花言葉よりも
······恋愛小説なんて自分に書けるのだろうか······。
窓枠に手をつき、裏庭を見下ろす。今誰かに会えば、「悪趣味だ」と顔をしかめることだろう。
だから人の来る可能性の低い生徒会室を選んだ。
会長と副会長は食堂にいるはずだ。藤崎先生も食堂。日向はどこかをぶらついているはずだし、葵は······じきに来る。
柳瀬さんは知らないが、構わない。
そもそも誰かに見られたくないからココを選んでいるわけではない。単に口うるさく言われることで下に気付かれたくないだけだ。
「······来た」
下に目当ての人物たちが来たのを確認し、窓を閉める。
今から裏庭で行われるのは、『君想』の夏草葵のメインイベント『向日葵の根』だ。ちなみにこれと対になるイベントとして夏草日向の『向日葵の花』がある。お察しかもしれないが、日向と葵の名前を並べ変えたら向日葵になる。イベント名の『向日葵』はそういう意味らしい。
裏庭に姿を現す葵と······一人の女子生徒。声は拾えるが細かいものを見ることは出来ないので、念のため双眼鏡を持ってきている。ほとんど使うつもりはないがね。
葵と女子生徒の関係は、恋人。その頭に『破局寸前の』、とつくが。
二人の関係はちょっぴり複雑。
友人の記憶によれば、去年のバレンタインに女子生徒が日向だと思って告白したのが葵だった。どうして見分けられなかったんだろうね。
間違えて告白されてしまった葵くん。間違いを指摘した後、なんと『自分が日向の代わりに恋人になる』と言い出した。女子生徒は即OKを出す。二人はめでたく(笑)恋人となったのだ。
どうして葵はこんなふざけた案を出したのか。別にその女子生徒が好きだったわけではない。
彼は『自分たちを見分けられないような女は日向にふさわしくない』と思ったらしい。だからって自分が恋人になる必要はないだろうと思うのだが、きっと彼はそうするべきだと判断したんだろうね。
んでまぁそんなこんなで二ヶ月経った今。元々想いあっていたわけではない彼らはこうして破局の危機にさらされているのだ。
ちなみにこういう『代理恋人』になったのは今までに何回もあるらしいよ。それが『チャラ男』と呼ばれる理由とのこと。これは設定資料集には載ってないんだって。
このことに気付いていない日向は、『女好き』とも呼ばれる弟を心配している······というのは日向のイベントだな。
二人のイベント名は無駄にこっている。葵は陰で暗躍というか努力をしているから『根』で、日向は表面の明るいところしか知らないから『花』なんだと。
本当に無駄な設定だ。面白いと思うがね。
「ここで良い?」
「私は良いよ、どこでも」
二人はベンチまで向かうと、並んで座る。葵は宙を見て、女子生徒はスマホをいじっている。
今の二人を見ていったい誰が二人を恋人同士と思うだろうか。
互いに口も利かず目も合わせない。そんな微妙な空気の中、葵がようやく口を開いた。
「俺らは別れるってことで良いんだよね?」
最初から直球だなオイ。イベントとはいえ、少し心が痛むな。
だが葵の興味なさげな声に、女子生徒の方もまた興味なさげに返した。
「夏草葵くん、私のこと好きじゃないでしょ?」
『夏草葵』!?フルネーム!?······あぁ、夏草兄弟は仲良くない人に下の名前だけで呼ばれるのを嫌うんだっけ。
恋人にもフルネームで呼ばせてんのかよ。
「恋人になったのに、俺が君のこと好きじゃないって思うの?」
「じゃあ好き?」
「別れを告げてきた女の子を?」
「ほら、好きじゃないじゃん」
「君だって、そうでしょ?俺はあくまでお遊び」
「そんなの、夏草葵くんだってそうでしょ!だからあの時に代わりを申し出たんでしょ!?」
「違うよ」
「じゃあ何!?私が好きだったわけ?」
「どうだろうね。······まぁ、別れるんだしもう関係ないよね。じゃ」
「待って!」
立ち上がる葵を、女子生徒は袖を引っ張って引き留める。
なんだなんだ意外と葵に未練があるのか!?
「これ、夏草日向くんに渡して」
······違うっぽいねぇ。
さぁて、彼女は何を渡したのかしら~?双眼鏡で、覗きましょ。
ん~、あれは······。
「······ブレスレット?日向に?」
「これは、夏草葵くん」
「ハンカチ?······!」
「やっぱり、夏草葵くんは分かってくれたね。······男の人って、花言葉とかはあまり気にしないんじゃないかと思って、装飾品にしてみたわ」
特別な柄とかはないねぇ。じゃあ単純に考えればいいのかな。そうすると、ブレスレットは『拘束』、ハンカチは······『縁切り』ってことでいいのか?
う~ん、分かりづらいねぇ。花言葉よりも、ずっとわかりづらいんじゃない?······ってか二人ともに渡すってどうなのさ。葵はともかく、日向にはおそらく······そういう意味なんだろうし。
好きでもない奴を拘束しても、良い事なんてほとんどないからね。
「······君、ふざけてんの?」
「ふざけてないし。夏草葵くんはもう私と別れるから遊んでくれないじゃん?だから次は夏草日向くん。夏草葵くんと付き合ってたから、なんとなく見分けはつくようになったよ」
あらら。この展開はちょっと危なくない?······まぁ多分大丈夫なんだろうけどさ。
花咲さんはどこにいるのかな~?予想外の方向に進んだら彼女になんとかしてもらいたいんだけど······っと、見つけた。ちゃんとスタンバイしてるね。
もしものことがあったら、何とかしてくれよ······?
