小さな異変
乙女ゲーム『君を想う~咲き誇る想い~』の開始日。それはヒロインが、ゲームの舞台となる音羽学園に入学する日。
つまりは今日。音羽学園高等部入学式の日。
今日から楽しい事の連続になるだろう。ゲームだからこそドキドキした甘ぁいセリフを、現実でも言うのだろうか。それはちょっと聞いてみたいなぁ、なんて。
一応寝癖がないか確認のために鏡を見れば、長めの黒髪に緑色の瞳の少女がこちらを見ている。
『乙 綾』
ゲームの序盤で攻略対象達についての情報をくれるが、攻略対象達と親しげに話すヒロインに嫉妬して、ヒロインをいじめる。ヒロインがバッドエンドにならない限り、いじめの主犯である事がばれて、その後の周りからのいじめや冷たい視線に堪えられず自殺する悪役。
この子が、私の選んだキャラ。
理由は、大きく分けて二つ。
一つ目は、ヒロインをいじめなければ、ヒロインとほとんど関わらない事。ヒロインに関わって怖いお姉さまからのいじめに巻き込まれるのは面倒だ。
それに、多くのエンドで死んでるけど、死因は自殺だし。誰かに殺されるんじゃないからシナリオを警戒せず自由に出来るかなぁ、と。
せっかくの人生。楽しまなきゃ損だ。
二つ目は、ゲームの中で、見た目が描写されていなかった事。描写されてたら、楽しみが減ると思ったからね。
いやぁ、初めて鏡で自分の姿を見たときは驚いた。髪はともかく、瞳が緑色だったんだから。周りの人たちもカラフルだったらまだ納得出来るんだけど······。このゲーム、妙にリアルなのだ。
髪や瞳の色は黒や茶色が普通。攻略対象達も、だ。
他にも、法律について探って見れば(私が暗記している限りだが)前世のものと全く同じ。歴史や、地名も変わっていない。
まぁ、前世と同じ知識が使える、というのは助かった。
前世は小六の時に終わってしまったけど、自分なりにすごく勉強しまくったから、覚え直しとか本当に辛いだろうし。
そんなことを考えながらもタンスから服を取り出す。
音羽学園は制服はなく、標準服しかない。標準服は普段の着用義務は無く、入学式や卒業式にさえ私服でOKなのだ。また、法律に違反しない限り、着る物の制限はない。極端に言えば、ピアスして髪を染めて海パンで登校しても怒られない。そんな奴いないだろうがな。
普段通りの格好をして、学校まで走って一分。
学校についたら早速去年の自分のクラスに向かう。私達内部生は、入学式場である講堂に行く前に、自分の前のクラスで、新しいクラスを知らされる。よりクラス替えをスムーズに行う為だ。
······完全に言い忘れていたが、音羽学園は小中高一貫で、私は初等部から通っている。だからなんだって話だがな。
前のクラスにいけば、すでに半分以上が揃っている。何人かにおはよー、と言いながら席についてゲームを始める。この学園は朝のHR前と昼休み、放課後はゲームをしても構わない。
ゲーオタからすれば滅茶苦茶嬉しい。だが、何故かゲームを持ってきてする子はほとんどいない。せっかくの自由な校風なのに、勿体無い。
某有名な音ゲーで好きな曲をプレイしていると、廊下が騒がしくなる。周囲に気を使ってイヤホンを使っているが、片耳だけにつけて周囲の音も聞こえるようにしている。
騒音を不快に思いながらも、曲がサビに入ったので集中する。目指すはフルコンボだ。
「乙さん」
「あっ······」
酷い。もう少しでフルコンボだったのに、ミスったじゃないか。
仕方ない、とゲームをやめて声がした方を向く。
「どうしました、椿先輩」
「乙さん······。貴女どうして前回の部活に来なかったのよ······」
ハァ、とため息をつくこちらのイケメンさんは、『椿 守』先輩。私が入っている、というか立ち上げた園芸部の部長兼風紀委員長であり、『君想』の隠し攻略対象。
彼は女性らしい言葉を使っているが、昔の癖が直らないだけで別に意識して使っている訳ではないらしい。その為、三人称は「彼」で問題ない。「彼女」というと多分怒られる。
彼はゲームでは二週目以降に登場するキャラ。
家以外では女らしい言葉を隠す彼だけど、ある日ヒロインにバレてしまう。
ヒロインに学校でバラされるのを恐れる彼にヒロインは、「誰にも言わない。恥ずかしいのなら、一緒に頑張って直していこう」と言う。
自分に得はないのに一緒に努力してくれるヒロインに、彼は心惹かれていく······。
というシナリオなのだが。
······ご覧のように、彼は自分の言葉を隠していない。もう前提からゲームと違うのだ。
まぁ、原因に心当たりがなくはない。でも、結局こうする事を選んだのは彼自身だ。私は悪くない。うん。
「······乙さん?聞いてる?」
おっと。少し考え込んでしまったか。
「はい、聞いてます。ただ、私が幽霊部員なのは今更ですから、何で急に?と思って」
「何サラッと言ってんのよ······。幽霊部員って言っても、貴女は定期的な部員集会に参加しないだけで活動自体は真面目にやってるじゃない」
「当然ですよ。椿先輩のハーレムに参加する気は全くありませんが、活動自体はちゃんとしないと、園芸部を立ち上げた意味がないでしょう」
「ハーレムだなんて言わないでよ」
「事実ですよ。椿先輩を囲んでギャーギャー騒いでるんですから。私があの部を立ち上げたのは、椿先輩のファンクラブに部屋を与える為じゃなくて、私の欲望の為です」
「この部って貴女の私利私欲の為に出来たのね······」
「ふふ、クラブなんざそんなもんですよ。私は休める場所を作る為。椿先輩は、植物をいじる為。その他は椿先輩を囲む為」
「何でかしら。その言い方に悪意を感じるわ」
あはは、何ででしょうねー?別に先輩のせいで部室が五月蝿くなったことは恨んでませんよ―?
