貴女が、怖い。~藤崎 飛鳥視点~
最近、羊羹の美味しさを知りました(本文に全然関係ない)。
「ねーねー、聞いてよ~」
「また葵が、女と別れたんだろ?」
「え、何で分かったの!?」
「僕らの学年でも、噂されてましたから」
「葵くん、付き合って何ヶ月でしたっけ······?」
「二ヶ月、足らず」
「相変わらずの短さだな」
席の二つ空いた生徒会室で、今日は先に帰ってしまった葵くんのことが話題にあがる。最近、また恋人と別れたという話は、僕が担任のクラスでも話題になっていた。
彼が今まで付き合ってきた女性の中には、葵くんの次に日向くんと付き合おうとする人がいるようで、その度に葵くんに阻止されている。
今日もそのために休んだのだろう。
残りの空いた席は、乙さんの席。彼女は頻繁に生徒会を休む。生徒会に入って数日で、もう三回目だ。
「······綾ちゃん、よく休むよねー」
「尊が勧誘した時から、予想はしていましたが」
「藤せんせーが初めて会った時も、あんな感じだったの?」
「たしかに、それは気になるな」
「······いつ、会ったのが、最初?」
「三年前······ですね。乙さんが中学一年生だった時に、僕がこの学校に来ましたから」
「生物の授業で担当になったんですか?」
「はい。三年前、すでに乙さんはあのローブを着ていましたから、初めて見たときは、固まりました」
音羽学園に来て、というか。教師になって、最初の授業。緊張しながら担当のクラスに入ると······窓際に、彼女はいたのだ。ローブに付いた、大きな獣耳を揺らして。
「失礼ながら、第一印象は『馬鹿そうな子』でした。彼女、ああいう態度ですし」
「昔からあんなんだったんだ~······」
「ええ、昔からあのヘラヘラとした態度でした」
授業中以外では、いつも笑みを浮かべている少女。きっと女の子らしい会話をするのだと思っていた。
しかし、実際に授業外で彼女と会話した際、そのイメージは崩れ落ちた。
少し変わった言葉遣いにのんびりとした口調。変に背伸びをしていない、そんな感じ。そこまでなら、イメージ通りだった。
······ただ、『声』が、イメージと違ったのだ。
小柄ではないから、ある程度声が低いことは想像していた。だが、それだけではなかった。
一言で表すならば、『人間味がない』というのが最も近いだろうか。大人びた、とは少し違う。奇妙な、それでいて決して不快ではない声。
声だけで、こんなにも印象が変わるものなのか、と驚いた。
「綾ちゃんってさー、大人になっても変わらなさそうだよねー」
「ああ、そんな気がしますね。今まで見ている限り。······はい、僕のノルマは終わりましたよ」
「俺もなんとか終わった。······藤崎は、案外作業のテンポが速いよな」
「これでも社会人ですから。書類仕事は嫌でも慣れます」
「それ、本当に嫌な慣れ方ですね」
「君達も将来、似たような慣れ方をしますよ」
ノルマ以外の仕事をこなしつつ談笑していると、放送が流れる際特有のチャイムが鳴る。
こんな時間に放送がかかるとは、珍しい。
『高等部一年A組、乙 綾さん。高等部一年A組、乙 綾さん。116号室に来てください』
······どうして、彼女が。
不審に思い、手に持っていたボールペンを机に置く。
こんな生徒が残っているか分からない時間に呼び出すのは、変だ。
「······?何で乙が呼ばれてるんだ?」
「藤せんせー、綾ちゃん、まだ対談室使ってるの~?」
「対話室ですよ、日向くん。······彼女から、まだ鍵は返却されていません。聖くん、すみませんが、そこの部屋割り表を取ってください」
「はい」
首を傾げながらも部屋割り表を取ってくれた聖くんにお礼を言って、表に目を移す。116ということは、一号館の一階にある部屋か。
······今の放送の声は、明らかに子供のものだった。それも、女子生徒。
嫌な予感がする。
「先生、急に、どうしたの?」
