポケット。控えめに流れてくる歌は、知り合いからの電話であることを知らせる。

 受信画面を見るのが面倒で、私はすぐに電話に出た。


「もしもし?」

『綾ちゃん?おはよう、朝早くにごめん······』


 ······うわぁ······。

 ······千尋とはアドレスを交換していないし、第一千尋はこんな低い声じゃない。男の中で『綾ちゃん』呼びは、日向か葵。肉声なら聞き分けられるが、電話だと難しいな。一人称も分からない。

 当たる自信はないけど、雰囲気的に······あっちかな?


「夏草庶務、で、合ってる?」

『うん、合ってる。······どうしたの?騒がしいけど······。走ってる?』

「ははっ、追いかけっこを、してるんだ」

『え!?誰から逃げてるの!?僕に出来ることはある!?』

「ん、そうだね、君、今どこにいるの?」

『第三音楽室だよ』


 第三音楽室か。補習でもしていたのか?

 たしかあそこは二階だったはず。三階まで降りたら······。


「申し訳ないんだけど、そこ、何号室?」

『ちょっと待って。······えっとね、237号室!』

「237?分かった。あと、部屋の窓を全部開けて、窓から離れた場所にいてほしい。()()()()()()()()

『······?』


 日向の返答も待たず、電話を切る。237号室の上は、337号室。第三音楽室の上は、どこだっけ?······とりあえずそこに着けば、多分()けるな。

 花咲さんは······。かなり引き離している。彼女が私に変なものを仕掛けてくる前に、とっとと337まで行こう。


「待てええええええっ」

「君、静かに走りなよっ!」


 そんな声を上げるんじゃない。近くに攻略対象がいたら、聞こえるだろうが!

 私の姿が見えなくなったら、より一層叫ぶか······?だが、逃げ続けるのは嫌だし······。彼女が察してくれると信じよう。

 そう考えて一人で頷き、337号室まで全力で走る。途中、ゲームやら携帯やらが落ちそうになるも、無事に目的地に辿り着いた。

 振り返っても、花咲さんはいない。今のうちに、逃げ切らねば。


「あ~腕が軋む~」


 窓際の棚にのって、自分よりも大きな窓を開ける。が、固い。開かないワケではないが、固い。

 ······腕に関する力が絶望的な私には、非常につらいのだ。

 開けなきゃダメだから、開けるけどね。


「よいしょっとぉ」


 雑に開けたせいで、ガコンという大きな音が聞こえてきたが、気にしない。

 下を見れば、第三音楽室の窓が開いているのが分かる。

 これなら、問題ない。

 私は窓に背を向け、一応慎重に飛び降りた。


「······とりゃっ」


 窓枠から手を離し、日向が開けてくれた窓に足から入る。

 そのまま足を地面に叩きつけ、バランスをとって立ち上がると、入り口付近にいた日向が駆け寄ってきた。


「綾ちゃん!?」

「怖かった~」

「僕の方が怖かったよっ!」

「見ていてハラハラするからね。あと、夏草庶務。ナイスタイミングだったよ、ありがとう」

「本当?迷惑になってなくて良かった」

「いや~本音言うと、電話かかってきたときはイラッとしたけど、結果的に君のおかげで逃げ切れたんだからね。助かったよ。······ああ、君の用事を聞いていなかったね。どうしたんだい?」

「······綾ちゃんが窓から入ってきたインパクトが強すぎて、すっかり忘れてた。あのね、音楽の宿題を手伝ってほしくて······」

「······他の皆は?」

「先輩は電話で頼みづらいし、葵には言いたくないんだ」

「夏草会計は音痴なのかい?」

「違うよ。······葵のことがよく分からなくて。······その、女の子に対して、とか」

「それを意識しちゃうから、話しかけるのを躊躇う?」


 最近、生徒会で二人はあまり喋っていない。とはいえ、彼ら以外も含めてお喋りしていれば、二人とも普通に話すから違和感は少ないが。

 それぞれ、相手に思うところがあるのだろう。葵も、日向も。

 知ったこっちゃないがな。

 ······柳瀬さんに口止め?されたし、直接は言わないでおこう。


「夏草庶務」

「何?」

()()が思っている以上に、女の子は情報をたくさん集めている。······こんな時にだけ利用する、というのはアレだが、君なら良いんじゃない?」

「ファンクラブのこと?」

「明言はしないよ」


 ほぼ100%肯定しているがね。

 先日葵にも言ったが、彼女達は優秀だ。情報の質こそ悪いが、代わりに量がある。日向が手に入れたい程度の情報なら、充分彼女達が持っているだろう。

 あとは二人で話し合ってもらうしかないな。


「それで、君の宿題ってのは?」

「あ、このプリントなんだけど······」

「ん?それ、いつ提出?」

「······先週です」

「······それで半強制的にここで宿題させられてんの?」

「うん、先生が呼びに来た」

「ちゃんとしろよ······。別に良いけどさ。プリント、見せて?」

「お願いします」

「······え、ちょ、待った。クラシックを聴きに行くって、これ······」

「生じゃないとダメっぽい」

「無理じゃん。ってか何で先生そんな宿題出したんだ」

「僕が音楽の授業サボり続けたら、僕だけに出された」

「自業自得かよ!」

「ここってネット繋がんないよねぇ」

「······学園側に、プロがいるからね」

「ネットいじるプロ?」

「電波を制限するプロ」

「そんなプロいるんだ」

「別名犯罪者」

「え!?」

「冗談さ」


 冗談っつっても、日向が言ったように、ネットが繋がらないのは本当だ。携帯の使用が自由、というのは、解放していても電話やメールぐらいしか出来ない、というのが大きいかもしれない。