「······乙さん、何、してるの?」
背後から聞こえる声。驚いて振り返ると、そこにはなぜか安堵した様子の柳瀬さんがいた。
下に集中してたから、気付かなかったよ。別に良いけどね。
「······悪趣味」
こちらに来て下を見た後に発された声に私の行為に対する嫌悪はこもっておらず、それどころか関心すらなさそうだった。
「こんにちはぁ、柳瀬書記」
「こんにちは。······修羅場?」
「下が、ですか?」
「うん。葵くん、と、女の子」
「彼らの会話を聞いている限り、やや危ない雰囲気ですねぇ」
「······!······聞こえるの?」
「はい、集中すれば。······普通は、出来ませんか」
下に目を向けたまま、柳瀬さんに問いかける。
前から誰かに聞こう聞こうと思っていたのに、つい忘れていたのだ。
「······大声でもないのに、聞き取るのは、出来ない」
「んん、やっぱそうですか~。んじゃどんぐらいが限界ですか?」
「乙さんの声は、聞こえるよ」
「じゃないと会話出来ませんもんね」
「······乙さんには、何が聞こえてる?」
柳瀬さんからの問いに、裏庭から目を離す。あの後葵が女子生徒に贈り物を押し返し、女子生徒が不機嫌そうに去って行ったところで花咲さんが現れた。これ以降はおそらくゲームで描かれたとおりになるだろう(ゲームではヒロイン視点だったため、女子生徒とのやりとりは描写されていなかったのだ)。
これからの展開にはあまり興味がない。今はそれよりも、柳瀬さんだ。
「さっきまでは、下にいる彼らの会話と、貴方の声しか聞こえていませんでした。でも、今は彼らには集中していないから、いろんな音が聞こえます」
「······どんな音?」
「貴方の呼吸、心音。勿論、自分自身のものも。それから、複数の話し声」
聞こえるものを並べながら、ゆっくりと目を瞑って音に集中していく。
深く、深く。範囲は変えずに、精密に。
「この近くを歩く足音。特定は出来ないけど、何かがぶつかってカチャカチャと音をたててる。······あ、悲劇。ガラスだったみたい。派手な音をたてて割れた」
聞こえる音をすべてさらい終えて、目を開ける。無意識に組んでいた腕をほどき、音に集中するのもやめると、ほとんどのものが聞こえなくなった。
己の心音さえも、今や明確には聞き取れない。
「······いつも、そんなに、聞いてるの?騒がしくて、嫌にならない?」
「いつもではありませんよ。音に集中してる時だけ、たくさん聞こえます。だから集中するのをやめると急に静かになって、少し寂しくなる時もありますねぇ」
「俺には、分からない、感覚。······ちょっとだけ、知りたい気もする」
「似たような感覚なら、いつか体験できますよ」
「······楽しみ。······お昼、食べた?」
「教室で済ませました。そちらは?」
「俺も、もう食べた。どうする?仕事、ノルマ、減らしとく?」
「そうしましょうか」
私の答えに柳瀬さんは嬉しそうに笑うと、さっとカーテンを引いて机に向かう。
私も席につき、パソコンの電源を入れた。
「そうだ、聞きたいことがあるんですけど······」
「······?」
「昨日、よく私だって気付きましたね」
「······ああ」
書類から顔を上げた柳瀬さんが、少しの間を開けて頷くのを見て、目を細める。
私がここで仮面を外したことがあるのは、たった一回だけのはずだ。······いや、あの時は厳密に言えば『外された』の方が正しいかな?
まぁそれはどうでもいい。問題は、彼が何故私だと判断できたか、なのだから。
幼いころのことで、私が覚えていないだけなら良い。でも、もしそうでない場合の理由が想定できないから、聞いておきたいのだ。
「······乙さん、の、瞳。その色だって、知ってたから」
「でも、私、柳瀬書記に見せたこと······ってありませんでしたよね?あれ、ありましたっけ?」
「······覚えて、ない?」
「すいません、記憶にないです······」
「そっか。······昔の、ことだから」
「昔?」
「うん」
「ん~、いつのことですか?」
「······内緒」
内緒、ねぇ。ま、昔のことだから私が覚えてないってだけだろう。それなら、問題はない。
別に顔を知られたくないんじゃないからね。
「ふふ、だとしても、不思議ですね。私の瞳を見たといっても、昔のことなんでしょう?この色の瞳がそう多くないとはいえ、判別はやっぱり難しいでしょうし」
「······昔、見たときから······かなり、時間は経ったけど。······なんとなく、分かった」
「なんとなく?」
あやふやな答えにそう問い返すと、柳瀬さんは一瞬固まった後、すぐに俯き小さく頷いた。
「······なんとなく。なんとなく。なんとなくなんだっ······」
「いや無理に説明しようとしなくて大丈夫ですよ。聞きたかったことは一応聞けましたし。いやぁ、柳瀬書記でもそんな風に焦ることはあるんですね。意外です」
だが真面目に考えれば、柳瀬さんもまともな人間。普段無表情が多いせいで分かりづらいが、やはり焦ったり怒ったりするのだろう。
彼はどんな時に怒るのだろうか、と下らないことを考えながらパソコンに視線を落とした。
若干短いのは話の都合上です。
決して、時間がなかったからとかじゃありません(汗