「先程、放送で言っていた部屋は、どこか調べようと思いまして」
「綾ちゃんのクラブか何かの部屋じゃないの?」
「さあ······」
「園芸部なら、一階じゃなかったはずだぞ?二階か三階かは忘れたが」
116、116。······あった。多目的室という名の、空き部屋。
まだ、その確信は出来ない。空き部屋であるとはいえ、たまに、こういう多目的室が使われることがある。生徒のいじめに関して聞いたり、定期テスト中に学校を休んだ生徒が、昼休みにテストを受ける場として使用されたり。
学校内に点在する多目的室には、いつ、誰が必要とするか分からないことから、中に使用者がいる時を除いて、鍵をかけてはいけないというルールがある。
なかにあるのはテーブルと椅子のみだから、生徒に見られて困るものもない。
正当な目的であそこを使うのかもしれない。そのための呼び出しだという可能性は、限りなくゼロに近いが、ないとは言い切れないのだ。
もしカウンセリングなどが行われていたなら、それこそ勝手に入ってはいけない。
「部屋、調べる必要、ある?」
「······乙さんは、以前このように女子生徒に呼び出しを受けたことがあります」
「!······その時は、何故呼び出されたんですか?」
「おそらく、椿くんと親しかったからでしょう。そのことに嫉妬した女子生徒が、乙さんに対する嫌がらせとして、空き部屋へ呼び出したんです。空き部屋へと向かった乙さんは、そこに······」
閉じ込められたんです。
そう言う前に、とてつもなく大きな音が響きわたる。黒板を爪でひっかくあの音を、何十倍にもしたような大きな音。
あまりの大きさに、部屋にいた全員が立ち上がった。
「何!?今の音!」
耳を塞ぎながら、日向くんが入り口の扉を開ける。
それとほぼ同時に、誰かの笑い声が聞こえてきた。
「あははははははっ」
無邪気な笑い方とは裏腹に、鳥肌が立つほど妖艶な声。
ああ、彼女だ。
「······ちょっと行ってきます。······皆は、ここにいなさい」
急がなければ。
······彼女が、やらかす前に。
「ハロー、白鳥さん」
微かに、それでいてハッキリと聞こえる声。こういう時、彼女の声がよく通ることに感謝する。
音だけで方向を当てるのは、難しい。それが大音量でないなら、尚更。
だがそんなことは言ってられない。
「図星?あはは、だよねぇ」
続いて聞こえてきた、友達に話しかけるような明るい声。それで、乙さんは怒ってはいないのだと判断し、ほっと息をつく。
彼女が怒ってなければ、とりあえず保健室を利用せずに済む。
「······じゃあ、お聞かせ願おうか。何で今日このタイミングで、私を呼び出してくれたのかなぁ?」
訂正。
彼女は物凄く怒ってます。
背中を、冷や汗が流れる。数滴伝うなんてものじゃない。滝だ。滝のように流れている。
走れ。今よりもっとスピードを上げろ。もし間に合わなければ······。
救急車を呼ばなければならない。
「ハァッ······!きの、と、さっ······!」
「ん~?あ、藤崎先生、こんにちは~」
息を切らせながら目当ての教室に入れば、乙さんの奥で座り込んでいる二人の女子生徒が、こちらに縋るかのような目を向けてきた。
······あの子たちが、呼び出したのか。
「奥にいる二人、名前は?」
あくまでも事務的に、話しかける。日向くんや葵くんなら、相手を労わりながら(たとえそれが本心じゃないとしても)話しかけるんだろうな。
だが、あいにく、自分はそんな優しさは持ち合わせていない。
「し、白鳥、麗亜······」
「白鳥、麗華······」
「分かりました。二人には、後日話を聞かせてもらいます。今日は帰っても構いません」
帰宅の許可を出すと、止せばいいのに、二人は乙さんをギッと睨み、壁際を通って教室を出ようとする。
それを、不機嫌な彼女が許すはずもなく。
「······えいっ」