 だが······。私のウォークマンに、クラシックは入っていない。プリントには、感想百字以上とあるから、想像で書くのは難しいだろう。


「君、アイポッド?とか、そういうの持ってる?」

「持ってたら、綾ちゃんを頼ってません······」

「正論だね。さて、どうしましょうか」

「綾ちゃん、持ってないの······?」

「持ってないね」

「ピアノ弾けない~?」

「弾けるよ」

「だよねぇ。······え、弾けるの!?クラシック!?」

「ピアノに触れたことがない人よりは、ぐらいだけど」

「綾ちゃん何弾ける!?」

「パッとは浮かばない。ん~、五分ぐらいの曲で良い?」

「せめて!せめてその倍の時間のやつを!」

「十分?······何があったかな」


 自分が知っている曲を頭に浮かべながら、部屋の隅にあるピアノの所へ向かう。この教室にはピアノが三つあるが、このピアノは最も古そうだ。鍵盤の表面が剥がれ、木が剥き出しになっている部分が多い。

 実際の年数は、他のピアノの方が上かもしれないけどね。


「······ああ、いいのがあるよ。正確な時間は分からないが、あれもたしか短めだった気がする」

「十分ぐらい?」

「多分」

「じゃあ、それ弾いてください!」

「あ~······。期待はしないでくれ。ピアノなんて、誰かに習ったこともない、完全にただの趣味なんだ。それから、弾いている間はプリントに集中して、こっちを見ないで」

「どうして?」

「元々、人に見られるのは苦手なんだ」

「嘘!?」

「嘘じゃないよ。さ、プリント見て。弾くから」

「はい!」


 そんな威勢よく返事をせんでも······。

 これはミスをしたらまずいな、と苦笑しつつ、鍵盤の上に指を置く。物語のように、鍵盤の上に指を置くだけで、自然と手が動くなんてこたぁない。

 鍵盤の位置を確認して、音を思い出して。やっと、弾き始める。

 序盤は、大丈夫。中盤以降が、危ない。

 徐々に小刻みな音になるにつれ、最初は全く緊張していなかった指が、次第にこわばっていく。

 普段一人で弾くときや、空達の前で弾くときは、喋りながらでも弾けるというのに。私は案外、プレッシャーに弱いようだ。


「······怖いね」


 流れる音に紛れるように、微かに声に出してみる。それは震える指と違って、芯の通った声だった。

 緊張はしても、隠すのは上手いのだろうか。日向に、気付かれていないと良いのだが。気付かれてたら、恥ずかしいなぁ。

 必死にくだらない事を考えて、緊張を誤魔化す。

 ······あくまで誤魔化しただけで、解したわけではないのだ。


「!」


 小指が伸びきらず、本来と違う鍵盤を押してしまう。が、そこで演奏をやめたりはしない。

 まるで、何もなかったように。先程までと、まったく同じような態度を貫く。

 そんな風にしていると、くつくつと笑いが込み上げてきた。

 どうやら一度間違えたことで、開き直ってしまったらしい。くだらない事を考えるより、ずっと効果的な方法に、私は無意識に口角を上げた。

 なんだ、こんなことなら最初に間違えとくべきだったか?

 楽しい。自分が弾いてるってのが、えらく気分がいい。やっぱ、楽しくなくっちゃ。頼まれたことだろうが、強制されたことだろうが。つまんない事もあるだろうけど、楽しい事もなきゃ、やってられん。

 リラックスすると、気を抜いているにも関わらずピアノの音が安定しだす。······ああ、この感覚。いつも、こうやって忙しなく動く指を追っているうちに、音が小さくなって終盤に差し掛かったと実感するのだ。

 終盤になって一時的に小さくなった音も、再び大きくなる。

 もはや日向のことなんて頭にない。ただ夢中になって弾き続け、ついに鍵盤を叩く指を止めた。


「はぁ······気持ち良かったぁ~」

「······あ、綾ちゃん!素敵でした!」

「ん?お~、すまない。夏草庶務のことを忘れて、熱中していたよ」

「ひどっ」

「さて、感想は書けたかい?」

「······今から書くね!」

「書きながら聞きゃ良かったのに······」


 ······彼の様子を見ると、私が途中で間違えたのには気が付かなかったらしい。もしくは違和感を感じた程度だったか。

 どちらにせよ、バレてなくて安心した。


「そうだ、綾ちゃん、さっきのやつ、曲名分かる?」

「なんだったかな。『ハンガリー狂詩曲』······第二番、だった気がする」

「うろおぼえだね」

「仕方ないじゃないか。今までこういう目的で弾いたことなんて、なかったんだから」

「じゃ、綾ちゃんがピアノ弾いてる姿見るのは、僕が初めてだ!」

「いや趣味で何度も弾いてるから、君が初めてではないよ」

「え~······残念」


 だがまぁ、宿題のために弾いたのは、君が初めてだよ、うん。


「あんな綾ちゃん見たの、僕が初めてだと思ったのに」


 ······ん?