いやぁ、園芸部の活動が部室以外でも出来るもので本当に良かったよ。あんな五月蝿い場所で植物いじってたら、ある日プッツンして植木鉢ごとあの女共に投げてただろうからね。
もし投げてしまったら、あれらに投げられた植物が可哀想だ。
そんな事故を避ける為にも、私は普段部室にはいない。時々資料整理の為に行くぐらいだ。部員集会なんか参加する訳がない。
ちなみに生徒会への活動報告は、裏庭などの植物をちゃんと育てているので問題ない。植物があるところはほとんど園芸部が育てているのだ。実質私と椿先輩が、だ。
唯一温室だけは、園芸部は手を加えていない。元は学園長の管轄下だったから、生徒会ごときでは使用の許可を出せなかったのだ。
それを知った時はどうしようかと考え込んだ。私が園芸部を作ったのは、部活動と称して温室に入り浸る為でもあったからな。温室に自由に出入り出来なければ意味がない。
私は、理事長に直接掛け合った。この際、自由に出入りする許可だけでなく、様々なことを交渉した。温室における全ての権限を私が持つことや、温室に関する校則の追加。また、学園の授業等で使う植物はこちらで用意すること。
要求だけで交渉を成立させるのは困難だ。見返りやそれなりの関係、脅しがあった方が絶対良い。今回は見返りを用意したのだ。それなりの関係を築くのは中1と理事長では難しかったし、脅迫をせずとも交渉を成立させる事は出来る。わざわざネタを早くから披露する必要はない。
理事長と何度も交渉を重ねた結果、学園長の許可を得たら、となった。
学園長の方は一回の交渉で終わった。やはり、植物の管理は面倒だからな。お金さえ用意してくれれば、指定された植物を含む種や苗の用意及び温室の管理は全て行うと話したら、すぐに許可してくれた。
鍵はその際渡された後に少し改良したものを使っている。念のためのスペアキーはあるが、私が持っているので結局温室を開けられるのは私だけだ。その為昼休みに温室を解放せねばならないが、昼休みがある日は自動的に解放されるように色々と扉に回線を張りまくった。
さすがに一人では回線を張れないので友人に頼んで手伝ってもらった。あの頃の苦労も、今ではいい思い出だ。
「ってか椿先輩、何か用事ですか。前回の部活で決めなきゃいけない事ってありましたっけ?」
「あっそうよ、忘れてた。ねえ、乙さん、新しい子の勧誘はどうする?」
「あぁ、勧誘はしないでください。椿先輩が勧誘したら、そっち目的で入る子がたくさん出ます。その点、椿先輩が勧誘しなければそういう子は減りますから。······それから、入部届けは勝手に受理なさって構いませんが、入部届けをいつもの所に入れておいてください。気が向けば整理しておきますので」
「えぇ、わかったわ。クラスがわかったら教えて。私もメールするわ」
「了解です」
先輩が出ていくとすぐに先生が入ってきて、新しいクラス表を配る。
私の新しいクラスは1ーA。同じクラスの所に、ヒロインの名前もある。担任の名前は書かれていないが、多分ゲームと同じあの先生だろう。
先輩にメールしようとすると、丁度先輩からメールが来た。彼は2-Cらしい。
先輩に返信した後、新しいクラスに荷物を移動させて入学式場に向かう。
そこには、既にヒロインちゃんがいた。緊張している者が多い中で、一人ニコニコと笑っている。その大きく可愛らしいはずの目を、異様にギラつかせながら。
ふふ、楽しそうだね、ヒロインちゃん。これから始まる生活が楽しみ?私は凄く楽しみだよ。
小さくも確かな異変があるなかで、現実を生きる人達は。どれだけゲームのシナリオに忠実に動くのかな?
指定された席に着けば、すぐにブツ、とマイクの電源が入る音がした。
「これより、音羽学園高等部の入学式を始める。在校生、起立」
やっと、シナリオが動き出す。
2016/4/16 内容を一部変更しました。