彼女は満面の笑みでそう言い放つと、部屋にある椅子を蹴って、顔を動かさないまま教室を出ようとした二人の方へと滑らす。
その椅子は僕の前を通過し、二人の目の前を塞ぐように壁へと突き刺さった。
「「ひぃぃっ!」」
「······白鳥さん、これ言うといやぁな先輩って思われるかもしれないけど······」
顔を二人に向けないまま、乙さんは目だけを動かす。
緩く弧を描く口元とは反対に、その目はまったく笑っていない。
「私は、『年上』だよ?必ず敬えとは言わないが、好きな男と喋っているというだけで、タメ口のうえにケンカ売ってくるってのはぁ······ね?」
「······乙さん、あの二人を解放してあげてください。あと、壁に傷を付けてはいけませんよ」
「大丈夫です、その辺は加減してますから」
「なら良いのですが······。とりあえず、白鳥さん達は帰りなさい」
さすがの彼女達も、これ以上乙さんを挑発してはまずいと分かったようで、今度こそ、そそくさと教室を出ていった。
ようやく落ち着いて教室を見渡すと、机や椅子が片側に寄っているのに気付く。
······あの大きな音は、これをずらした音だったのか。
「······このテーブル達、どうやって動かしたんです?」
「え?蹴りました」
「足の筋肉どうなってるのか凄い興味あるんですが。あの、乙さん体重何キロですか?」
「レディにそれ聞いちゃダメです。まぁ触ったらセクハラですから、体重聞くぐらいしか出来ないんでしょうが······」
「たしか乙さんって、腕はあまり筋肉ついてませんでしたよね。握力は左右共に15キロ前後と聞きますし、重いものを運ぶのによく苦労していますし」
「そこ若干コンプレックスなんで指摘しないでください」
顔を手で覆って泣き真似をする彼女に、ならばと別のことを指摘する。
怒っていたのは、乙さんだけではない。
僕もだ。
「乙さん、さっきの二人にお仕置きをした後、ちゃんと誰かに言うつもりでしたか?『二人の女子生徒に、閉じ込められそうになった』と」
「うっわ、藤やんすっげぇ怒ってはるわ······」
乙さんは視線をゆっくりと横へずらすと、顔を引きつらせながら、茶化すように言う。
······本当は、ヤバいだなんて思ってないんでしょうね。貴女は、僕が怒ったくらいでは、怖がらない。
大人を馬鹿にしてるとか、そういうことではなくて。
貴女は、強いから。
「乙さん。一昨年言ったはずです。誰かにいじめの対象にされたと分かれば、大人に言いなさい、と」
「いちいち言ってられませんよ、そんなこと。私の性格上、こういった嫌がらせは後を絶ちませんし、もしかしたら単に私と話し合いをしたかっただけかもしれない」
「その可能性を考えていたなら、何故呼び出された116号室ではなく、この教室に来たのですか?」
呼び出された部屋付近の教室なら、まだ間違えたとか言い訳は出来る。
だが、ここは二階。呼び出された部屋の、上の階なのだ。
間違えたなんて、まずありえない。
「······そもそも、話し合いをしたいだけ、なんて可能性を考えていなかったからですよ」
「素直でよろしい」
「あと、もう逃げちゃったけど、116号室の前に、誰かいましたよ。······そりゃ私を閉じ込めるつもりなら、部屋の前にも誰かいなきゃダメですもんね」
「それは、気付きませんでした。······どうせ今度白鳥さん達に話を聞く際、道連れとして連れてくるでしょうが」
「自分達だけが怒られるなんて、おかしい~ってね」
「まぁあの人達のことはどうでもいい。今は貴女がお説教される時間です」
「えぇ~」
本来なら、いじめられる側にも非がない場合は、説教なんてしない。
ただ、彼女は違うのだ。彼女には、前科がある。
「乙さん、今回はこういう形になりましたが、もし貴女が閉じ込められたら、どうしなければならないか。はい、言ってみてください」