「他の人も見たことあるのか~······」

「······おい。おい、ちょっと待て」

「何?綾ちゃん」

「夏草庶務。君は、どんな私を見たのかな?」

「······やっべ」

「夏草庶務、私は『弾いている間はプリントに集中して、こっちを見ないで』って言ったよね?」

「······言ってたね~」

「さあ、プリントを持ってきなさい。びりびりに引き裂いてあげよう」

「だめ!この子は何も悪くないのぉ!」

「いいや、その子には君の注意を引きつけていなかった、という罪がある」

「そこはジ〇リので返そうよ」

「私ジブ〇に詳しくない」

「僕もお母さんが見てるから、ちょびっと知ってるだけです!」

「そうですか!さあプリント寄越せ!」

「うやむやに出来たと思ったのに!」

「約束を破った君が悪い」

「くっ······!理に適っている!」

「なら寄越すがいい!」

「嫌だぁ!」

「ま、冗談はおいといて、早くプリント埋めなよ。私はゲームやってるから」

「ピアノ弾いてよ~何の曲でも良いから~」

「プリントはよやれ」

「あ、はい」


 日向がプリントに手をつけたのを確認して、ゲームを取り出す。そういえば、『あんな綾ちゃん』とは、それこそどんな私だったのだろう。少々気になるな。

 聞きはしないが。


「······出来た!」

「お疲れさん。それの提出先は?」

「音楽の先生。今から職員室まで行ってくる」

「行ってらっしゃ~い」

「綾ちゃんはここに残るの?」

「残らないよ。教室に戻る」

「ごめんね、呼び出しちゃって」

「いや、こちら側も君を利用させてもらったしね」

「誰かから逃げてたやつ?」

「うん、あの人とはちゃんと話つけないと······。これから毎日追いかけられそうだ」

「頑張れ~」

「頑張るよ······」

「······僕も、頑張って葵に聞いてみるね」

「おや、あの子らの情報は使わないのかい」

「都合のいい時だけねだるって、ダメだと思う。それに、葵に聞けば済むことだもん」

「そう。······これは、事情を知っているが故の進言だけど。せっかく、君達は同じ家で暮らしているんだからさ、いつだって話し合うことは出来る。互いのことで分からなくなったら、その度にじっくり話せば良いんじゃないかな」

「······ん、分かった」

「じゃ、出ましょうか」

「うん。······あのね、綾ちゃん」

「なんだい?」


 ドアを開ける直前に、日向に声をかけられる。

 プリントや筆記用具を片付け終わった彼は、妙にニコニコとしながら近寄ってきた。


「ピアノ弾いてる綾ちゃんね、すっごく綺麗だった」


 心をこめて言われた言葉。それは明らかにお世辞ではなくて。

 ······もう少し棒読みで言ってくれたら、『お世辞の可能性が高い』として、取り乱すこともなかったのに。


「······そういうのは、反応に困るんだ······」

「あれ、照れてる?」

「恥ずかしくもなるさ。自分には不釣り合いな言葉を、もらったのだからね」

「不釣り合いじゃないよ。綾ちゃんは綺麗だし、今は可愛い」

「······すまない。限界だ。耐えられない。私は逃げる。Adios!」


 そう言って、私は日向から離れて窓際へ行き、裏庭へと飛び降りた。

 周りにいた人がギョッとしていたが、スカートではなく長ズボンだから問題ない。

 私は、褒めるのには慣れているが、褒められるのには慣れていないのだ。あんな歯の浮くような褒め言葉フィーバーに、耐えられるはずがなかろう!

 ······ああいう事は、日向よりも葵が言いそうだと思っていたが······。なるほど、夏草兄弟は二人とも言うのか。

 この情報、花咲さん知ってるかなぁ。これ渡して、私を追いかけるのを、やめてもらいたいなぁ。······多分、知ってるんだろうけどさ。


「乙ぉぉぉぉぉッ」

「!?」


 突然の怒鳴り声に驚き、あたりを見渡す。すると、二階から顔を覗かせる花咲さんの姿を見つけた。

 その怒声に、私以外の裏庭を歩いていた方々も、彼女の顔を見る。······あの、鬼のような形相を。


「アンタァァァッ!そこにいなさいよぉぉぉぉッ」

「まだ私を探してたのか······!?なんと執着深い!」


 理不尽に私を追うし、周りを気にしないし!

 ホンット君は!


「厄介だね!」

意外と二章長くなっちまいやした······。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