「······扉が本当に開かないか確認。もしそこが一階なら、窓からの脱出も試みる。自力での脱出は不可能だと判断したら、助けを求める。携帯なども、校則を気にせず利用して人を呼ぶ」
「よく言えました」
彼女は一昨年、このように空き部屋へ呼び出され、閉じ込められた。
鍵は南京錠であるため内側から開けることは出来ず、こういう空き部屋は窓が開けられないようになっているため、自力での脱出は不可能だった。
普通なら、そこで叫ぶなり電話で知り合いを呼ぶなりする。そうすれば、たとえ遅い時間とはいえ、学校には誰かがいるのだから、わりと早く発見される。
だが、彼女が発見されたのは、約三時間後。最終下校時刻が過ぎ、当番の教師が見回りをしている時だった。
その教師いわく、確認のために南京錠を外して部屋の中を見ると、乙さんが床に座ってゲームをしていたらしい。外傷はなかったが、念のため保健室へと連れて行ったそうだ。
当然、生徒会の顧問として残っていた僕は、乙さんに話を聞くためにと保健室へ呼ばれた。
保健室には、乙さんの他にも学年主任や乙さんのクラスの担任の人もいて、狭くはないはずの保健室が、少し窮屈だった。
『どうして助けを呼ばなかったの?』
生徒に親しまれている女性の養護教諭が、泣きそうな顔をして問いかけていた。
すると乙さんは、困惑した様子で周囲を見渡して。
『すみません······。居心地が良かったもんだから、つい』
ゲームを始めたら、完全にリラックスしてしまって、状況忘れてました。
そう言う彼女に、僕らは言葉を失った。
部屋から出られないというのに、何故平然とゲームが出来るのか。
閉じ込められていた部屋は、灯りが点けられていなかった。徐々に暗くなる部屋で、彼女は恐怖を覚えなかったのか。
次から次へと湧いてくる疑問。それら全てを、彼女にぶつけるわけにはいかず。結局、部屋に閉じ込められたら、どうしなければならないか、ということをよく言い聞かせ、彼女は家に帰した。
のちに乙さんを閉じ込めた女子生徒を探し出し、理由を聞くと(僕ではなく、その子の担任が)、『椿先輩と仲が良かったから』と答えたらしい。
······僕も含め、この学園には何人か、ファンクラブが出来るほどに人気の子がいる。その中の一人である椿くんが、乙さんと親しいことは職員室でもわりと有名な話だ。
乙さん以外にも、やはり彼らの周りによくいるという理由でいじめられた生徒がいたため、そういう情報は教師側でも気にしているのだ。
でも、彼女が過去に何度か、椿くんファンの人達に攻撃されたのを見事に返り討ちにしていたから、僕らはそこまで彼女を心配していなかった。
きっと、大丈夫。乙さんは強いから、徹底的に目を光らせる必要はない。
······そう思っていたせいで、僕らは気が付かなかった。
どれほど彼女が強くとも。
彼女自身に逃げる意思がなければ、その強さは意味を成さないことに。
「乙さん、また閉じ込められたら、ちゃんと出ようとしてください。あのまま僕らが見つけられなかったら、と思うと、今でも背筋が凍る」
「はーい」
「約束ですよ」
上に怒られるからとか、生徒の親にクレームを入れられたくないからとか、そんな理由ではなくて。
ただ、怖いのだ。
「······約束は、私には守れないです。ごめんなさい」
他の教師には、まるでそれが当たり前かのように嘘を吐くのに、『藤崎先生にはサービスで』、と嘘は吐かずに正直に答える貴女が。
面倒か否か、面白いか否か。······気が向くか否かで、行動を決める貴女が。
閉じ込められても、扉を壊して外に出るだけの力はあるのに、『居心地が良いから』と自らその場に留まる貴女が。
普段はわざとらしいほど明るく振る舞うのに、ふとした瞬間に、別人のように纏う空気が変わる貴女が。
たまに会話に出てくる『大切な友人』に、異常なまでの執着を見せる貴女が。
どれほど目で追っているつもりでも、いつのまにか、どこかへ行ってしまう貴女が。
怖いのに。······どうして。




